Papaver somniferum ペパヴェール サミニフェレム_1
かつての東の大国を模した街並みは今日も雑多で、様々な人種と文化に彩られていた。こんな雨の日も、変わらずに。
「ふぃーっ。ひっどい雨だなぁ」
街で比較的高級とされる料理酒場の入り口で、男が手と首を振っていた。愚痴の通り男はずぶ濡れで、その姿はまるで犬が水を切っているかのようだ。広いエントランスは男と従業員しかおらず、男の行動に眉を顰める者はいなかった。従業員は笑顔を崩さず男にタオルを手渡した。タオルを受け取って、男は従業員へ何事か告げる。従業員が微笑を消したのは一瞬。次には先と変わらぬ笑みを浮かべ男を案内した。
「遅かったな、情報屋」
タオルで頭を拭く男が通された部屋には、一人先客がいた。先客は強面の、年齢だけで言えば中年男性。鋭い視線を持つ先客は、雨の降る最中を走った男とは異なり、パリッとしたスーツの下鍛え上げられた肉体を隠し、纏う空気には乱れ一つ隙一つ無い。
啣え煙草も様になり、さすが自警団を取り纏める団長様は違うね、と男────情報屋は自己のスーツを正し脳内で皮肉った。
「これでも急いで来たんだよ。見ろよこの濡れ鼠っぷり」
情報屋は苦笑して濡れた服を摘み上げ示す。従業員も入室し、上着を預かろうと手を伸ばすと 「ああ、いい」 と濡れた情報屋は断った。不思議そうにする従業員へ情報屋は気さくに笑い。
「このスーツ速乾性生地だから。しばらくしたら乾くし、そこの怖いおっさんも俺も、終わったらすぐ帰るからさ。ありがとね」
情報屋たちの用件を前以て知るゆえか、従業員は一つ頷くと一礼して下がって行った。従業員がいなくなったのを確認すると、情報屋は先客の、団長の向かいへ腰を下ろした。
「あー……ひっどい目に遭ったぜ」
水の浸透度を見ているのか、胸元を両手で開き言う情報屋へ団長は、一瞥して鼻を鳴らし茶を呷った。この様子に情報屋は片眉を上げる。
「おたくさんが言うから早く来たのに、ちょっとつれないねぇ、旦那?」
そう情報屋が不満を見せたけど、団長は特に気にする風も無く 「どうでも良い」 切って捨てた。情報屋も舌を出して、肩を竦めると、それ以上は言うのをやめた。やがて茶が運ばれ情報屋は体勢を崩した。
「……本題に移るぞ」
団長が切り出す。情報屋もリラックスしたポーズはそのままに表情だけを変えた。
そもそも、煙る程の雨の中、人目を忍んで異国情緒溢れる繁華街の一角へ集まったのは旧友との親交を暖めるためでは無かった。酒でないのも、同様だ。
茶に口を付けながらすでに運ばれている料理へ箸を伸ばす。利用する便宜上頼んだものに過ぎないが、食べないことはしない。材料が勿体無いし、何より食事処で一口も食さないなど有り得ない。
「また、“アレ”が流行っているらしい」
「……『花』か」
目線は料理の並ぶ卓へ落としつつ交わされる言葉。『花』は隠語だ。ただし一般的な、性的な隠語では無い。
戦中に流行した、特殊な麻薬の一種である。
十年程前、十年間前後として、大規模な戦争が行われていた。群れを成した国と国の戦争。日に日に範囲は広がり、生活は悪化し、凄惨を極めた。親も子も兄弟も、一分先には行方不明で、昨日挨拶していた隣人が、今日には道に転がっている、なんて言うのが日常茶飯事だった。
この国の、異文化に法外地帯を思わせるこの街も例外では無い。異人が住む分、もっと酷かったかもしれない。
『花』は、その中で育ち、蔓延した。
「潰しても潰しても、生えて来やがる」
団長が吐き捨てる。情報屋は黙って食事していた。
弾丸が飛び交い爆薬が着地点不明で落下して来る。今日にも自らが死ぬかもしれない、と考える。死が常に抱き着いて回るその恐怖は、途方も無かったろう。ともすれば徴兵される国民よりも。『花』は、そんな一般的には武装のゆるされない異人の拠り所となった。
【 ......Next story. 】
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