Fuchsia フューシャ_2

 

「何やってんだ」

「た、大尉!」

 少年を取り押さえていた憲兵の一人が大尉に気が付き敬礼する。彼が現場の責任者だろうか。ともかく、ここでの現状説明は彼がやってくれるらしい。


「お見苦しいところを……」

「いや、良いんだが。────コイツは?」

「はい、それが、」


 説明役の憲兵は言葉を切ってちらと己の後方で暴れる少年へ視線を投げた。

「花売りの少年たちの元締めのようでして。今回街にいたところ捕まえました」

『花売り』は“春を売る”と同義の隠語だ。つまり少年は、男娼をしている少年たちのリーダーと言うことだろう。だが、少年は大人に地面へ押し付けられていた頭部をぐぐっと持ち上げ抗弁した。


「違う! 俺はそんなことやってない! 俺はっ……」

「黙れ!」

 だけども再度頭を地面にぶつけられた。ぐぅっと少年から声が上がる。見ていられなかった。


「放せ」

「は、」

「お前も暴れんな。良いから、放せ」


 大尉が憲兵たちに指示を飛ばす。憲兵たちは信じられないものを見る目で大尉を見詰めるが、渋々従った。

 大尉は教官だ。だけれど階級はこの場の誰より上であり、戦争を生き抜いた人間だ。憲兵たちもどちらかと言えば終戦後か終戦手前程度に軍に所属した者が多く、准佐程に若い。憲兵たちの父親と同等か、父親より大尉が年上と言うのも在って、従う外無かった。


「さて、と」

 大尉は屈んで少年と目線を合わせた。少年は、大尉の言い付けを素直に守っているみたいだ。体は起こしているけれどおとなしく、膝を折って座り込んでいる。


「お前、本当に男娼じゃないんだな?」

「大尉っ」

 憲兵から非難の声が飛ぶ。だけど大尉は片手だけ上げこれを制した。躾の出来た犬を連想させるように、憲兵たちは悔しげに口を噤んだ。


「違う」

「元締めってのは、」

「それも違う! 俺はアイツらを止めてただけだ! もうすぐ新しい孤児院が出来るって聞いたからもうやめろって! なのに、コイツらが!」


 堰を切ったように、とは言ったものだ。俯かせていた面を上げ少年は感情のままに喋った。烈火の如く怒りをぶつける。その表情が。


「……フューシャ……?」


 大尉の忘れられない、あの女性に酷似していた。理不尽に震えるとき、仲間の弔いに敵を狩るときの鬼神染みた彼女に。まさかと、内心狼狽える大尉へ、少年が一瞬間抜けな顔を晒した。そうしてぽつりと。


「え、母さん……?」


 呟いた。大尉は。


「────コイツ、俺が預かるわ」


 思考が纏まるより先に発していた。憲兵たちはさすがに慌て抗議する。


「何を仰有ってるんですか、大尉!」

「そうですよ、大尉と言えど被疑者を預かるなどっ」


 口々に異議申し立てを行う。大尉は憲兵隊の喧しい囀りも気に止めず少年を肩に担いだ。


「わっ……」

 年としては半世紀生きている大尉だ。だのに、痩せていると言ってもとうに十は過ぎているだろう少年を抱き上げ、よろけもしなかった。少年のほうが、とっさの不安定さに焦っていた。


「……。そうは言うけどよ、お前さんたち証拠は無いんだろ?」

 意にも介さず飄々と少年を抱えた状態で質疑した。証拠、の単語に瞬間怯んだ憲兵たちだったがすぐに立ち直った。


「物的証拠はございませんが状況証拠ならございます」

「状況ねぇ……コイツが売りを強要していたとかか」

「恐らくは。何度か該当する挙動が目撃されております。街中で相談をしていたものと」


 恐らくね。口内で憲兵の応答を反芻すると大尉は男へ焦点を定めた。次いで更に問い質した。


「そいつぁ、要するに会話の内容まで把握してねぇってことだよな。証拠っつーにはちぃっとばかし、お粗末なんじゃねぇか?」

「は、しかし、」

「いっしょにいたとか、そう言う程度じゃあ証言としても弱いぜ? 何せ人間は群れるからな。孤児なら尚更だ」


 人間と言うものは、往々にして群れを作って行動する種の動物である。同じ境遇であるなら共感し合い徒党を組むことは必至で、ましてや子供だ。組織でなくても支え合うなり傷を嘗め合うなり、共生する理由は幾つも在る。


「証拠不十分だな。数日で釈放だ」


 どうせ、便宜上の逮捕だ。憲兵隊は街を守るため職務を全うしていますよ、なんて言うポーズ。だったら、俺がこの場で貰い受けても問題在るまい? 宣して、不敵に大尉は微笑んだ。


 少年も憲兵たちも大尉の物言いに唖然としたけれども、憲兵隊はどうやら周知されるより職務に忠実だったらしい。しばし少年の身柄で交渉は難航した。大尉の粘り勝ちに終わったが。




「なぁ、俺どこに連れて行かれんの。ってか、そろそろ降ろしてくんない?」

 大尉に担がれるまま静かに成り行きを見守っていた少年は、憲兵隊から離れたところで開口一番尋ねる。上機嫌で口笛を吹いていた大尉も。

「おお、悪かったな」


 少年に言われ謝罪しながら少年を降ろした。少年が逃げるのではとの考えが脳裏を過らなくも無かったけど、大尉はそうなったらそれでも構わなかった。


 少年は、逃げなかった。降ろされ、地に足が着いても大尉の隣を歩き出した。


「なー、おっさん」

「何だ」

「俺どうなんの」

「今考えてる」


 少年が大尉の返答に「はっ、何ソレ」少年が噴き出した。嘲る類の笑いでなく、純粋に面白がっているようだった。


「そう言うお前さんはどうする気だったんだ」


 少年は孤児たちに新たな孤児院が出来ることを伝え商売を辞めさせようとした、と語っていた。言い分を信じるならばそう言うことだ。けど、少年はお世辞にも幼いと言い難い。孤児院に入れない年、大尉のいる軍事学校に入れるくらいの年……十三歳以上と見えた。

 なぜ十三歳は対象外かと言うと、戦後現代では働ける年であり単体で援助を受けることも可能だからだ。大尉に問われ少年は。


「んー」

 と何やら考え込んでいる。しばらくして。


「俺は、軍でも行こうかと思ってた」

「軍事学校か? 莫迦は入れんぞ」


 軍事学校も戦後の今や筆記試験が在った。大尉が悪意無くその辺りを指摘すると、少年は機嫌を損ねるでもなく。


「俺、これでも三年前まで学校に通ってたんだ。じいちゃんが死んで、次にばあちゃんが死んで、家に住めなくなって、こんな路上生活してっけど」


 身の上を話した。じいちゃんばあちゃんと暮らしていた、の文言に大尉は彼女から聞いていた息子の情報と一致して行くのを感じた。戦後十年近く。彼女の子供を育てていた両親もいい年だっただろう。死んでしまってもおかしくはなかった。大尉が物思いに耽ていれば少年が、あ、と気付いたみたいに洩らした。洩らして、大尉を見上げ湧いた疑義を口にする。


「なぁ、おっさん」

「何だ」

「さっき『フューシャ』って言ったよな? アレどう言う意味? 花のこと?

 俺の母さんの名前も『フューシャ』ってんだけど」

「……」


 少年が、おや、と思う。先刻は小気味良く続いたレスポンスが停止した。少年は足を止め、数歩して大尉も止まる。やや距離の開いた少年を見返った。


「母さん、兵士やってたんだ。凄い強かったんだって。おっさん、母さんの知り合い?」

「……」


 大尉は無言で少年の元へ戻った。そして。


「……わっ」

 無言のまま頭を乱暴に撫ぜる。


「────取り敢えず、だ」


 大尉は少年の質問には答えなかった。


「お前の入試の手続きでもするかね。俺が保証人で良いだろ」

「……」


 少年も追及しなかった。撫でられぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で直している。


「それまでどーすっかなぁ、お前」

「別に、今まで通り路上で寝泊りするし」

「阿呆か。お前の身柄は俺が預かってるんだよ。放逐したら問題になるだろうが」


 少年へ反論しつつ、脳内で「そーなんだよなぁ、マズいよなぁ」算段する。結果、自分のところへ置くしかないと判断し。

「あ、やべ、また怒らせるな」

 自身の現上司となった元教え子の怒りを再燃させ説教されると想定して、後頭部を掻いた。あー……と微かに唸る大尉を、不思議そうに少年は仰ぎ見ていた。

 そうでも歩みは止まらず、二人は真っ直ぐ向かっていた。


「……ま、何とかなるか」


 教官寮は個人部屋であり一部屋一部屋独立している。家族が遊びに来ることも在った……勿論、管理人と上司に事前申請が必要だけれど。


 楽観視し開き直った大尉の、想定が現実になるまであと数キロ。




   【 Fin. 】

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