殺す赤鬼と死ぬ雛鳥
ナヒロ
殺す赤鬼と死ぬ雛鳥(仮)
プロローグ(むかしばなし・せいぎのあかおに)
むかしむかしあるところに、あかいろのおにがすんでいました。
あかおにのからだはいわのようにおおきく、みたひとをふるえあがらせるくらいおそろしいかおをしていました。
あかおにをみたひとたちは、じぶんがたべられてしまうのではないかとこわくなって、にげるようにとおざかっていきました。
ですから、あかおにはいつもひとりです。
あさごはんをたべるときも、おひるねをするときも、よるごはんをたべるときも、ひとり。
「おやすみなさい」
いつもあかおにのそばにいてくれるおつきさまも、きょうはくらくてみえません。
ふとんにはいってめをとじると、なみだがあふれてきました。
あかおにはさびしかったのです。
あかおにはともだちがほしかったのです。
いっしょにあそんで、いっしょにわらって、それはきっとたのしいことのはずだから。
けれど、みんなあかおにをこわがってちかづいてくれません。
こんなすがたじゃなければよかったのに、とあかおにはかなしくなりました。
そのまま、しずかにないていると、いつのまにかねむってしまいました。
つぎのひ、あかおにがおさんぽをしていると、とおくからこえがきこえてきました。
きになったあかおには、こえのするほうにむかうと、むらびとがとうぞくにおそわれていました。
「たすけなきゃ」
そうおもったあかおには、とうぞくにたちむかっていきました。
とうぞくはけんをつかってあかおににこうげきしましたが、いわのようにかたいあかおにのからだにはきずひとつつきません。
はんたいに、あかおにがそのふとくておおきなうでを、ぶんとひとふりすると、とうぞくたちはふきとばされて、しんでしまいました。
そのしゅんかん、むらがかんせいにつつまれました。
「このむらをまもってくれてありがとう」
「すごかった!」
「つよいんだねー」
「ありがとう」
あんなにあかおにのことをこわがっていたひとたちが、つぎつぎにあつまってきます。
あかおにはすこしとまどいながらも、そのことをとてもうれしくおもいました。
「あなたは、せいぎのあかおにさんなんだね」
「せいぎってなあに」
「よわきをたすけ、つよきをくじくことだよ」
「くじく?」
「さっき、とうぞくをやっつけてくれただろ? ああいうことさ」
そういわれて、あかおには、しんでしまったとうぞくたちのほうをみました。
ああ、そうか。くじくっていうことはころすっていうことなんだ。
「よわきをたすけ、つよきをころす」
それが、せいぎ。
そして、せいぎのあかおにになれば、こんなふうにたくさんのひとにかこまれることができる。
さいわいなことに、あかおにはつよかったので、せいぎをするのはかんたんそうにおもえました。
きのうはこんなすがたにうまれたことをかなしくおもっていたのに、いまはこのすがたでうまれてきてよかったとおもいました。
なんだかふしぎなきもちで、あかおにはいいます。
「うん。ぼくは、せいぎのあかおにになるよ」
するとむらびとたちはみんなよろこんでくれました。
そのよろこんでいるすがたをみて、あかおにもうれしくなりました。
それから、せいぎのあかおには、ひとびとのためにがんばって、たのしくしあわせなせいかつをおくりましたとさ。
めでたしめでたし。
一幕
夜の洋館はにわかに騒がしく、どことなく落ち着かない雰囲気が漂っていた。
その日、屋敷に一通の手紙が送られてきた。曰く、
「正義の名の下に、今宵、貴公の全てを奪いつくす」
怪盗・赤鬼と名乗る者からの怪しげな予告状は、館のあるじに警戒心を抱かせるのに十分だった。
杞憂かもしれないが、万が一のことがあってはならない。
警護職の騎士団員を呼び寄せたあるじは、夜を徹しての館の警備に当てさせた。
そんな中、屋敷の玄関ともいえる石造りの門の前、ランタンに灯るオレンジの篝火が照らす場所に、二人の騎士が立っていた。
そのうちの一人が大あくびをする。
「ふわあー、……暇だな」
「おい、私語は慎めよ」
相方にたしなめられても、楽観的な調子で続ける。
「だってなあ? 怪盗の予告状かなんだか知らねえけど、そんないたずらで駆り出されちゃ不満の一つも言いたくなるだろ」
「まあ、それはそうだが……」
仕方ないなとため息を吐きながらも、相方の騎士は同意を見せる。
しかし、彼は彼で少し気がかりなことがあった。
「怪盗・赤鬼、だったか。実はそいつについての噂を聞いちまってな」
「噂?」
「ああ。この前、少し離れたところにある別の館が襲撃された事件があっただろ?」
「あー……、確かそんなこともあったような」
「なんでもあそこにいた奴ら全員が、赤鬼と名乗る怪盗に皆殺しにされたらしい」
「あはは、皆殺しか。そいつはいいな」
楽観した態度を崩さない騎士は、その噂を一笑に付した。
「いいか、噂ってのは必ず尾ひれ背ひれがつくものだ。そんなんでいちいちびびってちゃ、この仕事は務まらねえぞ」
「べ、別にびびってなんかない! ただ、警戒だけはしとけって話だ、まったく……」
「ははっ。まあそう怒るなよ。……でも、あれだな。なんか昔読んだ物語で読んだ怪盗ってやつはそんな危険な感じじゃなかった気がするな」
「あー……、確かに。なんかスタイリッシュに格好良く、魅せる盗み方をするっていうか、そういうイメージがある」
「お、もしかして昔は憧れてたってやつか? それが今はこんなカッチカチの騎士になっちゃってまあ」
「おい、茶化すなよ」
少し挑発すると、面白いように返ってくる相方の反応を愉しみながら、ふと思いついたことを呟く。
「でも、もしもその皆殺しって噂が本当だとしたら、それは怪盗っていうよりはむしろ……――」
「あの、すみません。ちょっといいですか」
遮られるようにして、女の声が尋ねる。
いつの間に?
突然、目の前に現れた女を前にして、楽観的だった騎士が急激に警戒度を上げる。
それは相方も同じようで、腰に差した剣の柄に手を伸ばしつつ、観察する。
長い黒髪の女、身長は女にしては少し高い方か。目元は髪に隠れて見えないが、まだ若い。おそらくは成人前といったところだろう。
何より重要なこと――、女は丸腰のようだった。
だからといって警戒を解くことはないが、続く女の言葉を慎重に待った。
「えと、あなたたちは、強い、ですか。それとも、弱い?」
瞬間、二人の騎士の背中にゾクリと悪寒が走った。
ダメだ。これは、ダメだ。
このままでは、やられてしまう。
さきに、やらないと。このばけものに、コロされてしまうまえに。
「おあああああああああ!!!」
「やああああああああ!!!!!!」
底冷えするような恐怖を打ち払う気勢を上げながら、二人の騎士が剣を抜く。
対峙する女は酷く冷静に、向かってくる二人の男を見ていた。
「問答無用、ですか。なるほど、あなたたちは、強い人なのですね」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で女は呟く。
「弱きを助け、強きを殺す……」
正義の言葉を唱えた彼女の周辺に異常な熱が発生する。
パニックに陥っている騎士たちは、その温度の変化にすら気づかず、なおも女を斬りつけようとしている。
その変化こそが、彼らを殺すモノだというのに。
「……――来なさい、シュラ」
***
「ごうがい、ごうがーーい!!」
元気な声を上げながら、子どもたちが走り回る姿を目にした。
ぼろぼろになった斜め掛けバッグに詰め込んだ、新聞紙をそこら中にばらまいている。
宙に舞う薄汚れた紙面の吹雪は、まるで英雄の凱旋を祝しているかのようだった。
とさりと足元に落ちてきた新聞を拾い上げて、一面になっていた見出しを読む。
『怪盗・赤鬼、下層管理職職員の屋敷を襲撃』
昨夜未明、オードエア下層管理委員会は、下層管理職職員の家宅が襲撃されたことを発表した。
襲撃された下層管理職職員は殺害され、家宅に保管されていた多数の財が盗難されていることが判明している。
なお、昨日の午前に、犯行を示唆する予告状が怪盗・赤鬼を名乗る者から送付されていることが分かっており、これを受けて警護に就いた王下騎士団の団員についてもその全てが殺害されていたことが明らかになっている。
これを受けて、王下騎士団は怪盗・赤鬼と事件の連関を調査し、
「必ず、かの極悪非道の徒を処刑台の上に送るべく、総力を尽くすと宣言している……か」
紙面から目を離して、ふと周りの様子を眺める。
普段は活字などろくに読みもしないスラムの連中が集まっては、事件について大騒ぎしている。
まあ、あいつらも当事者と言えば当事者なのだから、その熱狂も分からなくはない。
「おい! 赤鬼様がまた新聞に載ってるぜ!」
「ふん、下層管理の連中共、ざまあみろってんだ!」
「ああ、ありがたや、ありがたや……」
三者三様の反応だが、共通して見ることができるのは赤鬼への好意的な感情だ。
それもそのはず、赤鬼は奪った宝を余すことなくスラムの連中にばらまいていた。
おかげでスラムでは赤鬼と言えば、正義の怪盗だの義賊だのともてはやされていた。
まあその辺りのことは俺にとっては割とどうでもいいことなのだが。
「さて、そろそろ行くか」
三者三様の赤鬼に対する反応。
それを遠巻きに眺めてはいたものの、俺自身、彼女に好意を持っているのは間違いないことだった。
それから少し歩くと、闇市に出た。
ここでは割高な金さえ払えば、スラムでは目にすることがないような上層の品を手に入れることができる。
「そろそろ十時だな……」
彼女はいつもここで、日用品などを買いそろえている。
闇市の物陰に隠れた俺は、そんな彼女の到来を今か今かと待ちわびる。
「あ、来たっ!」
長い黒髪の少女の姿を認めた俺は、僅かに高揚する。
彼女の名前はヤシャ。
彼女こそが巷を騒がせる赤鬼その人なのだが、誰もそのことには気づかないだろう。
「あ、あの、すみません……」
店の前で店主に声を掛けるも無視されてしまうヤシャ。
別に店主が意地悪をしているとかいう訳でなく、ヤシャの声が小さすぎるのだ。
「あ、あのう……」
なんとか必死に声を振り絞るも、その声は闇市の喧騒にかき消される。
「あううう……」
うん、今日も可愛いな。
実は彼女は赤鬼である上に、俺の人生の恩人だったり、師匠だったりするわけだが、そんなことは今はどうでもよかった。
コミュ障でおどおどした様子のヤシャの姿を隠れて眺める。
そしてその可愛さを魂に刻み込むのが俺の日課だった。
あ、ちょっと涙目だ。いいぞ。
「あ、あのっ……!」
「おわ、びっくりした。この嬢ちゃん、いつも急に現れるな……」
「わ、わ……」
気づいてもらえて嬉しいけど、次の言葉を用意していなかったせいで慌ててるな、あれ。
「え、えっと、こ、これとこれ、ください……っ」
「おう。これとこれだな。じゃあ二つで金貨一枚な」
「わ、わかりました。えっと……」
そう言って、ヤシャは手提げのバスケットに手を入れた。財布を出すのだろう。
しかし、どこか様子がおかしい。
「あ、あれっ、あれ……? ちょ、ちょっと待ってくださいね。あれ……?」
そう言って何度バスケットの中をまさぐっても、覗き込んでも財布が出て来ない。
ヤシャは再び涙目になりながら、スカートのポケットをまさぐったりしている。
「あれ、あれ、あれぇ……? す、すみません、お財布なくしちゃったかも……しれなくて……、ふ、ふぇぇ……っ」
「…………」
「ごべ、ごべんなさっ、ま、また、こんどくるので……っ」
もはや涙目ではなく泣いている。
そんなヤシャを見て不憫に思ったのだろう。店主がこんな提案をしてきた。
「わーった、わーった。いいよ、ツケといてやるから! 嬢ちゃんも常連だしな! サービスだサービス!」
「えっえっ、い、いいんですか」
「いいからいいから、ほら持ってきな!」
「あ、あの、ありがと、ございましゅ……っ。このご恩は、絶対忘れません……っ」
「あ、ああ。まあご恩は忘れてもいいから、次は財布忘れんなよ」
「は、はいぃ。じゃ、あの、さようなら……っ!」
全力でお辞儀をしたヤシャが店から去っていく。その後ろ姿を店主は苦笑しながら見つめている。
……いや、良い物見せてもらいました。ごっつぁん。
「これだから(ストーキング)やめられねえんだよな……」
小汚いスラムの中で天使を観測した俺は、半ば放心状態になっていた。
すると、さっきまで見えていたヤシャの姿がいなくなっていることに気づく。
「あ、あれ?」
「こら」
不意にこめかみのあたりをコツンと小突かれた。
「あ、ヤシャ……」
「こらこら」
振り返ってみると、そこには満面の笑顔でありながら、どことなく額に青筋を浮かべている様子のヤシャの姿があった。
「こらこらこらこらこらこらこらこらこらこらこらこら」
「ちょ、いたっ、痛いって!」
ポカポカと叩いてくるヤシャの拳が段々シャレにならないレベルで重くなってきたところで、抗議の声を上げる。
すると、ヤシャは拳を止めて、大きなため息を吐いた。
「はあ。またこんなコソコソ隠れて、私の後をつけてきてたんですか、フレア?」
「いやつけてたんじゃなくて、見守ってたんだよ」
「はいはい、犯罪者はみんなそう言うんですよ」
「ひどっ! 俺たち家族みたいなもんだろ?」
「親しき中にも礼儀あり、です。それに家族ならもっと普通に……、一緒にお買い物したりすればいいじゃないですか」
「いや、それじゃあさっきみたいなヤシャの可愛い姿を見れないじゃないか」
「あれ、さっきあんなに頭を叩いておいたのに、まだ記憶が残ってるみたいですね……?」
ニコリと笑いながらギリギリと拳を握りしめるヤシャ。
「アレッ、ナンカ、キュウニワスレテキタカモシレン」
「いえ、いいですよ、無理に記憶喪失にならなくても。この後ちゃんと殺してあげますから」
「マジか」
ヤシャの言ったことは方便ではない。
彼女が殺すと言ったら、それはもう、殺すのだ。圧倒的なほどに。
「さあ、帰りましょう。特訓です」
***
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
力尽きた。もう一歩も動けない。
芝の上に仰向けで寝転がった俺は、肩で息をしながら、額の汗をぬぐった。
俺とヤシャの怪盗としての師弟関係。
それはもっぱら、この激しい戦闘訓練の上に成り立っていた。
「ふう。それじゃあ少し休憩です。川で水を汲んできますね」
ヤシャはそう言うと、森の奥へと消えていった。
「今日のシゴキはマジでやばかったな……。そのうち本当に死ぬかも……」
などと絶対にありえないことを呟きながら、青い空に輝く太陽を見つめていた。
鉄の塊が空を遮るスラム街では見ることのできない光景に心が洗われる。
帰らずの森。
その名の通り一度入ったら帰ることは叶わないとされるこの森で俺たちは暮らしていた。
空に向けていた視線を、すぐそこにあるログハウスに向ける。俺とヤシャで作った家だ。
帰る家はここにあるので、帰らずもクソもないのだが、それでも俺たちは普通にこの森とスラムとを行き来していた。
この矛盾。
けれど、誰かが言った固定観念が実態とは違うだなんてよくある話だ。
昔、ヤシャに助けられた時、俺はそのことを学んだ。
それでも、人はその意味を本当に理解していないと、そうした観念にいともたやすく縛られてしまう。
「まあ実際は当たらずも遠からずってとこか」
帰らずの森。そう呼ばれるこの森は、単に上の管理がここまで及んでいないというだけの話だ。
つまりは弱肉強食の世界。弱い者は強い者に淘汰される。スラムの連中なんかでは手も足も出ないほど狂暴な獣がたくさんいるこの森に入るのは確かに自殺行為と言える。
俺も今でこそ一人でも大丈夫なほどには慣れたが、もし最初ヤシャがいなければ、獣のエサになっていただろうことは想像に難くない。
ふと思う。
最低限の身の安全が保障される代わりに上に搾取されるか、命の危険はあるが、誰にも縛られずいられるか、どっちの方が幸せなのか。
俺は断然後者なのだが、命の危険、その意味を本質的に理解していないだけなのかもしれない。
「まあ、どうでもいいや」
それより水はまだだろうか。
流れる汗と血に体の水分を奪われたのが影響しているのか、喉がカラカラに乾いていた。
「フレア」
タイミング良く、林の奥から俺の名を呼ぶヤシャの声が聞こえた。
汲んできてもらった水のことを思いながら、声のした方向へ振り向くと、そこには意外なものを抱えたヤシャの姿があった。
「ヤシャ…………そいつは?」
「分かりません……。けど、途中の道で倒れていたので」
心配そうなヤシャの視線がそいつに向けられる。
ヤシャが抱えてきたのは、小さな少女だった。
ボロボロにくすんだ白い布を身に纏った少女の肌は所々泥やらで汚れていて青みがかったショートヘアーもボサボサになっている。
端的に言って、行き倒れ、という表現が最もふさわしい状態だった。
「まだ息はあるのか?」
閉じられた少女の目元を覗きながら、ヤシャに問う。
「はい。……ですが、かなり危険な状態なのは確かです」
「ふーん。で、どうするの?」
そんなヤシャがこの少女を拾ってきた時点で、もとい、ヤシャがヤシャである時点で、答えの分かり切った質問を彼女に投げた。
「弱きを助け、強きを殺す。……ですから、助けます。必ず」
「よっしゃ。じゃあ俺も手伝うよ」
「ありがとう、フレア。じゃあ、あなたは水を汲んできてくれますか。この子を拾った場所に入れ物を置いておきましたから」
「了解、じゃあ行ってくる」
「お願いします。私はこの子を家に連れて行きますね」
そう言うと、ヤシャは少女を抱きかかえながら、ログハウスへと歩いて行く。
俺も俺で、言われた通り、水を汲みに川へと向かった。
実際、あの少女がどうなろうと、俺にとってはどうでもいい。
だが、憧れのヤシャが助けると言っている。それだけで動くのには十分すぎる理由だった。
***
その日の夜。
少女の介抱を終えた俺たちは、彼女をヤシャの部屋のベッドに寝かせてから、夕飯の支度を開始した。
「なあ、ヤシャ。俺たちのとは別に、粥とかも作っといたほうがいいか?」
「ああ、そうですね。一応用意しておきましょうか。もしまだ目覚めないようなら、私が食べますし」
「とか言って、ヤシャが食べたいだけなんだろ?」
「な……! 私はそんなあさましい人間じゃないですっ。だいたい先に聞いてきたのはフレアの方でしょう?」
「あはは。ほら、ヤシャはよく食うから」
「だからって人のものまで取ったりしませんよ、もう」
そんな他愛もない会話をヤシャと交わすが、どことなく不思議な感じだ。
ここでの暮らしももう三年目。その間にこの場所を訪れる客など一人もいなかった。
だから必然的に、飯も自分たちのためにしか作ったことがない。
ヤシャ以外の誰かのために飯を作るというのが新鮮だった。
「でもまあ、とりあえず命に別状はなくて良かったな」
「ええ、ほんとに……」
別に医者を呼んだわけではないが、命を扱うことに関してヤシャはある意味エキスパートだ。
殺すほどに容易ではないが、ある程度なら治療を施すことができた。
俺の知らない知識や経験を用いて必死に介抱をしていたヤシャ。
誰かのためにひたむきに頑張る彼女の姿が目に焼き付いていた。
「でも、どうしてあんな場所に倒れていたんでしょう」
「さあ。まあ、好奇心に駆られた子どもが森に入ってきた、とかはあるあるだよな」
「もしそうなら、生きていてくれたことは奇跡に近いですね」
実際、この森で「帰らず」になってしまった奴の亡骸なんかも稀に見る。
それに遭遇した時のヤシャの横顔は決まって哀し気だった。
「それにしても、この家にとっては初めての客だけど、ヤシャ大丈夫?」
「……? 何がです?」
「いや、ヤシャが俺以外の人間とまともに会話できたとこ見たことないからさあ」
「そ、それは……」
昼間の店主とヤシャの会話を思い出す。
あそこまで酷いのもなかなかレアではあったが、ヤシャのコミュニケーションのレベルは基本あんな感じだ。
声は小さいし、常に緊張しておどおどしてるし。
まあそれが可愛いんだけど、大抵はあの店主のように相手も困惑気味になることが多い。
「もしアレなら、俺が代わりに話してもいいけど」
「い、いえ……。私も、あの、お話したいので……。あの、せっかくのお客様なので、その」
これからのことを考えて、すでにキョドりだしたヤシャだったが、これは本当に彼女の本心なのだ。
「まあ、人、好きだもんな」
「そ、そうです……」
そう、ヤシャはコミュケーション能力が死ぬほど低いだけで、本当は人が大好きだ。
けれど、彼女の生い立ちのこともあって、誰かと過ごすことはなかった。
まあそのあたりは今はどうでもいいか。
「その、友達とか……、なれるでしょうか、えへへ……」
ヤシャと少女では、友達というよりは姉妹という感じの年齢差があるように感じたが、それも固定観念だなと思い直す。
「いいんじゃない。……ヤシャに友達とかちょっと想像つかないけど」
「ひどいっ」
***
夕食を済ませた俺たち。
その後はそれぞれがリビングで適当に過ごしていた。
そろそろ寝る時間、となったところで、何やら難しそうな本を読んでいたヤシャが席を立ち、自分の部屋に少女の様子を見に行った。
「すやすや寝てました」
「そっか。まあ休めてるなら何よりだな」
「はい。……それで、フレアももう寝ますよね?」
「あー、うん。そろそろ部屋に行こうかなと思ってた」
あっ。そうか、ヤシャのベッドでは今少女が寝ている。
つまり、今晩彼女の寝る場所がないのだ。
しょうがない。今日はヤシャにベッドを貸すか。まあ、一晩くらいなら地べたで寝ても大丈夫だろ。
「……ヤシャ、俺のベッドで寝ろよ」
「え、ええええ!!?」
なぜか大げさなほどに驚くヤシャ。
そしてみるみるうちに顔が赤くなっていく。
「え、あの、フレアはいいんですかっ?」
「……? 別にいいよ。事態が事態だし」
「そ、そうですよね。しょうがないですよねっ。大体私たちは、か、家族なんですから、別に、何も起こらないですよねっ」
まるで誰かに言い訳するようにぶつぶつと言っているヤシャ。
相変わらずよく分からない様子だったが、とりあえず声を掛ける。
「うん。じゃあ、おやすみ」
「は、はいっ。おやすみなさい」
そう言うと、ヤシャはリビングから出て俺の部屋へと向かった。
さて、じゃあ俺も寝るとするか。
部屋を照らすランプの灯を消そうとした時、ヤシャがリビングに戻ってきた。
「…………え?」
「あれ、ヤシャ。なんか忘れ物か」
「あ、はい。忘れ物と言えば忘れ物なんですけど……」
「そっか。灯り消す前でよかったよ」
「…………」
忘れ物を取りに来たというヤシャ。
しかし、一向にその場から動く様子がない。
「……? ヤシャ?」
「えっと、あれ? フレアのベッドで寝るんですよね?」
「え、うん」
「そ、そうですよね。じゃあ行きましょうか」
「うん、おやすみ」
「……あれ?」
「……ん?」
「えっと、フレアも来ますよね?」
「いや、俺はその辺で寝るよ?」
今日俺の寝床となる予定の、堅そうな木製の床を指し示す。
「……………………」
「……………………」
お互いが沈黙し、一瞬時が止まったように錯覚する。
先に口を開いたのはヤシャだった。
「ダメですダメです! そんな堅い床でまともに休めるはずないじゃないですか!」
「いやまあ一晩くらいなら大丈夫だろ」
「全然ダメ。ダメすぎです。ほら、一緒に寝ますよっ」
「いや一緒に寝るって、そっちの方がダメなのでは」
「何言ってるんですか私たちは家族なんですから何も問題ないはずですよ別にフレアと一緒に寝られることが嬉しいとかそういうことではなくてベッドが足りないから仕方なくというところでそういう意味ではあの子と一緒に寝るとかも考えられますがやはり寝起きに知らない人間がそばで寝ているというのも薄気味悪いでしょうしそのことも考えると消去法的に私とフレアが一緒に寝るというのは当然と言っても過言ではないですしというかあんな言われ方されたら普通にそう思うのが普通ですしたとえ勘違いだとしても発言には責任が伴うということも学ばなければなりませんしとにかく私とヤシャが一緒に寝るということはもう決まっていることなのでさあほらあなたの部屋に行きますよ」
「ちょ、ヤシャ、引っ張るなって!」
普段の口数からは考えられないほど早口かつ長文でまくしたててくるヤシャはその馬鹿力でもって、俺を俺の部屋へと引き連れていった。
部屋に連れられた俺は、そのままベッドに放り込まれる。
「ぐえ」
「それじゃあ、私もお邪魔しますね♪」
そう言うと、ヤシャも俺のベッドの上に寝転がった。
上から毛布が掛けられる。お互い、仰向けになっていると肩や腕が密着する。
狭いシングルベッドではこんな風に肌と肌が触れ合う距離感になるのも必然だった。
「ふふ。こんな風に一つの布団で寝るなんて、新鮮で、なんだか少し緊張してしまいますね?」
「あ、ああ」
そう言われると確かに自分の心臓の鼓動が少し早くなっているのに気づく。
ヤシャと出会ってからしばらくは野宿で一緒に寝る機会もあったが、さすがに寝床まで同じになったことはない。
健全な男子として、たとえ家族とはいえヤシャのように可憐な女性と寝ることに気持ちが高ぶっているらしかった。
とにかくこんな状態では寝ることもままならない。
俺は、気を紛らわすためにヤシャに話しかけた。
「なあ、ヤシャ?」
「……………………」
「……? ヤシャ?」
「……………………………………スヤ……」
いや寝るの早すぎるだろ!
まだ布団に入ってから一分も経ってないぞ!?
「はぁ……」
俺は呆れて大きなため息を吐いた。同時に変に張っていた気が緩み、いくらか落ち着くことができた。
それから、すでにすやすやと眠ってしまったヤシャの寝顔を覗き込む。
「あんなに強い怪盗赤鬼も、眠ってしまえばこんなに可愛らしいんだな。まるで天使だぜ」
ヤシャ=オーグル。
伝説の鬼の血を受け継ぐ彼女は、大きな殺人衝動とそのための力を腹のうちに飼っている。
過去にはその力で大きな事件を起こしてしまったこともあるらしい。
そんな彼女の信条が『弱きを助け、強きを殺す』だ。
その信条を達成できるとして、今は怪盗、いわゆる義賊なんてことをしている。
どうして彼女がその心情を大切にしているかは分からない。けれど、俺にとっての師が大切にしていることなら俺もそれを大切にしたいと思う。
それに何より、初めて出会ったあの日の衝撃を俺は絶対に忘れない。
「俺たちはいったいどこから来て、どこに流れていくんだろう……なんてな。寝よ」
柄にもなく変なことを呟いてしまったことを少し恥ずかしく思いつつ目をつむると、腰に何かが絡みついてくる感触があった。
何かと思い目を開いて覗くと、隣で寝ていたヤシャの腕が俺を抱くように腰に回されていた。
「…………えへへ…………フレア……」
すやすや眠るヤシャの顔に幸せそうな微笑みが映る。
「嘘だろ……可愛すぎんだ、ロ……!?」
不意に抱きしめられていた自分の身体に異変を感じる。
その異変は痛みに変わって俺に襲い掛かってきた
「いっ……! いたっ、いたたたたっ!! ちょ、強く抱きしめ過ぎだ、って、おいい!!!」
「……………スゥゥ…………ん……へへ、ぎゅーーーっ…………」
「ぎゃあああああ!!!」
全力のヤシャの抱擁に、結局俺は一睡もすることができなかった。
***
朝になり、ようやくヤシャが俺の身体を解放してくれた。
少しの欠伸をした後
「じゃあ、ちょっとあの子の様子を見てきますね」
と言って、俺の部屋を後にした。
締め付けるような痛みが無くなった反動で急激に眠気が襲ってきたので、俺はそれに身を任せて気絶するように眠った。
それからしばらくの時間が過ぎて、太陽がちょうど真上に上った頃、ヤシャの呼ぶ声で俺は目が覚めた。
「あ、フレア。もうお昼ですよ。少しだらしないのでは?」
「いや、誰のせいだと思ってんだ……」
「……?」
「ああ、何も覚えてないのね……」
寝起きということもあってテンション低めな声で応対していたが、反してヤシャの方は底抜けに明るい様子になっていた。
「よく分かりませんが……。とにかく! さっきあの子が目を覚ましたんですよ!」
「へえ、よかったな」
「それで少しお話させてもらったんですけど、なんとも性格の良い子なんですよー」
「え! ヤシャが初対面のやつと話せただと!?」
「ちょっと。そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」
さすがにびっくりした。だってあのヤシャだぞ?
俺でさえ最初はまともに会話できなかったというのに……。
「それで、フレアのことを話したら挨拶したいって言ってくれたんです。だから呼びに来たんですよ」
「ふーん」
まあ、ヤシャのこの様子からしてしばらくはウチにいることになるのだろうし、早めに顔を合わせておくに越したことはない。
「よし、じゃあ行くか」
ベッドから起き上がった俺は、ヤシャと一緒に彼女の部屋へと向かう。
ドアを開けると、窓際の白いベッドに壁を背にして腰掛ける少女の姿があった。
吹き込む風が澄んだ青の髪を撫でると、こちらに気づいた少女がニコリと微笑みをたたえた。
介抱のおかげもあってか、最初のみすぼらしい姿の面影はどこにもなく、楚々とした雰囲気を少女から感じていた。
「こんにちは。あなたが、フレアさんですか」
「ああ。目、覚めたみたいで良かったよ」
「はい。それもこれもヤシャさんとフレアさんが助けてくださったおかげです。本当にありがとうございます」
丁寧にお辞儀をする少女。そういえばまだ彼女の名前を聞いていない。
「お前の名前は?」
「申し遅れました。私はルコ、といいます」
「ルコ、か。うん、まあとりあえずよろしくな」
「はい。よろしくお願いします」
年の割にかなりしっかりしている、というのが第一印象だった。
これなら、ヤシャがうまくコミュケーションを取れたとしても不思議ではないかもしれないが……。
ぐーーーーーーーー。
不意にルコの腹から凄まじい音が鳴り響いた。
「あ、ル、ル、ルコちゃん、お腹空いてるんです、か?」
「い、いえっ。すみません、こんなはしたない……っ」
まだキョドり気味のヤシャが尋ねると、ルコは急激に顔を赤らめて、あたふたとしていた。
「まあ少なくとも昨日倒れてるのを見かけてから飯食ってないんだから、そりゃ腹も減るだろ」
「う、うんうん、そうですよ。自然の摂理というやつ、です……!」
「あぁ、すみません……、恥ずかしい……」
「そういや俺も朝飯食ってなかったしなんか腹減ってきたな」
ふと昨日作った粥のことを思いだしたが、今食べるには時間が経ちすぎている。さすがに腐り始めているかもしれないものを客に食わせるのは気が引けた。
「ああ、あのお粥なら私が朝ごはんに食べちゃいましたよ」
俺の思考を読み取ったかのようにヤシャがそのことを告げる。
「おっけー。じゃあまた作ってくるからちょっと待ってろよ」
そう言って、俺はヤシャの部屋を後にして台所へと向かった。
***
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「おそまつさま。まあただの粥だけどな」
少しは空腹も満たされたのか、ルコは満足そうな表情をしていた。
ルコに出した空になった皿を盆に取り下げたところで、俺は気になっていたことを尋ねた。
「なあ、ルコ。お前どうしてあんなところで倒れてたんだ?」
俺の問いかけに居住まいを正したルコだったが、少し困ったように眉尻が下がった。
「それが……目を覚ましたらこのベッドの上にいて、自分がどこで倒れていたとか何をしていたかについての記憶が曖昧なのです」
「じゃあ、この家がどこにあるのかってことも分かってないわけだ」
「はい。すみませんが、ここはどこなんですか?」
「帰らずの森だよ」
「えっ」
その名前を聞いた途端、ルコの表情からさーっと血の気が引いた。
無理もない。何も知らない者にとって、それは自身の避けられぬ死を伝えられているのとほぼ同義だ。
「大丈夫だって。とりあえずここにいる限りは安全だから。なあヤシャ?」
「は、はい。安心してくださいねっ。ネズミ一匹通しません。もし通してもちゃんと殺しますから……」
「あ、あの、お二人はいったいどういう方々なのでしょうか……?」
物騒なことを呟くヤシャに若干怯えた様子のルコが俺たちの素性について尋ねてきた。
「え、言ってもいいよなヤシャ」
「ど、どぞ」
「なんていうか自分から名乗るのも恥ずかしいけど、俺たち、怪盗やってるんだ。赤鬼って聞いたことないか?」
「えっ、赤鬼ってあの義賊のお方ですか!?」
「そうそう。まあその赤鬼はヤシャのことなんだけど。俺は弟子というか助手みたいなもん」
驚いた様子でヤシャのことを見つめるルコに、彼女はなぜか軽く会釈をしていた。
「世間、というか上層の方では極悪非道だなんて言われてますけど……。私たちは知ってます。怪盗・赤鬼は正義の義賊だということを」
「あー、じゃあお前もスラムにいたんだな」
「はい。私たちも、あのばらまきの恩恵を受けていたので……」
ばらまき、とは要するに腹の肥えた権力者から奪ってきた財をスラム街にばらまくことだ。
そんなことをしているからこそ、俺たちはスラムの連中に義賊だなんだともてはやされている部分があった。
ただ、今はそんなことよりルコが私たち、と言ったことが気になった。誰か他の人間と暮らしているのか?
そんな引っ掛かりをよそに、ルコはどこか恐縮したように言葉を重ねた。
「でも、あの失礼かもしれないのですが、私、気になっていることが一つあって」
「ん?」
「どうしてあなたたちは怪盗なんてやっているのですか?」
どうして、か。俺の場合はシンプルで恩人であり師匠のヤシャがやっているからというだけなんだけど。
それじゃあ、ヤシャはなんで怪盗なんてやっているのか。それは俺も少し気になった。
「……弱きを助け、強きを殺す。その正義を示すために、私は怪盗をやっています」
「それは……、あなたがやらなければならないことなのですか?」
「どうでしょう……。私が授かった力はあまりにも強大で危険です。ですから、正義をかざして意味を見出すことで、それこそがこの力を授かった者の宿命なのだ、と思い込みたいだけなのかもしれません」
その時、窓から風が吹き込んだ。風に吹かれた長い前髪の下、露わになったヤシャの瞳はまっすぐな輝きを放っていた。
「それでも、誰かのためになりたい、誰かのためにこの力を振るいたいというこの気持ちだけは本物なのだと……、私は信じています」
部屋の中に静寂が満ちる。生唾を嚥下する音がやけに大きく聞こえる。
軽く受け流すことなど到底できない。それほどの重みがヤシャの言葉にはあった。
やがて、ルコが口を開く。
「すごい、ですね……。私にはそれが正しいことなのかどうか判断するほどの器量はありませんが、ヤシャさんの想いの強さだけはとても伝わってきました。それこそ、あの子でなくとも……」
「あの、なんか、て、照れますね……あはは……」
先程見せた力強さはすでに鳴りを潜め、いつものちょっと頼りない雰囲気のヤシャが恥ずかしそうに笑っていた。
それはいいとして、俺はここまでのルコの話で気になっていたことを尋ねてみることにした。
「さっきから私たちとかあの子とか言ってるけど、もしかしてここに来る前は誰かと一緒だったんじゃないのか?」
図星を突かれた、というほどの動揺は見せないが、それでもどこか物悲し気な表情がルコの顔に映し出された。
「……はい。お察しの通り、ここに来る前、私は双子の妹コルと一緒にいました」
しかして凛とした態度で、彼女は俺たちに、怪盗に、依頼を持ちかけてきた。
「お願いがあります。私の妹、コルを奪い返してくれませんか」
***
「きっかけは私たちがある能力に目覚めたことでした」
「ある能力、ね」
「はい。私が手に入れた能力は心を送る力……。と言ってもよく分からないと思うので、実際にお見せしますね」
ルコが口を閉じると、頭の中に声が流れ込んできた。
(どうでしょう。聞こえていますか?)
「!?」
俺は露骨に驚いた表情を顔に出してしまった。一方のヤシャは、冷静さこそ失っていないが興味深そうにルコのことを見つめていた。
(ふふっ。どうやら、聞こえてるみたいですね。これが、私の心を送る能力です。思い浮かべた相手の脳内に直接語り掛けることができます)
「へえ……、すごいですね……」
(ありがとうございます。この能力には距離制限がありません。つまり、どんなに離れていても私が相手のことを思い浮かべられる限りは、私の心が届きます)
それが本当だとしたら、とんでもない能力だ。
おそらく上層の騎士団なんかが使っている通信魔法など比にならないほどの性能だと言えるだろう。
(ただ、この能力は送る限定なので、受信はできないのです。今は直に声が聞こえているので会話も成立していますが)
「なるほどな。じゃあ察するに妹の能力ってやつが……」
「はい。心の受信、つまり人の心を読む力をコルは持っています」
能力を解除したルコの口から直接その事実が告げられる。
心を送る能力に、心を読む能力。
それぞれ単体でも凄まじい能力だが、お互いに補完し合うことができたら、例えば一つの戦争のあり方が変わるほどの力を発揮するだろう。
「スラムで暮らしていた私たちはこの能力を多用しました、……生きるために」
スラムの空に浮かぶ鉄の大地。
上層部と下層からなるこの国の構造ではスラムの住人は徹底的に管理され搾取される対象だった。
そんな中で、スラムの住人は日々を懸命に生きている、たとえどんな悪事に手を染めようとも。
「しかし、それが祟ったのでしょう。私たちは怪しげな男たちに誘拐されてしまいました」
「もしお前たちの能力が勘づかれていたとしたら、それを手にしようとするやつはごまんといるだろうな」
「はい、そうかもしれません。けれど、どこかに運ばれる途中、コルが能力を使って一瞬の隙を見つけて私だけを逃がしてくれたのです。よく覚えていませんが命からがら逃げた先で倒れてしまったのでしょう」
「そうだったんですね……」
同情するように、ヤシャは瞳を閉じてその場面を想像しているようだった。
全てを話し終えて、改めてルコは俺たちに依頼する。
「報酬はありません。図々しいことを言っていることも承知しています。だけど、どうか、どうかっ、私の妹を、コルを、助けてくれないでしょうか……っ!」
涙交じりに頭を下げるルコ。
そんな人の姿を見て、俺の師匠がその頼みを断るはずがなかった。
「はい……! 引き受けましょう!」
そうくれば俺にも断る理由はなかった。
「誘拐した男の顔とか服装は覚えてないんだよな?」
「はい……、ごめんなさい」
「いいんですよ。そんなのはこれから調べればいいんです」
そう言うと、彼女は高らかに宣言した。
「さあ、まずは聞き込み調査の開始です!」
***
と息巻いたはいいものの……。
ヤシャは人との会話が下手くそだった。
「うっ、うう……、ごめんなざいっ、フレアぁ」
「あーはいはい。そういうのは俺の役目だし、大丈夫だよ」
いくらヤシャが人好きで聞き込みにも積極的だとしても、一人あたり一時間もかかってしまっていてはさすがに使い物にはならない。
そんなわけで俺一人でとりあえず人の集まるスラムへとやって来たのだった。
「とはいえ、どうしたもんかね」
スラムに行き交う人々の流れを眺めながら、俺は思案に耽る。
差し当って俺たちが知りたいことは一つ。
どこのどいつがルコたちを攫ったのか、ということだった。
しかし、そのことを闇雲に聞いても成果が上がるとは思えない。色々と切り口は考えられるが……。
「たしか、この辺に住んでたって言ってたよな」
大通りから外れた脇道に出る。光の差し込まない、じめじめとしたその道には、ごみや廃材で建てられた、小屋と呼べなくもないスラム民の住居が並んでいた。
この時間は働きに出ている奴が多いのかあまり人の気配はしない。が、もう動くこともままならないといった様子の老人が何人か軒先でぼーっと座り込んでいた。
とりあえず俺はそのうちの一人、俯きながらぼそぼそと何かを呟いているじじいに声を掛けることにした。
「おい、じーさん。ちょっと聞きたいことがあるんだけどよ」
「あ……? なんじゃ貴様」
何か気に障ったのか、思ったより鋭い眼光でじじいがこちらを睨み付けてきた。
「俺はフレア。ちょっと人を探してるんだが、この辺に青い髪をした双子の少女がいるって聞いたんだけど何か知らないか」
「ふん、青い髪の双子か……。どうじゃろうな、知ってるかもしれんし、知らないかもしれん」
「ちっ。回りくどいじじいだな」
俺は持っていた銭をいくつかじじいの足元に転がすと、待っていたかのようにそれを拾った。
「たったこれだけか。しけた奴じゃの。まあいい、その双子とやらについて聞きたいんじゃったか」
「ああ、やっぱり知ってるんだな」
「まあのう。こんなしみったれた場所には眩しいくらいの若い輝きがあの子らにはあるからの。そういえば最近は姿を見ておらんな……」
「家とかどこにあるか知ってるか」
「ああ、すぐそこじゃよ。よっこいせ……。ほれ、ついて来い」
言われるがまま、のろのろと歩き出したじじいの後ろについていく。
三十メートルほど歩いたところで、じじいの歩みが止まった。
「ここじゃ」
別に周りのボロ小屋と何も変わらない、すすけた布を壁に、廃材を天井にした最低限雨をしのぐだけの建物だ。
ルコはここで攫われたと言っていたが……、もしかしたら何か痕跡があるかもしれないと思った俺は、腰を低くして、狭い入口から中を覗き込んだ。
「特におかしなところはない、か」
狭い部屋の中には布団代わりの小さな布と、飲み水の入った汚れたビンが置いてあるだけだった。
「この辺りで何か悲鳴とかそういうのは聞かなかったか?」
「いや、わしは知らんのう。……おや、なんじゃこれは」
そう言ってじじいが小屋の前にしゃがみ込むと、何やら黒い物の小片を拾い上げた。
「なんだこれ、黒い布……?」
じじいから奪い取ったそれを眺めてみる。スラムに落ちている布にしては妙に触り心地が滑らかで、どことなく高級そうな材質だった。
俺に布を奪い取られても、さして気にしてもいない風のじじいは、特に何も言わず、もと居た場所へと戻っていった。
「もしかしたら、誘拐した奴の着てた服の一部だったりするのかもな」
そんな風に推測を立ててみるものの、さすがにこの小片からその全体像を想像することは難しい。
俺は住民が仕事から帰ってくるのを待ってから、双子に関することや、怪しげな奴を見なかったかということを手当たり次第に聞いていった。
しかし、特にめぼしい収穫を得られることもなく、気づけば日は暮れて、夜が訪れる時間になっていた。
「こんな時間になっちまったし、外で食って帰るか」
聞き込みを切り上げた俺は、スラムの酒場へと足を運んだ。
飯に関しては俺が作った方が万倍もうまい自信があったが、何しろここには酒がある。
ヤシャには禁止されてるけど、今日は頑張ったし、ちょっとくらいいいよな。
カウンター席に座って注文してしばらく経った頃、料理と酒が運ばれてきた。
さあ飲もうと、手をグラスに伸ばした瞬間、横からにゅっと伸びてきた腕にグラスを横取りされてしまった。
「な……っ」
振り向いた先では、金色の髪を肩口まで伸ばした碧眼の少女が、ニヤニヤとこちらを見て笑っていた。
「こらこら。ダメじゃないか、未成年飲酒だなんてさ」
着けていた鹿撃ち帽を被り直した少女は、ひったくったグラスをぐいと煽って、一気飲みした。
「ぷはぁー! 今日も酒がうまい!」
それが俺と探偵と名乗る彼女との出会いだった。
***
「誰だお前……!」
「おーおー、怖いなあ。そんなに睨み付けなくてもいいじゃないか」
「お前が俺の酒を横取りしたからだろうが!」
「横取りとは人聞きが悪いなあ。僕のは善意だよ、青少年の健康に悪影響を及ぼしちゃいけないってね」
なおも変わらず不敵に微笑む少女。
「なに、確かにこれじゃあ僕が君の物を取ったということになるのも分からない話ではない。そうだね、ミルクでいいなら奢らせてもらうよ?」
「そっか。じゃあ許すわ」
「え、いいんだ」
どこか拍子抜けしたような声。
まあ代わりに奢ってくれるというならそんなに怒るほどの話でもないと思った。
「ほら早くしろよ。それとも今のは嘘か?」
「いや……ふふ、面白いね君。おーい店員さん……」
そうして少女が頼んだミルクが俺の卓に届けられた。ついでに頼んであった自分の分の酒を飲みながら、少女が口を開く。
「さて、それじゃあ自己紹介といこうか。僕はアイリス、私立探偵をやっているんだ」
「探偵? なんだそりゃ」
「ああ、まあ下層ではそんな職業の人はいないよね。といってもどう説明したものか……。ざっくり言うと依頼されたことに対して応えていくっていう感じの何でもやってとこかな」
そう言われてもイマイチピンとこない。
「具体的にはどういうことしてんだ?」
「うーん、そうだなあ。何か探し物がある人の手伝いをしたり、色々と調査をしたり……、あとは何か大きな犯罪事件の解決依頼、とかね」
「ふーん」
「それで? 君の名前も教えてくれよ」
「ああ、俺はフレア。しがない下層の住民だ」
まさか大っぴらに怪盗をやっているとは言えるはずもなく、ヤシャに誰かに自分のことを聞かれたらこう言え、というのをそのまま言った。
「へえ。てっきり僕は君のことを同業に近い類だと思っていたんだけど……」
「同業って、探偵か? さっきまで言葉の意味も知らなかったぞ」
「いや、実は僕もある調査をしにここにやって来たんだけど。そうしたらすごい勢いで聞き込みをしている少年がいたから、気になってこうして声を掛けてみたんだよ」
「ああ、見てたのか」
「それで、君は何について調べていたのかな? もしかしたら、僕も協力できるかもしれない」
そう言われて今日の成果を振り返ってみるも、あんなに聞き込みをしたのに得られたのはルコの家の前に落ちていた黒い布だけ。探偵だか何だか知らないが、助けを借りるのは確かに悪くない手だとは思うが……。
「なんで見ず知らずのお前が俺を手伝ってくれるんだ?」
「あー……、さっきここにあることについて調査に来たって言ったでしょ? 恥ずかしい話、その手掛かりが今のところ全くつかめてなくてさ。だから今はとりあえず、下層の生活を観察しながら人脈を広げてるってわけ。これはその一環さ」
「そのあることって、一体何なんだ?」
「うーん、それが全体像が大きすぎて僕にもまだ何のことなのか分からないんだよね」
「なんだそりゃ」
「あはは。でも、目下のところ探している人はいるかな。……怪盗・赤鬼っていうんだけど、フレアは何か知ってるかい?」
「……いや」
「そっか、下層では結構有名になっているらしいんだけど……。義賊とか呼ばれてさ」
アイリスの口から赤鬼の名前が飛び出してきて、咄嗟に嘘をついてしまった。
こいつ、ヤシャのことを探っているのか? いったいなぜ?
「まあその話は今はいいか。それより、フレアの方はどうなの? 誰かを探しているようだったけど、聞き込みの成果はあったかい?」
「いや、ほとんどない。強いて言えば、そいつの家の前で拾ったこの黒い布があるが、これもほとんど手がかりとしての意味を持たないだろう」
「へえ……? ちょっと触らせてよ」
取り出した黒い布に興味を示したアイリスにそれを手渡す。
手に取った瞬間、アイリスは驚いたような表情を見せた。
「この手触り……、見せてもらった時にはまさかと思ったけど、これ、騎士団が使ってるローブと同じ材質だ」
「そんなことが分かるのか。というか、あいつらローブなんて着てたっけ、いつも鎧をつけてた感じがするけど」
「実は僕、騎士団の人たちとはそれなりに交流があってね。隠密活動をするとき、彼らは黒いローブを着るんだ」
「へえ……」
それではもしや、ルコたちを誘拐した実行犯の正体は……。
自分の考えと同じ結論をアイリスは口にした。
「フレアは人を探してるって言ってたよね。もしその人が攫われたとしたなら、騎士団の仕業である可能性が高い……!」
その瞬間、俺たちは屈強そうな男どもに卓を囲まれた。
その光景を見渡したアイリスはくっくっと堪えきれないように笑みをこぼしていた。
「どうやら当たりみたいだよ、フレア」
「ああ。そうみたいだな」
「というわけで、助けてくれフレア」
「はぁ?」
「何しろ僕は頭脳派だからね。こういう荒事には向いていないのさ……っと」
アイリスに向かって振り下ろされた刃。俺はその面を蹴るようにして、軌道をずらす。
地面に叩きつけられた剣の反動でよろめいている男の顔面に思いきり拳を打ち込み、吹き飛ばした。
「ひゅう。強いとは思ってたけどさすがだね、必ず君は僕を助けてくれると信じてたよ」
「ああ? なんでそんなことが分かるんだよ」
「少し立ち居振る舞いを見ればそのくらいのことは分かるさ。それに君は、どうやらとても良い人のようだしね」
一人はのしたが、依然男たちに囲まれているのは変わらない。じりじりと距離を詰められつつ、現状を正確に観察する。
相手は八人。全員が見覚えのある剣を構えている。おそらく騎士団の人間なのだろう。
対してこちらは二人。しかもそのうちの一人は助けてくれなんて言ってきやがる。確かに小柄で華奢な体躯は戦闘向きとは言えないが、その割には今も酒を飲みながら、
「ほらほら~、頑張れフレア~」
などと余裕そうに煽ってきやがる。なんだこいつ、くそうぜえな。
ただ、こいつを巻き込む形になってしまったのも事実。それに、仮にも助けを求めた相手にヤシャがどう振舞うか。それは考えるまでもないことだ。
……八人同時にアイリスに襲い掛かられたらさすがに守りようがない。そうなる前に俺は、目の前の相手に向かって攻撃を仕掛けた。
「……しっ!」
顎に向かって思いきり掌底を放った後、グラグラと揺れる身体を蹴りで吹き飛ばす。まずは一人。
それがスイッチになって、男たちの注意は俺一人に集中する。
うん、悪くない。アイリスを守ることを勘定に入れると少し面倒だが、この程度の奴ら、百人相手にしても負ける気はしなかった。
「はあああああ!!!」
「やああぁぁ!!」
気勢と共に無数の刃が同時に切り付けてくる。しかし、その軌道は単純すぎて、死線の間隙を探すのは容易なことだった。
攻撃の後の硬直。ぎりと拳を握り締めて、無防備になった腹に容赦ない一撃を叩き込む。二人目。
その要領で、一人また一人と男どもを制圧していく。そうして最後の一人を倒した後、俺は仰向けに転がったそいつのことを見下ろしていた。
「お~。お疲れフレア、カッコよかったよっ。……フレア?」
アイリスが何か言っているような気がするが、全然頭に入ってこない。
それよりも俺の頭の中では、ヤシャの正義、その信条が反芻されていた。
弱きを助け、強きを殺す。
そうだ、強い奴は殺さないと。そうでなければ弱い者はしいたげられ続けるだけだ。
炎上するどこぞの屋敷。壁に血飛沫、床一面に血華が咲く。
揺らめく視界の中で、ぽつんと佇む赤い髪の女がニヤリと笑ってこちらを見ている。
ああ、それは俺が生きてきた中で一番美しい光景だった。
「……殺人拳鬼、一つ」
深い呼吸。腕を水平に引き、構えを取る。
人を殺すことにおいて、その一撃は必殺の拳。
「砕頭鬼」
呟くようにその技の名を口にして、溜めていた拳を放つ。
その名の通り頭を砕く一撃。生命を絶命させるための単純で確実な手段だった。
瞬間、アイリスが叫んだ。
「殺すな!!!!!!!」
その一言に、はっと我に返る。狂った手元は男の頭上の床を打ち抜いていた。
ずどんと大きな音が店内に響き、衝撃で土煙が宙を舞う。
半ば放心状態になっていた俺は視界の端、土煙の先で何か光るものを捉えた。
「サンダーボルト!」
猛々しい呪文と共に、男の握る杖の先から、激しい雷光が伸びてきた。伏兵。
精神状態も相まって、今の俺の反応速度ではかわしきれない。
思わずぎゅっと目をつぶると、ひどく静かな、それでいて力強い言葉が紡がれた。
「絶」
バリバリバリィッ!!
耳を劈く音と衝撃が店内にこだまする。
しかし、自分の身体にダメージは無いようだった。
恐る恐る目を開くと、目の前の空間にバチッ、バチッと電気が帯電していた。それはまるで雷撃が見えない壁に阻まれたかのようだった。
「な、なんだこれは……」
騎士団の術者と思われる男が、意味が分からないというように目の前の光景に対する困惑を口に漏らした。
「ふふ。なに、簡単なトリックだよ。今私が指定した空間、そうこの辺りだね。ここではあらゆる事象が拒絶される」
「馬鹿な……! そんなことがありえるわけが……」
「固定観念。先入観。僕からすれば、ありえないなんていうことはありえない。目に映ったものはすべて真実だ」
そう言うと、トレンチコートのポケットに手を突っ込んだまま、彼女は二の句にして終の句を紡いだ。
「転」
その瞬間、見えない壁から飛び出した雷撃が男を襲った。
「ぐあああああああ!!!」
どさっ。
大きな声を上げて苦悶の表情を浮かべながら、男はその場に倒れ伏した。
それを見届けたアイリスは膝をついた俺のそばに歩み寄ると、手を伸ばした。
「お前、何者だ」
「ただの探偵さ。少しばかり天才ではあるけどね」
俺はその手を取って、彼女に引いてもらいながら身を起こした。
立ち上がった後も、なぜかアイリスは手を離さない。
「よく我慢したね。偉いぞ」
「…………」
「たとえどんな理由があろうと、人を殺す、なんてことだけはしてはダメだ」
「別にお前が言ったからじゃない。少し手元が狂っただけだ」
「うん。今はそれでいいよ」
ニコリと笑ったアイリスは満足そうに頷いた後、口を開いた。
「よし、フレア。それじゃあ、逃げようか」
「は?」
そう言われて周りを見てみると、ぐちゃぐちゃに壊された店内と怒り心頭といった様子の店主の姿が。
「おい、お前らぁ。よくも俺の店で好き勝手やってくれたなぁ……」
「あはは。ごめんごめん、でもよく言うだろ? 火事と喧嘩は酒場の華ってね」
「そんなこと知らねえんだよ!」
がっしりとした図体の筋肉野郎がこちらに向かってくる。
「あー、こりゃ当分出禁だなあ。ほら走るよフレア」
「その必要あんのか?」
別にあの店主だってのそうと思えば一発でのせる。
「お話にはオチってやつが必要だからね。まあ今回のはベッタベタだけど」
「よく分かんないけどまあいいか」
「うんうん。それじゃあ……、にっげろー!」
「待ちやがれええええ」
楽しそうなアイリスの声と怒って追いかけてくる店主の声を聞きながら、俺たちは店の外へと駆け出したのだった。
***
月明かりを道標にして、俺とアイリスは帰らずの森を歩いていた。
「というか君が赤鬼なの?」
「いや、違う。俺は赤鬼の弟子だ」
「あら、教えてくれるんだ。僕、騎士団に通報とかしちゃうかもよ?」
「別に誰が襲ってきてもヤシャは負けねえよ。てか何でお前ついてきてるんだ」
「えー、いいじゃないか。僕たち共に戦った戦友だろ?」
「誰が戦友じゃ」
軽口を叩き合いながら、なおも森を進む。
殺人拳鬼。ヤシャに教えてもらっていた鬼の名を冠する拳術を見られてしまったからには、隠そうが隠さまいがアイリスはやがてここまでたどり着くだろう。
だが、辿り着いてアイリスが何か仕掛けたとしても、ヤシャは容赦なくそれを粉砕し殺してしまう。本気のヤシャに勝てる奴なんていない。
「ああ、安心してくれよ。赤鬼に会ったからってすぐに何か仕掛けようだなんて思っていないからさ」
「……どうだか」
そんな風に話していると、森の開けた場所、俺とヤシャの住むログハウスが見えてきた。
「へえっ。こんな森の奥に、こんな素敵な家があったんだー」
「上がってくんだろ?」
「うん。上がるどころかしばらく泊まらせてもらうつもりで来てるよ」
「図々しいなあ」
玄関のドアを開けると、音を聞きつけたヤシャが出迎えに来てくれた。
「おかえりなさいフレア。遅かったです、ね……?」
当たり前だが、帰ってくるのは俺だけだと思っていたヤシャの言葉尻が困惑と疑問を含んだ声音になる。
「ああ、こいつは……」
「僕の名はアイリス。探偵だ。それで……、君が赤鬼なのかな?」
「フ、フレア……? こ、この人はいったい……?」
不意打ちの来客に戸惑うヤシャ。ルコの時と違って心の準備をする暇がなかった分かなり動揺しているように見えた。
「ひょんなことからつきまとわれてしまった」
「ひどい言い草だなあ。せっかく君の人探しを手伝ってあげたのに」
「あ、あ、あう……。えっ、えーと?」
「それで、改めて聞くけど君が赤鬼なんだよね?」
「あ、あの、あ、はい、そうです……。ヤ、ヤシャです……」
「そっかそっか君があの! いやー、会えて嬉しいよこれからよろしくねヤシャ」
「え、あ、あの、はい……?」
アイリスは満面の笑顔でヤシャの手を握りブンブン振ると、戸惑った様子のヤシャがそれに応じていた。
「あっ、そうそう悪いけどお風呂場を貸してくれないかな。ここに来るのに少しばかり汗をかいてしまってね」
「あ、はい……! こっち、どうぞ……」
「あはは、案内ありがとう!」
アイリスの奴、もうこの家に馴染んできてやがる!
家主であるはずのヤシャが終始従者みたいになってたぞ、性格上仕方ない部分はあるにせよ。
アイリスを脱衣所へと案内し終えたヤシャは真っ先に玄関先でぼーっとしていた俺のもとに向かってきた。
「フ、フ、フレア! 誰ですかあの人っ。びっくりしましたよ!」
「あ、ああ、ごめん。ついさっき知り合ったばっかなんだけど、あいつの言う通りルコの件で少し協力してもらったんだ」
「そ、そうだったんですか」
酒場での乱闘のことは伏せつつヤシャに事の次第を説明する。
「まあそんなわけでここに連れてきたってわけ。ただ、あいつはあいつで何か目的があるみたいだ。元々は赤鬼、ヤシャを探してたみたいだし。連れてきた俺が言うのもなんだけど、注意だけはしといてくれ」
「そですね。……でも、そういうのを抜きにしたらお客さん、ってことになるんですよね?」
「まあ、ヤシャがそう思うならそうだけど……」
「えへへ……お友達……」
さっそく、ヤシャは警戒を解き始めた。ルコの件もそうだが、基本的に相手が誰であろうとヤシャ的にはこの家に人が尋ねてくれるのが嬉しいらしい。
すると、脱衣所の方からアイリスの大きな声が聞こえてきた。
「ごめーーん! バスタオルってどこかなー? あ、あとパジャマとか貸してもらえるーー?」
「あ、は、はいぃっ! 今、いき、ますっ!」
なんだか騒がしくなってきたな。
***
「そうか、じゃあ妹さんが誘拐されたままなんだね」
ヤシャの部屋で休んでいるルコに挨拶したいと言ったアイリスは、持ち前のコミュニケーション力で大体の事態の把握を行った。
「はい……。すみません、アイリスさんも巻き込んでしまったみたいで」
「なに、謝ることはないよ。困ったときはお互いさまというやつさ。それに、こういうのは少し得意なんだ」
風呂上がりのアイリスは、トレードマークの鹿撃ち帽を脱いでいて少し新鮮な印象を受けた。出会って間もないというのにそんなことを感じてしまうほどインパクトの強い奴なのだなと思う。
ヤシャに借りたパジャマはサイズが大きすぎるようで、ぶかぶかの姿は見た目の幼さを強調していた。俺のことを注意して酒をバカスカ飲んでいたから成人はしているのだろうがとてもそうは見えない。一体何歳なんだろう。
そんなことを考えていると、隣にいたヤシャが話しかけてきた。
「それで、どうでしたか? 聞き込みの方は」
「あー……、そっちはほとんど収穫なかったんだけど、もしかしたらコルを攫った犯人が分かったかもしれない」
「え! いったい誰なんですか?」
「騎士団」
「……!」
「まだ断定はできないけど、ルコたちの家の前に騎士団の奴らが使ってるらしいローブの切れ端が落ちてたんだ。それをアイリスに教えてもらった」
「そうそう、そしたら騎士団の人たちに襲われてしまったんだよねー。でもそれって逆説的に確証に近いものが得られたことになるよね」
てっきりルコとの話に夢中になっていると思ったが、割り込んできたアイリスが事の仔細を補足した。
「じゃあ問題です。騎士団を駒として扱える偉い人は誰でしょう?」
「……下層管理委員会」
呟くように導き出した俺の答えにアイリスは微笑む。
「うん、そうだね。今日は闇雲に調査してたみたいだけど、明日はその辺りに的を絞って調べてみるのが良いんじゃないかな」
「お、おお……! す、すごいです、アイリスさん……!」
「はは、アイリスでいいよヤシャ。大体こんなの推理のうちにも入らないさ。……まだ腑に落ちない点もいくつかあるしね」
そうはいってもアイリスがいなければ何の進展もなかったことは事実だ。
ヤシャのことを探していたことを含め、腹の底は見えないが、もし今後も協力してくれるのなら力強いと思った。
「そうと決まれば明日に備えてそろそろ眠ろうか……っと、そういえば僕はどこで寝ればいいのかな?」
「あー……」
基本的に人が尋ねてこないこの家に来客用の備えはない。
昨日は俺とヤシャが一緒に寝ることで寝床の問題は解決できたが、今日に関しては確実に数が足りていなかった。
こんなことなら闇市で布団でも買って来ればよかったと思ったが、まあそれは明日にでも揃えればいいだろう。
「俺の部屋にベッドがあるから、ヤシャと一緒にそこ使えよ」
「えっ、ええっ」
ヤシャが戸惑ったような声を上げる。
初対面の人間が苦手なヤシャにとってはきついものがあるだろうが、客と師匠を差し置いて俺がベッドを使うわけにもいかない。病人のルコにベッドを分けてもらうなどもってのほかだし、ここは俺が犠牲になるべきだと思った。
「オッケー。けど、フレアはどこで寝るの?」
「まあ、その辺の床でいいかな」
「うへー、それじゃあ体がバキバキになってしまうじゃないか……。あ、そうだ」
何か思いついた様子のアイリスがニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべながら、こんな提案をしてきた。
「よかったら私たちと一緒に寝る? ベッドは狭いだろうけど、その分肌が密着したりなんかして、お姉さんたちの色香を感じられるんじゃないかなー?」
「ア、 アイリスっ!?」
動揺したヤシャがおろおろとアイリスに対してまごつく。
「いや、いいわ」
「えー、本当かなー?」
「大体お前らなんかで興奮しねえよ。ヤシャは家族だし、アイリスはお姉さんって言うにはチビ過ぎだろ」
「殺すぞ」
「!?」
飄々とした態度が特徴的なアイリスから発されたドスの効いた低い声に戦慄が走る。
「……なんて、まあこれが一度目だし許してあげるよー。でも、二度目はないからね」
「あ、もしかしてチビって禁句だったか?」
「二度目はないって言ったよねえ……!?」
ニコニコとした表情でありながら額に青筋を浮かべていることがはっきり分かるアイリスがこちらに迫ってくる。
そして目の前までやって来た彼女に腕を掴まれた。
「うんうん、こんなに堅い床じゃあなかなか寝付けないだろう? 安心して、僕が眠らせてあげるからね、安らかに」
「おい、ちょ、待てっ」
「サンダーボルトっ!!」
「ぐあああああああ!!」
ゼロ距離で放たれた怒りの雷電が俺の全身を焼き尽くす。
最近こんなんばっかだな、と途切れていく意識の中でそんなことを思った。
***
翌日、朝飯を済ませた俺はアイリスと一緒にスラムに行くために森の中を歩いていた。
「昨日はとんでもない目に遭ったぜ」
「あれ、まだ昨日の記憶が残っているの?」
「いや、なんも覚えてない。俺は誰だ?」
こんなやり取りを前にヤシャともした気がする。
どうしてこいつらは何かあるとすぐ人の記憶を消そうとしてくるのか。
「それで、今日は騎士団について調べるって言ってたけど、具体的にはどうすんだ?」
「ああ、といってもいきなり核心に迫るのは難しいだろうからね。最近の動向なんかを聞きながら徐々に探っていく感じになるかな」
「ふーん」
要するに、地道にやっていくしかないってことは変わらないな。
「ところで昨日も少し触れたけど、フレアは騎士団の組織的な構造とかは理解しているのかな?」
「いや……、なんか下層管理委員会の手下? みたいなイメージしかない」
「あはは、手下か。まあ、あながち間違ってはいないけど……。歩きながらその辺を少し整理しておこうか」
鹿撃ち帽を被り直したアイリスが説明を始める。
「そもそもこの国、オードエアでは上層、中層、下層の三つのエリアに分けられた構造になっている。上から順に生活水準が高いというように区分けされてるんだ。そして、層が下がるにつれて人口は多くなる」
「上層と中層の連中が下層の奴らを搾取していく構造になってるんだよな。それくらいは知ってるぜ」
「ふふ、ちなみにもう察しがついているかもしれないけど、僕はその搾取する側の中層の住人だ」
「こっちの居心地はどうだ?」
「うん……。ある程度は想像していたけど、正直それを上回るレベルで下層の生活環境は酷いね」
アイリスは遠くに浮かぶ鉄の大地、中層を眺める。
「あそこではね、下層がどうなってるかなんていう実態は隠されている。教育は支配者階級の振る舞いなんかを教えてるけど、どうもそれが歪んだ方向へと流れているんだ」
「そんなこと言っていいのか」
「いいさ。僕は見て見ぬふりっていうのがどうしてもできない。知らないということは不幸なことだよ」
なんだか含蓄のある響きでそんなことを言う。
「まあ、今はそれはいいんだけど。で、その下層を搾取するための役割を担っているのが下層管理委員会ってわけだ」
「下層の連中は全員あいつらのことが嫌いだぜ」
「当然だね。自分たちの自由と尊厳が彼らの私腹を肥やすために奪われているんだから。敵対心を抱かない方が不思議だ」
「けど下層の連中には抵抗する手段がない」
「そうだね」
砂塵の舞い上がるスラム街。あそこに緑がないのは、それら全て根絶やしにしたからだ。
元はあそこも含めて全てが帰らずの森であり、それが自然だった。
「歴史を紐解くと、騎士団はもともとこの国の治安を維持するために王と十人の近衛による組織だったらしい。その伝統は今も残っていて、王下直属の十人の騎士団長がそれぞれ師団を抱えている。その集まりが騎士団というわけだね」
へえ。いつもヤシャが有無を言わさずブチ殺してるから知らなかったけど、そんな感じになってるのか。
アイリスの説明は続く。
「今、この国において下層の労働力は生命線と言ってもいい。多くの人から搾取することで、少数が繫栄する。そんな仕組みでこの国の運営は成り立っているんだ」
「だからこそ、その下層を管理する組織には強大な権力が付与される。騎士団から人員を抜いて操るくらいは訳ないことだ。そしてそれ以上に彼らの権力を象徴するものがある。それこそはこの下層を管理しうるほどの強大な力……」
「『神杖』、か」
ヤシャに教えてもらったその名を口にする。それこそ、俺たちが正義を示すうえで目指すべき宝だ。
「神様がこの国の王に与えたとされる五つの杖。原初の魔法を司るその杖は、振るうものに莫大な力を与える。一説では元は森だった場所を更地にして下層の土地にしたなんて言われているね」
「なんていうか、さっきから随分この国の昔話みたいなのに詳しいんだな」
「……まあ、探偵だからね。このくらいは一般教養さ」
「……?」
どことなく彼女らしくない誤魔化すような素振りが見受けられたような気もしたが、俺の気のせいかもしれない。
「話を続けると、その『神杖』を持っているのは下層の各地に散らばる下層管理職の統括達だ。基本的に彼らはトップダウンの指示系統だから、全ての命令権はほとんどその統括達にある。これが何を意味するか分かるかい?」
「ん? めっちゃ偉いってことか?」
「ぶー。騎士団への命令権もそいつらが持ってるってことさ。ということは、今コルちゃんはその統括達のうちの誰かの所にいる可能性が高い」
「へー、じゃあそいつら全員ぶっ殺せばいいんだな」
それを聞いたアイリスがこつんと俺の頭を小突いてきた。
「こら。殺しはダメだって言っただろ。それに彼らがどこに居を構えているかなんてトップシークレットだよ。簡単には見つからないさ」
「なんかめんどくさそうだな……」
「まあ僕はそういう隠し事を暴くのが得意だから。そのためにも今日は地道に騎士団の動向を調べていこうじゃないか」
もうすぐ森の出口に差し掛かる。
歩きながら、俺はなんとなく昨日の酒場での出来事を思い出していた。
炎の中に佇む赤い女と月明かりの下、不敵に笑う金色の少女。
殺す正義と殺さない正義。
そんな選択肢があるなんて今まで考えたこともなかった。
***
午前中はそれぞれがスラムの連中に話を聞いたり、道を歩いている騎士団の連中を観察してみたりしていたが、特にめぼしい情報も得られず、闇市で落ち合った。
昼食用にパンを買って道端で食べていると、アイリスが話しかけてきた。
「そういえばフレアって魔法は使えるの?」
「使えない。どうしてそんなこと聞くんだ?」
「いや、昨日は突然襲われたでしょ。相手が弱かったからなんとかなったけど、また同じことがあった時のためにお互いの持つ力の確認くらいはしときたいなって思って」
「ああ、そういう。……けど俺なんて殴って蹴るくらいのことしかできないぞ?」
「武器は使わないんだ」
「ああ、そういうのはヤシャに教えてもらってないからな」
「ふむ……」
一瞬何か考える素振りを見せたアイリスは、三本の指を立てて見せた。
「今この国にいる戦闘能力を持つ人間は大きく三つに大別される」
そう言うと、アイリスはもう片方の手で立てていた人差し指をつまんだ。
「まずは一つ目、魔法だ。ちなみに僕はこの魔法を使うことができる」
「それは昨日の戦い見ててもなんとなく予想がついたけど………。そういえば魔法っていったいなんなんだ? 今まで俺が見てきた魔法使いは炎とか雷とか使ってたけど」
「うん。簡単に言えば自然現象を呼び出して自分の力にすることができるモノだよ。基本的にこの三つの中じゃ一番強いんじゃないかと思ってる」
「自慢か?」
「ふふ、事実だよ。数百年前にある人物が魔法の定式化に成功してから、技術として広がったそれはその後の戦争のあり方を変えてしまうくらいには強力な力だったんだ。まあ、誰でも扱えるというわけではないんだけど」
「なんか、難しそうな話だな」
「基本は魔法が一番強い、けど誰にでも使えるわけではない。知っておいて欲しいのはこれくらいだね」
「アイリスの魔法ってどんな感じなんだ?」
「うーん、詳しく話すと難しくなるんだけど、簡単に言うと私は相手の魔法を無効化して自分のモノにすることができる」
「えっ、それってもしかしてめちゃくちゃ強いんじゃないか」
「そうだよー、僕、めちゃくちゃ強いよー」
何でもないことのように言っているが、昨日見せた戦い方といい、やはりアイリスは只物ではないようだった。
当のアイリスは人差し指をつまんでいた手を中指に移動させた。
「二つ目。武器を使う人。魔法を使えない雑魚」
「短っ」
「うーん、でも事実だしなあ。そりゃ丸腰の人よりは強いけど、魔法が主流になった戦争の中で彼らが担える役割なんて肉壁くらいのもんだよ。稀に魔法使いを凌ぐ技量を持つ人もいるみたいだけど……」
「じゃあ昨日の騎士団の連中は、お前からしたら」
「うん全員雑魚。それでも君が彼らを圧倒したことには驚いたけどね」
「なんで?」
「まあ、それは後で話すよ。先にこっち、三つ目の話だ」
アイリスは中指から薬指へとつまむ手を移動させた。
「三つ目、それはギフトと呼ばれる力だ。これは、ルコちゃんの心を送る能力のように、各個人が持っている魔法では説明のつかない特殊能力のことなんだ。ギフトを持つ人間は魔法使いよりもさらに少数だ。僕も、そんなに会ったことはなかったんだよ」
「すごい能力を持ってるとは思ってたけど、そんな希少な力だったんだな」
「うん。で、その特徴はやっぱりユニークさかな。魔法にも武器にもある程度決まった型があるけど、それに当てはまらない能力。唯一無二の神様からの贈り物っていうことでギフトという訳さ」
「『神杖』もそうだけど、この国の神様? は、なんか色々くれるんだな」
「あはは、確かに。もちろんおとぎ話に近いものではあるんだけどね」
アイリスは笑いながら、立てていた三つの指を下ろしてから、パンを口に頬張って飲み込んだ。
「まあ基本的には魔法が一番強くて、稀にそれを凌ぐ武器使いやギフト持ちがいるっていうイメージが戦闘能力を測るうえでの指標になるかな」
「その基準でいくと俺クソ雑魚なのでは」
「ふふ、そうだねえ。……でも、フレアはあの赤鬼の弟子なんでしょ?」
「そうだけど……」
「もし君が本当にただの普通の人間なら、当の昔にこの世から退場してると思うんだけど……、どうかな?」
「……さあな」
アイリスの言う通り、普通の人間がヤシャの弟子なんてしたら、少しもしないうちに殺されてしまうだろう。
それを可能にしているのは、俺がちょっとした能力を持っているからなのだが、このことはあまり他人には知られたくないことだった。
「でもそれを抜きにしても昨日の闘いっぷりを見る限り、近接戦闘で君に敵うやつはそう多くないだろう。僕がそばにいる限りは魔法使いも君に手出しはできないし、安心していいんじゃないかな」
「なんかそれだとまるで俺が騎士団のことビビってるみたいで嫌なんだけど」
「なに、恐れるというのは大事なことだよ。集中、警戒するからこそ人は聡くなれるんだから」
「だからビビってないっての!」
人の話を聞いているようで聞いていないアイリスと言い合っていると、不意に闇市の向こうが騒がしくなった。
何だろうと思い、ざわつく声の方向を見てみると、白い鎧を身に纏った二人の白髪の女騎士が大通りを歩いているところだった。
「おや、あれは……」
二人の存在に気づいた様子のアイリスは、そのまま彼女たちに向かって歩き出した。
「お、おい」
突然歩き出すものだから不意を突かれつつも、俺はアイリスの後をついていく。
「ああ、ごめん。彼女たちは僕の知り合いなんだ。ちょうど騎士団について調べていたし、挨拶も兼ねて話しかけようと思ったらもう足が動いてしまっていたよ」
徐々に近づいていくと、遠目には分からなかった気品あふれる立ち居振る舞いが、このスラムには似つかわしくない雰囲気を漂わせているのが分かった。
「やあ、ローズ。こんなところで会うなんて奇遇だね」
「アイリス……? どうしてあなたがここに……?」
「いやあ、少し調べものがあってね」
気さくに話しかけるアイリスに戸惑っている様子のローズと呼ばれた女性。スラリとした長身に切れ長の目が特徴的な大人の女。腰まで伸びる長く透き通るような白髪が、白い鎧と相まって神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「どうせまた無許可でこっちに来たんでしょ!」
「やだなあアザレア。ちゃんと許可はとったよ、僕の心の中で」
「あんたがあんたに許可を出しても何の意味もないのよ!」
隣にいた少女にどやされるも持ち前の飄々さでかわしていくアイリス。アザレアと呼ばれたその少女は、ローズと同じく白い鎧と白髪が神秘さを感じさせつつも、大きなツリ目と肩口までで切り揃えられた外ハネ気味のショートヘアーが、ローズと比べて活発でまた少し幼い印象を与えた。アイリスへの言動を見ても俺が感じた印象がそう的外れではないことが分かる。
「あなたのことだから、何か考えがあってのことでしょうからこの場は見逃しますけど……。でも、無茶をしてはいけませんし、用が終わったら速やかに上に帰るんですよ」
「はーい。やっぱりローズはママみたいだなあ」
「ちょっと、人の姉さまを勝手にあんたのママにしないでくれる?」
「もう、これくらいのことで一々嫉妬しないでくれよアザレア」
「はぁー!? 別に嫉妬なんかしてませんけど! 姉さまとあたしの絆はそんなことじゃ全然揺らがないんだから!」
「あはは、相変わらずのシスコンだなあ」
わいわいとお喋りする三人の端で、俺はぼんやりとその光景を見ていた。
こいつらは……騎士団、なんだろうけど、アイリスに教えてもらっていた黒いローブも羽織っていないし、何より先日酒場で襲ってきた奴らなんかよりも圧倒的に強いことは見ただけで分かる。
そもそもどうしてアイリスは騎士団のことについてこんなに詳しいのか。その辺りのことも含めて、俺はこの三人の関係性が気になり始めていた。
そんなことを考えていると、不意にアザレアに話しかけられた。
「それで、さっきからぼーっと突っ立ってるあんたはいったい何者なのよ?」
「ん。ああ、俺はフレア。見ての通り下層の住人だ。こいつとは、……どういう関係だ?」
「いや、あたしに聞かれても」
「フレアとはついこの間酒場で知り合ったんだ! そこで僕たちは親友になったわけだけど、そうしたらその親友に困りごとがあるっていうじゃないか。だから僕は今彼を助けてあげている最中ということなんだ」
アイリスと親友になった覚えはないが、訂正するのも面倒くさいのでそういうことにしておこう。
「つまりはそういうことだ」
「……ふーん。相変わらず下層でも偽善者っぷりを発揮しているってわけね」
「おい、アイリス。こいつらいったいなんなんだ」
「ん? ああ、紹介が遅れてしまったね。まず、この生意気可愛い女の子はアザレア」
「誰が生意気よ!」
「こう見えて、騎士団の第七師団副団長なんだ。よろしくしてやってくれ」
「へえ、意外と偉いんだな」
「なんかこいつも普通に無礼よね……。下層民のくせに……いたっ」
ぺし、と軽くアザレアの頭を叩いたローズが注意する。
「こらアザレア。そういう差別的発言はしてはいけないといつも言っているでしょう?」
「あ……、ご、ごめんなさい姉さま」
軽い説教をされてしおらしくなっているアザレアをよそに、アイリスは紹介を続ける。
「そしてこっちの子がローズ。アザレアのお姉ちゃんだよ」
「オードエア騎士団第七師団団長のローズです。よろしくお願いします」
差し伸べられた手を見て、握手を求められていることの気が付く。
俺がその手を取ると、ぎゅっと強い力が握り返してきた。
「よ、よろしく」
こいつがアイリスの言ってた、王下直属の十人の騎士の一人か。
そんなすごい奴がどうしてこんな場所に?
俺の疑問をよそに、握手していた手を離したローズがこんなことを聞いてきた。
「それで、何やら困りごとがあると聞きましたが、何かあったのですか?」
「え。えっと、実は人を探していて……」
国を代表するお偉いさんが一下層民の俺のことを聞いてくれていることに戸惑いつつ、ルコのこと、それから探しているコルのことについて話をした。無論、騎士団が怪しいことは伏せて。アイリスからもその辺の補足が無かったことから、どうやら俺の判断は正しかったらしい。
一通り話を聞き終えたローズは、ルコたちに共感するように眉尻を下げて心配そうな表情をしていた。その顔を見て、なぜか俺はローズにヤシャを重ね合わせて見ていた。
「そうだったんですね……」
「ああ、それで途中で知り合ったアイリスにも手伝ってもらっているんだ」
「なるほど……」
少し思案するような素振りを見せたローズは、何かを決めたようにアザレアの方を向いた。
「分かりました。そういうことならアザレア、あなたが彼らの力になってあげなさい」
「え! あたし、ですか!?」
「はい。本来、騎士団とは身分の差なく困っている人を助けるための組織です。もちろん、目に映る者すべてを助けられるわけではありませんが……。けれどアザレア、あなたにはこういう経験が必要だと前から思っていたんです」
「で、でも、任務はどうするんですか?」
「このくらいなら、あなたがいなくとも大丈夫です。……と言うと少し意地が悪く聞こえてしまうかもしれませんが。大丈夫、私は誰にも負けません」
「う……ま、まあ、姉さまがそう言うなら……」
さっきからローズの言うことにはやけに従順なアザレア。
俺がヤシャに憧れを抱いているのと同じような感じなのかもしれない。
そう思うと、なんだか少し親近感がわいてきた。
「よろしく、アザレア」
俺はローズがしたようにアザレアと握手するために手を伸ばす。
すると、アザレアは腕組みをしたまま、フンと鼻を鳴らした。
「あのねえ、姉さまがやれって言うから仕方なく協力するだけであって、別にそういうのいらないから」
「おいおい、副団長ともあろう者が握手くらいで何を照れているんだよー」
ニヤニヤと相手をおちょくるようなあの笑みを浮かべてアザレアを煽るアイリス。
それを受けてムキになったアザレアは乱暴に俺の手を握った。
「ほうら見なさい! 握ってやったわよ、こいつの手を! 別に男の子の手を握ったことなんてないから緊張してたとかそういうんじゃないんだからね!」
「この通り典型的なツンデレだけど、仲良くしてやってくれたまえフレア」
「あたしがいつデレたかぁーっ!」
握っていた手を離してアイリスに襲い掛かるアザレア。
しかしそこはアイリスなので、ひょいひょいと器用に躱していた。
そんな光景を見て慈しむように微笑んだローズが俺に話しかけてきた。
「すみません、騒がしくて」
「いや、手伝ってくれるんだったらこっちとしてはありがたいし。それにしても、姉妹で見た目は似てるのに性格はまるで違うんだな」
「ふふ、ええ。あの子の元気なところが私は好きなんです。けれど最近は役職のこともあって、無理に真面目な副団長を演じているところがあったので、こういう姿が見れて嬉しいです」
「……」
「あ、ごめんなさい、勝手に語ってしまって」
「いや、なんか……。なんていうか、ローズは俺の憧れの人に似てるな、と思って」
「憧れの人、ですか。ふふ、初対面の私にそんなことを言ってもらえるなんて光栄ですね」
「いや、なんか、ごめん、こっちこそ勝手に……」
「いいんですよ。それに私はあなたにアザレアの友達になって欲しいと思ってるんです。きっとあなたは良い人だから」
「それ、初めて会った時アイリスにも言われたけど、なんでだ? どう考えても悪人顔だろ」
そう言うと、ローズは可笑しそうに笑った。
「ふふふっ、悪人顔だなんて、綺麗な顔をしていますよ。それにアイリスも同じことを言っていたんですね。彼女のは純粋に人を見る力なのでしょうが……」
ローズは人差し指で、紫に光る自分の目元を指し示した。
「私は少し――、未来が見えるんです」
「……! それってどういう……」
その先を遮るように、ローズは俺の唇に人差し指で触れた。
「私たちは、近いうちにまた会います。お話の続きはその時に」
***
ローズと別れた後、俺、アイリス、アザレアの三人は、闇市の入り口付近に
転がっていた岩を椅子代わりにして座っていた。
「……ねえ、あんたたち人を探してるんでしょ? こんなところでぼーっとしてていいわけ?」
アザレアがそう思うのは当然のことで、俺も言い出しっぺのアイリスの意図を測りかねていた。
「ふう。アザレア、君に伝えておきたいことがある。この事件の実行犯、つまりルコとコルを攫ったのは騎士団だ」
「えっ……!?」
アザレアにとっては寝耳に水だったのだろう。驚きと戸惑いの混じった声が口を突いて出てきた。
「あんたのことを疑うわけじゃないけど、どうしてそうだって言えるの?」
「うん。一つにはこの黒い布が犯行現場で見つかったことが挙げられる」
「これは……!」
「そう、これは君たち騎士団が隠密活動を行う時に着用するローブの切れ端だ。そしてもう一つ、そのことが分かった瞬間に僕たちは騎士団と思われる連中に襲われたんだ」
「……!」
これまでの経緯を簡単に説明しながら、話は今の俺たちの状況へと移った。
「だから僕たちは騎士団の動向を探らないといけないわけだけど、同時に騎士団からも探られていることを想定して動かないといけないんだ」
「なるほど。だからってことね」
「……? どういうことだ?」
何か納得した様子のアザレアだったが、話の真意が分からない俺は彼女たちに尋ねた。
「ここでぼーっとしていた理由。それは二つ。一つは自ら衆目に身を晒すことで、今私たちが誰かに監視されているのかどうかを探ること」
「うん。一応、魔法を使って周囲を調べてみたけど、特に誰かにつけられてるってことはないかな」
「そうね、私もそう思う。……続きだけど、二つ目は、騎士団員の観察。何か不審な動きはないか調べるっていうのもそうだけど、この場合は他の意図があるんじゃないかしら」
「他の意図?」
アザレアの言う意図を察することができなかった俺は、アイリスの方を向いた。
「そうだね、注目していたのは彼らの目線、かな。もし私たちの情報がお尋ね者として騎士団全員に共有されているのだとしたら、ここを通りかかる彼らのうち、誰かしらに何らかの反応があってもおかしくなかった。けど今のところは……」
「そうね。私は副団長だから多少顔も知れてて、注視されることもあったけど……。あんたたちのことを特別見ているような奴は誰もいなかったと思うわ」
「そう。このことから導き出せる結論がある。つまり、犯行に関わっているのは騎士団の中でも限られた人物だけだということだ」
「それが分かると何か良いことがあるのか?」
「良いことというか、身も蓋もない言い方をすると、これ以上この場所で調査をしても特段何の成果も得られないだろうということが分かったのさ」
本当に身も蓋もない結論だ。
しかし、その割にはアイリスの横顔はどこか得意気な表情をしていた。
「アザレア、すまない。実は僕は君のことも疑ってかかっていたんだ。もしかしたら、スパイとしてこちらの動向を探っているのかもしれないって。そのくらい君たちに会えたのはタイミングが良すぎたんだ」
「まあ、そういうことなら疑っても仕方ないわよ。たとえ身内が相手でもそういう態度を取れることは、その、あんたの数少ない良いところの一つだと思ってるわ……」
「お、これはツンデレポイント?」
「ツンデレポイントってなに!? しばき倒すわよ!」
ぎゃーっと、がなり立てるアザレアに対してアイリスが面白そうに笑っている。
こういうのが、彼女たちのお互いの信頼の証なのかもしれないと思った。
「ということでアザレア、君には分かる範囲で不審な動きをしている騎士団員がいないか内部から調べて欲しいんだ」
「オッケー、分かった。一応姉さまにも報告しておく?」
「いや……、それは遠慮しておこうかな。もちろん力を得られるなら心強いんだけど、今回は彼女が動くと目立ちすぎてしまう可能性があるからね」
「そう? まあ、あんたがそう言うならいいけど」
俺は完全に蚊帳の外だったが、どうやら二人の間で話がまとまったようだ。
気づけば、日は暮れかかり、にわかに空がオレンジ色になってくる時間帯だった。
「よし、じゃあちょっと買い物だけ済ませてしまってから今日はもう帰ろうか」
「帰るってどこに?」
「フレアの家だよ」
それを聞いたアザレアはげっという顔を隠そうともせずに、アイリスを咎めた。
「こいつの家……って、あんたもしかして昨日今日知り合ったばかりの男の家に転がり込んでたって言うの!?」
「おや、心配してくれてるのかい?」
「べ、別に心配してるわけじゃないわよ。ただ危ないじゃないこんなのと一つ同じ屋根の下なんて! 男はみんな獣なんだから!」
「なんだこいつめちゃくちゃ失礼だな」
まるで悪いことをした人間を糾弾するかのように、びしっと人差し指をこちらに向けてくるアザレア。
「あはは、大丈夫だよ。ルコもいるし、それに彼の家には一人お姉さんがいるから」
お姉さんって、もしかしてヤシャのことか? うーん、お姉さん。まあ間違ってはない、のか?
「……なんだ、そうだったの。そうならそうと早く言いなさいよねこのノロマ野郎」
「アイリス、こいつぶん殴っていいか」
「まあまあ。こうやって口汚いのも彼女の幼さの表れと考えれば少しは可愛らしく見えてくるだろうさ」
「誰が幼女よ!?」
そこまでは言ってないだろ。まあクソガキであるのは本当のことだが。
「……そういうのを受け入れる度量の広さも大人には求められるってことか。ふう、やれやれ」
「アイリス、こいつぶん殴っていい?」
「まあまあ。思春期の男の子はこうやって少し大人ぶるのがカッコいいと思っているものなんだよ」
「誰がカッコいいじゃ!」
「都合良い部分だけ切り取ってんじゃないわよ!」
そんな言い合いをしながら、俺たちは一気に大所帯になった分の足りなくなった食料や布団なんかを買い足して闇市を出たのだった。
***
完全に日は沈み、月明かりだけが森を淡く照らす時間。
昨日はアイリスと一緒に歩いたこの道で、俺はアザレアと一緒に荷車を引っ張っていた。
「まだ着かないの~? いい加減重いんだけどーっ」
「もう少しだよ。さあ、頑張りたまえ諸君!」
文句を垂れるアザレアに、先頭を悠々と歩くアイリスから、覇気に欠ける激励の言葉が送られる。
あれこれ買いまくったのはアイリスなのに、僕は頭脳派だからの一言で俺とアザレアが荷車を引かされるのは納得いかなかったが、実際アイリスに荷車を引かせたところ一ミリも進む気配がなかったので、半ば仕方なく荷物運びをしていた。
聞こえているのはアイリスの鼻歌ばかり。
少しでも疲労から気を紛らわすために、俺は気になっていたことを隣にいるアザレアに質問した。
「なあ、そういえばお前たち姉妹とアイリスの関係って何なんだ?」
「何よ唐突に」
「いや、考えてみれば会ったばかりで俺はアイリスについて何も知らないんだが、ただの探偵という割には、強力な魔法を使うし、国の代表になるような奴と知り合いだったりするしで正直底が知れないと思って」
「はあ。なに、じゃあその辺りのことを私たちの関係性から探ってやろうと思ったわけね」
「まあそんな感じだ」
アザレアは大きくため息を吐くと、その関係性を簡潔に述べた。
「ただの幼馴染よ」
「ただ同じ場所で生まれて、同じように育って。ホントそれだけど、私にとってあいつは家族」
「……なんか少し分かる気がする」
「何よ。無理して共感なんかしなくていいわよ」
「俺には血のつながった家族がいない。けど、家族だと思える相手に出会うことができたからさ」
「ああ……、なんかお姉さんがいるんだっけ」
「そういう風に意識したことはないけど、そう言われてみれば確かに姉、なのかもな。俺はあいつのことを師匠だと思ってたけど」
「ふーん、尊敬してるんだ。お姉さんのこと」
「まあな」
「それ、すっごい分かる。私も姉さまのこと大好きだし。なんかもう尊敬を通り越して信仰してもいいレベルよ」
「宗教かよ。……でも、ローズのことは俺も気になるな。あいつってどのくらい強いの?」
「オードエア一。つまり、この国の最強はローズ姉さまよ」
「なになに? 二人して何の話をしているのかな?」
俺たちが会話していることに気づいたアイリスが話しかけてくる。
「ああ、ローズの強さについて聞いてたんだ。そしたらこの国で一番強いって」
「そうだね、単純な戦闘能力だったらローズの右に出る者はいないだろうね」
「そんなに強いのか」
「前に戦闘能力を測る上での三つの指標について話をしただろ? 通常はそのうちの一つだけ習得していることが基本なんだけど、ローズはその三つ全てを高水準で習得している。
要するに、優れた魔法使いであり、類稀な剣士であり、祝福されたギフトを持っている。この国最強の騎士といっても過言ではないだろうね」
「実際、十人の団長による御前試合でも姉さまが優勝しているし、そのことに疑いの余地はないわ」
誇らしげに自分の姉がどれほど強いのかと補足するアザレア。
それらを聞いて俺が思うのはヤシャとどっちが強いのだろうということだった。
それをアイリスたちに聞いても仕方ないが、俺にはヤシャが負ける姿というものがイマイチ想像できなかった。
「そういえば、あいつ、未来が見えるとかなんとか言ってたなあ……」
「……アザレア、ローズの例のクセはまだ続いているのかい?」
「そうね……。今でもたまにそういう時はあると思う」
「そうか。いくらやめろと言っても難しいものだね」
また何か二人だけが分かる会話をされて気になった俺は、そのことを尋ねてみる。
「例のクセってなんだ?」
しかし、アイリスはやんわりとそのことについて語ることを拒否した。
「フレア、それは君は知らなくていいことだよ」
***
ようやく家に辿り着いた俺たちは、玄関の扉を開けた。
「ただいまー」
家中に響くような大声をアイリスが出す。
もう完全に自分の家だと思ってるなこいつ。
その声を聞いたのであろう、ヤシャが玄関まで出迎えに来てくれた。
「おかえりなさい……、あれっ」
行きは二人だったのに、帰ってくるときには三人になっていたことに驚いたのだろう。
そのことを自ら察したアザレアはめんどくさそうにヤシャに挨拶した。
「オードエア騎士団第七師団副団長のアザレアよ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします?」
なんとか受け入れはしたものの、まだ説明が不十分だと訴えるように戸惑いながらこちらを見てくるヤシャにアイリスが補足する。
「アザレアは僕の身内でね。今回、騎士団を調べるにあたって協力してもらおうと思って連れてきたんだ」
「そ、そうだったんですね……」
ある程度事情を理解したヤシャはぎこちない様子で改めて自己紹介する。
「え、えと、私はヤシャです。この度は、きょ、協力してくれて、ありがとございます……。これから、よろしくお願いします……」
「ええ、よろしく。それじゃあさっそくいろいろ買ってきたから、あんたも家に入れるの手伝ってヤシャ」
「あ、は、はい! 頑張ります……!」
そう言うと、アザレアとヤシャは玄関先に止めてあった荷車の荷ほどきを開始した。
昨日のアイリスといい、ここに来る連中ヤシャのことこき使い過ぎだろ。一応、家主だぞ。まあ、こき使われるヤシャも悪いのかもしれないけど。
ぼーっとその様子を眺めているとアザレアから怒号が飛んできた。
「フレア、あんた何突っ立ってんのよ! あんたも手伝いなさい!」
「はいはい」
「それじゃあ僕はお風呂に入ってくるから、みんな頑張ってね」
意地でも手伝いたくないのか、足早に洗面台に駆けていくアイリスを咎める気にもならなかった。
こうして見ると、嫌々言いながらなんやかんや率先して面倒事を引き受けるアザレアは意外と良いやつなのかもしれないと思ったりしつつ、俺も荷下ろしの手伝いに向かった。
***
食料を買い過ぎたこともあって、今日の夕食は軽いパーティ並みに豪勢な食卓になった。少なくともヤシャと二人で暮らしてた時はこんな量の料理が食卓に並んだことはなかったように思う。
リビングには俺、ヤシャ、アイリス、アザレアに加えて、体調が回復したルコがいた。
「もう大丈夫なのか?」
「はい。おかげさまで、すっかり良くなりました」
「それはよかった! 快気祝いも兼ねて、今日はたくさん食べるといい!」
自分が作ったわけでもないのに、我が物顔で料理に手を付けだしたアイリス。そういうアイリスの態度にはもう慣れたからいいのだが。
実際、俺とヤシャは客への振舞い方なんて分からないし、ルコやアザレアはどうか分からないが、よその家にいることもあってそれなりに緊張することもあるだろう。
そういうギクシャクした感じをアイリスが吹き飛ばしてくれているという風には感じるし、もしかしたら頭の回る彼女のことだからそう言うことも考えてのことかもしれないと思ったがそれはそれで考えすぎなような気もする。
いずれにせよ、パーティ然とした夕食はかなりいい雰囲気で行われた。
「…………」
そんな様子をぼーっと見ているヤシャ。
かと思えば急にそわそわし始めた。一体どうしたというのだろう。
「…………うぅ」
「ヤシャ?」
「ひゃう!?」
気になって声を掛けると、驚いたのか素っ頓狂な声を上げた。
「も、もうー、びっくりさせないでくださいよフレア~」
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど」
「で、どうかしたんですか?」
「いや、それはこっちのセリフなんだが……。なんかそわそわしてたから」
「……! うう、バレてました?」
図星を突かれて困ったように笑うヤシャ。
その姿を可愛いなと思いつつ、ヤシャが考えていることを推測してみた。
「こんなに人が集まって嬉しかった、とか?」
「は、はい。フレアと出会ってからの生活も私にとっては素晴らしい日々だったのですが、こうしてたくさんの人が集まっている場所に私がいるのは、すごいことだなあと思いまして」
「そっか」
こんなに人が好きなのに、人と一緒にいることができない。
そんなヤシャにとって、偶然で一時的ではあるけれど、同じ目的を共有した仲間が集まっているというのは新鮮に映っているのかもしれない。
「あ、あの、つきましては、私、昔からやってみたかったものがありまして」
「え、なに?」
「ちょっとしたゲームです。多人数用なので、フレアと遊んだことはありませんでしたが、こんなに人がいる今、どうしてもみんなで一緒に遊びたい、です……!」
「提案してみればいいじゃん」
「ですけど、今はルコちゃんのこともありますし、言っていいものなのかどうか……」
「いいんじゃないの? ちょっとくらいさ」
今まで赤鬼として生きてきたヤシャ。
彼女の境遇を考えると、そのくらいの願いは叶えてもらいたかった。
「みんな、ヤシャがなんか言いたいことあるって!」
「え、あ、あの、フレア……!?」
「ほら、みんなを遊びに誘うんだ。こんなの大したことじゃないって」
そう言うと、まだどこか逡巡しているの様子のヤシャだったが、やがて覚悟を決めたように部屋の隅に置いてあった箱を、みんなの前に掲げた。
「あ、あの、これで、遊びませんか……っ!?」
問われたみんなは当然のごとくその箱に目が釘付けになる。
俺はその箱にでかでかと書かれた文字を読み上げた。
「
「あ、神成ゲームじゃないか。懐かしいな、ねえアザレア」
「あー……、そういえば昔あれであんたと姉さまとよく一緒に遊んだっけ」
どうやら、アイリスとアザレアはこのゲームのことを知っているらしい。
俺と同様初めてその存在を知ったルコが二人に問いかける。
「神成ゲーム、とはどういった遊びなのでしょうか?」
「ああ、まあ簡単に言うとすごろくだね。ルーレットを回して出た目の数だけ進めるというボードゲームだよ」
「……?」
そう言われても俺も含めてイマイチピンとこない。
それを察したアイリスはヤシャからその箱を受け取る。
「じゃあ、実際にやってみようよ! そのほうが理解は早いだろうし」
そう言って、箱を開けようとするアイリスにアザレアが待ったをかけた。
「ちょっと、なんで今そんなことやらなきゃいけないのよ! この子の妹を探してる最中なんでしょ?」
「とはいっても、今日できることなんてもう何もないんだし、少しくらい遊んだっていいんじゃないかい?」
「今後に備えて作戦を立てるとか、やれることはあるでしょ。それを遊ぼうなんて、緊張感のかけらもないわね」
アイリスとアザレアが言い合う。どちらも正論のような気はするが……、それを見ているヤシャはおろおろしていた。
一通りアザレアの言い分は聞き届けたという風なアイリスはこんなことを口にした。
「じゃあ、こういうのはどうだろう。これは遊びを通じて親睦を深める。これは作戦上、重要な任務の一つだ、アザレア」
「はあ? なんで、そんなことが重要なのよ、アホらしいわ」
アイリスの言うことを鼻で笑い、聞くに値しないと断じるアザレアに、アイリスは厳しい口調で一言付けたした。
「察するに、そういうところが君に足りない部分だと、ローズは思っているんじゃないかな?」
「……!」
「うん。騎士団をまとめるにあたって、真面目なのはいいことだよ。でもね、それだけではあまりに窮屈だ。君自身、そのことについては分かっているだろう?」
アイリスの言葉に何か感じるものがあったのか、アザレアは小さく舌打ちした。
「あんたに何が分かるって言うのよ」
「分かるさ、僕たちは家族なんだから。そして、この分かるってことが重要だなんて今さら言うまでもないことだろう」
「……あー。はいはい、分かったわよ。やればいいんでしょやれば」
何が彼女をそうさせたのは分からないままだったが、結局アザレアもゲームをやることに同意を示した。
すると、アイリスはルコの方を向いた。
「君はどうする? 反対かな?」
「い、いえ、私なんかここにお邪魔されている身なのでっ。意見なんてないです」
「そう? 僕が君だったらこんなことしてる場合じゃないだろって思っちゃうけど」
そんな、さっきアザレアが言っていたのと同じことを明け透けに言ってしまうアイリス。
具体的な例を示されて、思うところがあったのかルコは遠慮がちに口を開いた。
「あの、私はお願いしている身なので、みなさんがどう過ごされようと本当にいいと思ってます。……ですけど、私自身はやっぱり焦りというか、心配な気持ちがあって……」
「うん。素直に話してくれてありがとう。そうだよね、僕だって同じことを考えると思う。けどね、年長者としてアドバイスさせてもらうと、焦りや不安、そういったものは幻想にすぎないんだ」
「幻想、ですか?」
「うん、僕たちの頭は広い。思考の可能性は無限大だ。良いことを考えても、悪いことを考えてもそれは頭の中にまるで現実のごとく現れる。けれどね、それは現実ではないんだ。自分の目で見たものだけが、真実だ。君の目に今確かに映っているものは何?」
「私の目に確かに映っているもの、は……」
ハッとしたようにルコは周囲を見渡した。
「私を助けてくれる、みなさんの姿、です……!」
「そう、僕たちは絶対にコルちゃんを助ける。だから信じて欲しいんだ。そうすれば、少しは気を緩める余裕もできると思うよ」
「はい……! あの、今、私、みなさんのことをもっと知りたいと思ってて。アイリスさんが言ったようにゲームをしながら楽しく知れるなら、すごく、参加したいです」
俺とアイリスはもともとやる気だったから、これで全員が参加の意思を示した。
アイリスはヤシャの方を向いて、少し眉尻を下げながら、はにかんだ。
「ごめんね、なんか真面目な話ばっかりで。君はもっと軽い気持ちで誘ってくれたとは思うんだけど」
「い、いえ、ありがとうございますアイリス! それじゃあ、始めましょうか」
なにはともあれ、ゲームができると分かったヤシャは鼻歌交じりに箱を開いてすごろくのボードやその他の小道具を取り出してきた。
「じゃあ、えと、まずは皆さんこの車に一本ずつこの棒を差してください。これが皆さん自身を表す駒になります」
ルールを知らない俺とルコはヤシャの説明通りに自分の駒を作った。
あれ。けど、ヤシャもこのゲームはやったことがないんじゃなかったっけ。
「どうしてルールが分かるんだ?」
「いつか来るかもしれないこの日のために、いつも説明書だけは呼んでいたんですよ……!」
「おお……」
妙に熱の入ったヤシャの態度に気圧されながらも、準備を進めていく。
全員がスタートのマスに駒を置いてから、ヤシャが簡単にゲームの概要を説明し始めた。
「神成ゲームは、人の一生に見立てたこのボードのコースを巡って、ゴールの神殿を目指すゲームです。神殿に着いた時に一番多くのお金を持っている人が勝ちです」
「ふーん、勝ったらなんかあるのか?」
「はい、一番多くお金を持っている人は、そのお金を神殿に奉納することで神様になることができるんです。神様は負けた人たちになんでも一つ命令することができます」
「だから神成ゲーム、か」
勝ったやつが何か一つ命令をすることができる……。
周囲を見渡してみる。厄介そうな命令を出しそうなのは……アイリスとアザレアといったところか。
面倒を避けるためには、俺が勝つか、もしくは無害そうなヤシャかルコに勝ってもらうのが一番良さそうだ。
「僕、このゲーム得意なんだよねえ」
そう言って自信たっぷりに笑うアイリス。
それを見たアザレアは対抗心をむき出しにした。
「このゲームのせいで何度こいつにひどい目にあわされたか……。今日こそは勝って、積年の恨みを晴らしてやるわ」
もしかしたら、彼女がこのゲームに乗り気ではなかったのは昔アイリスにボコボコにされたトラウマがあってのことなのかもしれない。だとしても、その怨恨に俺たちを巻き込まないで欲しいと願わずにはいられなかった。
じゃんけんをして、ルーレットを回す順番を決めてゲームが始まった。
「最初のエリアは職業マスですね」
「職業マス?」
「はい、このエリアでは止まったマスに書かれている職業になることができるんです。拒否することもできますが、エリアの最後までに決めることができないとニートになってしまうんです。職業は今後の収入にも関係してくるので結構重要なんですよ」
「へー」
そうこうしているうちに、ルーレットを回したアザレアが駒を進めていた。
「魔法使い……はい、パス」
「いいのか?」
「たとえゲームであっても騎士以外の私なんて考えられないわ」
「あはは、そのクセまだ変わってないんだ」
アイリスはアザレアの行動を見て昔を懐かしむように笑う。
「ほら見てよ。ここが騎士になれるマスなんだ」
「エリアの一番最後にあるんだな」
「うん。だから、ここを狙ってもしルーレットの目が大きく出過ぎた場合はニートになっちゃうんだよ。正直、そのリスクを掛けるほどのメリットがあるわけじゃないんだけど……」
「そんなの関係ないわ。私は騎士になるために生まれてきたのよ。運すらも味方にしてみせるわ。えいっ」
「あ」
今の位置からアザレアが騎士のマスで止まるためには三の目が必要になる。
勢い良く回ったルーレットは徐々にその速度を落としていき……。
最終的に十の目で止まった。かすりもしていない。
「あーー!?」
「アザレアが弱いのは、昔から騎士になることを狙って必ずといっていいほどニートになるからなんだ」
「これが現実じゃなくて良かったな」
「うっさい! ニートでも諦めなければチャンスはやってくるはずよ……!」
アザレアに憐れみの言葉を掛けると、何とも説得力のない名言が返ってきた。
その後、それぞれがルーレットを回した結果、アイリスは探偵、ルコは魔法使い、俺とヤシャは騎士になった。
「あんたたち、何私を差し置いて騎士になっちゃってんのよ!」
「いや別になりたくてなったわけじゃねーよ」
むしろ俺らの本業からすると対極の位置にある職業だ。
一方ヤシャはそのギャップがツボに入ったらしく、堪えきれないという様子で笑っていた。
「ふふふ……っ! ご、ごめんなさい、アザレア……。でも、ふふっ、おかしくて……!」
「くっそー、見てなさいよ。本物の騎士がギッタンギッタンにしてやるんだから」
「ふふ……っ! ニート……!」
「あ、こいつ今煽った! おとなしそうに見えて、煽ってきたんですけど!」
そんなこんなでゲームは進んでいく。アザレアを除く全員は給料日のマスでしっかり収入を増やしながら、次のエリアへと向かった。
「次は結婚エリアですね」
実際の人生ではそんなことはないだろうが、神成ゲームでは、プレイヤーに結婚が義務付けられていて、結婚マスを通ると強制的にそこで結婚することになっていた。
「お、僕が最初だね」
最初に結婚マスに止まったアイリスが淡々と自分の駒に結婚相手に見立てた棒を差す。
結婚した人にはルーレットで出た目によって全員からお祝い金が渡されることになっていた。
「わあ、みんなありがとう。あれ、アザレアの分まだもらってないよ」
「ニートからむしり取ってんじゃないわよ!」
そう言いながら、アザレアはなけなしのお金をアイリスに投げつける。
「まあまあ、このマスは後で止まれば全員結婚してお祝い金を貰うんだから、差し引きでそんなにマイナスにはならないはずだよ」
「こいつニートのくせに結婚しようとかほざいてるとか、頭沸いてんじゃないの?」
そんな自虐(?)を口にしながら、結婚マスに止まったアザレアも駒に結婚相手を差した。
そして他のメンバーも続々と結婚していく。
「ゲームとはいえ、結婚なんて想像もつかないな」
思わずそんな感想を口に漏らすと、アイリスが反応してきた。
「フレアは好きな子とかいないの?」
「いねーよ。ていうかそんなこと考えたこともなかった」
「えー、思春期の少年としてそれは少し不健全なんじゃないかなあ」
「そんなこと言われても」
すると、何か面白いことを思いついたのか、いつものにやけ顔でこんなことを聞いてきた。
「あっ、じゃあさ、ここにいる女の子の中なら誰が一番好みなのかな?」
「は?」
突然のことに思わず開いた口が塞がらない。一体何を聞いてきてるんだ。
「どうかな、結構美人ぞろいだと思うけど。僕含めて」
「自分で言うなよ」
確かにここにいるやつらは、一般的に見て美人に分類される方だと思う。
だが、そもそも誰が好みとか言えるほどに俺はこいつらのことを知らなかった。
強いて言えばヤシャのことは可愛いと常々思っているが、それは家族としてであって特別に異性と意識したことはなかった。
「分かんないよ」
「えー、それはつまらな過ぎだよ。なんでもいいからとりあえず言ってみなよー」
「う、うざっ」
無回答というのはアイリス的に無しのようだ。
本心なのだが、このままつきまとわれるのもめんどくさい。
ここは消去法で答えておこう。長い付き合いだし彼女ならきっと分かってくれるはずだ。
「あー、じゃあヤシャ、だ」
「えっ、あのっ、フレア……っ?」
「おおー、赤くなってるねえ」
名前を挙げられたヤシャは急激に顔を真っ赤にして照れている様子だった。
アイリスはそれを見て満足そうにうなずく。え、何この雰囲気。
「おいヤシャ、あんま真面目に受け取んなくていいって。しょせん茶番だろ」
「え……、茶番、なんですか? あ、はは……、そうですよね。ご、ごめんなさい、無理に好きなんて言わせちゃって」
「おいおいフレア、それはちょっと酷いよー」
「根性なしが」
みるみるうちにしょんぼりしてしまうヤシャとそれを咎めるアイリスとアザレア。
だーーっ、どうしてこうなった!
「あー、好きだよ! ヤシャのこと! 家族なんだし、当たり前だろ!」
「フレア……!」
「おおー」
「意外とやるじゃない」
「素敵です」
なんだこの茶番は。
「ここからのエリアは結構差がつきやすいんです」
気を取り直して、続くエリアは二つのコースに分かれていた。
一つはギャンブルコース。ハイリスクハイリターンが狙えるコースだ。
もう一つは、ビジネスコース。これまでと同じようにコツコツ収入を得ていくコースだ。ただ、これまでよりマスのレートが高くなっていて良いマスに止まればこれまでよりいい結果が得られるが、悪いマスに止まった時のリスクも高くなっていた。
ここまで最下位のアザレアは全く躊躇することなくギャンブルコースへと進んでいった。
そうしないと勝ち目がないから仕方ないことなのだが、なんだか追い詰められ方がホントに現実のギャンブラー然としていて笑うに笑えない。ゲームでよかったな。
「ふふん、ここで一発逆転してやるんだから!」
そう息巻いたアザレアだったが結果は惨敗。コースを抜ける頃には借金まみれになっていた。ちなみに結婚相手にも浮気されて離婚している。
「悲惨すぎるだろ」
「最初少し騎士に固執しただけでここまでひどい目に合うとはね……。スタートダッシュが大切という点ではなんだか示唆的だな」
「あはは、笑えっ、笑いなさいよっ、無様なあたしを!」
まあゲームなのだからそれほど気にするようなことでもないのだが。
さっきからアザレアが妙に全力でゲームに向き合うせいで、なんだかこっちまでそれに引っ張られて本気で彼女に同情してしまうのだった。
続くメンバーのうち、俺、アイリス、ルコは堅実にビジネスコースに進んだが、最後にそこを通ったヤシャはなんとギャンブルコースに駒を進めた。
「おい、あいつがどんだけ悲惨な目に遭ったか見てなかったのか」
「え、えーとせっかくゲームができるんだから面白そうな方向に行っただけなんですけど……」
俺が本気で心配するもんだから、少しヤシャを戸惑わせてしまった。
そうだった、これはゲームに過ぎないんだった。
ビジネスコースを選択した俺たちは少しづつ収入を得ていったが、なんとギャンブルコースを進んだヤシャは大勝ち。再びコースが統合されたときにはもう覆しようがないほどの差がついていた。
「すごいなこれは」
「運命って言うのはかくも残酷なモノなんだねえ……」
アザレアを見ながら、俺とアイリスは好き勝手に感想をぼやいていた。
そしてゴール。結局ギャンブルコースでの差は埋まることなく、ヤシャが勝者となった。
「や、やりました……っ!」
ずっとやりたかったゲームで一位を取れたのだからこんなに嬉しいことはないだろう。
素直にヤシャを祝福する気持ちでいると、アイリスが口を開いた。
「おめでとう、ヤシャ。これで神様になれるわけだけど、どんな命令をするのかな? まあ、お手柔らかに頼むよ」
そうだった。この神成ゲームは最後に勝った人間が神様になってなんでも一つ敗者に命令することができる。
すっかり忘れていたルールだったが、当初の予定通り、アイリスとアザレアには勝たせなかったわけだし、ヤシャがそんな無茶な命令をしてくるとも思えなかった。
安堵した気持ちでいると、神になったヤシャが間髪入れずに命令を下した。
「じゃあ、もう一回です! もう一回遊びましょう!」
興奮した様子でその命令を口にしたヤシャに場は凍る。
もう一回遊べるとあって本当に嬉しそうなヤシャ。すごくこのゲームが面白かったのだろう。
……だからこそ、俺たちは本能的に察知していた。
ヤシャが負けない限り、このゲームは終わらない……っ!
リスタートしたゲームではなんとかヤシャを勝たせないように全員で協力しながら妨害しまくって、最終的に勝ったのはアイリスだった。
「じゃ、もう寝ようか」
少し疲れ気味に苦笑しつつ、その命令を口にすると、全員が布団に向かっていった。
ヤシャだけは名残惜しいのか残念そうだったけど。
***
<side Iris>
皆が寝静まった深夜、物音がしたような気がして、僕は目を覚ました。
リビングに布団を敷いて寝ていたのは僕とアザレア、それからルコ。
周りを見るとアザレアは気持ち良さそうにすやすやと眠っていたけど、ルコの姿がそこになかった。
不審に思った僕はトイレや家の中を探してみたけど、どこにもルコがいない。
玄関のドアを開けると、月明かりの下、森の奥へと向かっているルコの姿を捉えた。
「ああ、やっぱり……」
無論、ルコのような少女がこの森を手ぶらで歩けば、命はないだろう。
帰らずの森、そこに何の力も持たないで入っていったスラムの住人がどうなってしまったのかくらいは調べがついていた。
ならばどうして、ルコはこんな真夜中に平然と森の中を歩くことができているのか。
答えは簡単、彼女の周りに護衛の騎士団員がついているからだった。
これが意味するもの、それは彼女の演技、裏切りだったが、簡単にそう推測するだけで済ませてしまうには、僕は彼女に絆を感じすぎていた。
「やれやれ、とんだ人情派だよ」
そんな風に自嘲しながら、気配を殺して、彼女らの後を追った。
そうしてしばらく経った頃、不意に彼女らの姿が消失した。
「魔法で組み上げた不可視の結界か……。さすがに『神杖』のあるじなだけあって複雑なことをするんだね」
僕はルコたちが消えた場所に立ちその空間を調べる。どういう構造になっていてどこに侵入の糸口があるのか、編み込まれた魔法を一つ一つ解読し、把握していく。
こういうのは得意だし、結構面白い。
結界から侵入されたことが術者に勘づかれないように、見つけ出した綻びに、絶を使って穴をあける。
その穴をくぐって結界内に侵入すると、そこには莫大な敷地の上に建造された巨大な城があった。
「うわー……、すごいなあ」
思わず感嘆を漏らしつつ、こじ開けた穴を丁寧に塞いでおく。
消えたルコたちの姿を探していると、城に続く階段を上っているところを見つけた。
とはいえ、周囲に身を隠せそうなものは森に比べるとどうしても少ない。
僕はたった今解析したばかりの不可視の結界を自分に掛けてから彼女を追った。
やがて城の内部に入ると、ルコたちはそのうちの一室へと案内された。
僕もどさくさに紛れてその部屋の中へと入る。内装は随分豪華に見えた。
「クク、待っていたぞ、ルコ」
部屋に用意された席の上座でふんぞり返っていた男がルコに声を掛ける。
ニタニタと笑う小太りの中年は、下品なほどの宝石の輝きに身を包んでいた。
「わざわざワシのもとまでやって来たということは、どうやら作戦は順調のようじゃな」
「はい……、全て滞りなく。赤鬼の捕縛、処刑も時間のうちでしょう」
「よしよし、さすがはわがしもべ。お前には期待しているぞ?」
「はい、ですから、全てが終わったら、どうか妹を、コルを解放してくださいっ」
「おうおう、わかっておるわい。見事赤鬼を裏切り、罠にかけ、殺した後で、貴様らの安全と自由を保障してやろうではないか」
「あ、ありがとうございます……っ!」
ふむふむなるほど。ルコの裏切ることはなんとなく想像がついていたけど、その理由はどうにもしっくりこなかったんだ。真相はこういうことだったんだね。まあ、ありがちな話かな。
「では、貴様に作戦の結構日時と場所について教える。そこまで赤鬼をおびき出すのが貴様の役割と心得よ」
「はっ……」
そう言うと、男はルコに赤鬼の捕縛・処刑計画に関する詳細を話し始めた。
まさか、その横で僕が聞いているなんて夢にも思ってないだろうけど。
やっぱり僕って優秀だな~、と思いつつ、目の前の男が持つ杖に視線は向けられる。
禍々しいほどの魔力を秘めていることが分かるその杖を前にして、僕はそれこそが探し求めていた『神杖』の一つなのだと悟る。
良かったー、おとぎ話じゃなくて、本当にあったんだ。
探し物の一つを見つけて満足感を感じながら、ある程度作戦の概要も聞いた後で、僕は城を後にした。
「フレアたちになんて伝えようか……」
***
「あれでよかったのか? むざむざ逃がしてしまったわけだが」
「正攻法で攻めてもアイリスには通じないです。あの子はとても賢いですから」
「クク。身内への情はないのかね」
「私は私が守りたいものを守るだけです。そのためにはどんな手段もいとわない」
***
「という訳なんだけど……」
翌日、スラムへと連れだしたルコ以外の全員に、昨日見た事実をそのまま話した。
結局、変に小細工をしても後々面倒なことになりかねないし、それにヤシャとフレア、彼らの反応を見ておきたいという思いもあった。
まず最初に声を上げたのはアザレアだった。
「もういいんじゃない? そんなことがあって、あの子を助ける義理もないでしょ?」
アザレアの言うことはもっともだ。厚意で助けていた相手に裏切られて、まだ助けようなどと普通の人間は思わない。
「ヤシャ、どうするんだ?」
なのだけど。
フレアの問いかけにヤシャは驚くほど何も変わらずに、こう言った。
「え、助けますよ?」
「まあ、そうなるよな」
それを聞いてさも当然のように受け入れるフレア。
僕がツッコむより先に、アザレアが彼女たちに突っかかった。
「正気? あんたたちはあいつに裏切られたのよ? 最初っから罠にかけようとあんたたちを騙すために近づいたのよ?」
「別に、ルコちゃんが私を裏切るとか、そういうことは気にしていないんです。大事なのは、今もまだルコちゃんは強者に虐げられている弱者であるということ、その一つだけです」
「はあ? 意味分からないんだけど。あいつが弱いからって何をどうするって言うのよ」
それを聞いたヤシャは目を閉じ、ゆっくりと息を吸い、再び目を開いてからその言葉を口にした。
「弱きを助け、強きを殺す」
「……!」
「それが私の正義なんです。この正義を失ってしまえば私は私でなくなってしまう。だから私はルコちゃんを助けるんです」
「……それって、とんだ自己中心主義じゃない」
「はい、そう言われても仕方ないと思います。けど、私がこの正義を掲げて、それが誰かのためになると信じている限りは、絶対にこの正義を貫き通します」
全ての人間が口にできる言葉ではないだろう。ヤシャの言うことを聞いた時そう僕は思った。
言葉に宿る、強さ、重み。それら一つ一つがヤシャの背負っている覚悟なのだと思うと総毛だつような気持ちになる。
僕は思わず生唾を飲み込んで、けれど努めて冷静に、今後についての話を始めた。
「それじゃあここにいる全員、引き続きルコを助ける方向でオッケーということだね」
「ちょ、私はそんなこと言ってないわよ」
「あのねアザレア。もう事態はルコを助けるというだけの話じゃないんだ。下層管理委員会にいいように使われて調子に乗った騎士団員がいるんだ。特に君はこの辺りのことを見逃しちゃいけない役職についてるはずだけど」
「ぐ……」
僕もできるだけ簡潔に話を進めたいと思って思いきり正論をぶつけたところ、アザレアからそれ以上何か反論が返ってくることはなくなった。
ごめんねアザレア。でも、もうあまり時間もないからさ。
「それで、これからどうするかってことだけど、僕としては危険を承知でルコの罠に引っかかるのが良いんじゃないかと思ってる」
「どうして?」
アザレアの疑問はもう先程のように僕を批判するものではなく、純粋に先を促すための質問になっていた。
僕は人差し指を立てて説明を開始する。
「まず一つはルコとコルの安全を確保するため。下手に僕たちがルコの罠を看破してしまうと、そのまま彼女たちに危害が及ぶ可能性がある。彼女たちを助けたい僕たちにとってこれはあまりよろしくないことだ」
次に、中指を立てて二を示す。
「二つ目は、ルコの心を送る能力だ。仮に僕たちが罠を完全に突破しても、ルコはそれを瞬時に敵側に伝えることができる。相手も馬鹿じゃないから次善の策くらいはいくつも用意しているだろうし、それらすべてに立ち向かっていくのはあまり効率的とは言えない」
そして僕は、最後に薬指を立てて三を示した。
「三つ目、たとえ正面から罠にかかったとしてもものともしないくらいの強さが僕たちにはある。正直、今回の作戦はルコとコルを人質に取られている分、最初から僕たちにとってはかなり分が悪い。彼女たちを助けるためには一瞬の隙をつく必要がある。だからこそ、わざと罠にかかってやって、相手を油断させるんだ。人は全てがうまくいっているときほど疑うということをしなくなる生き物だから」
特にああいう卑しく権力をかさに着てのさばっているような連中はね。
脳裏に浮かぶ下卑た男の気持ち悪い笑い顔を踏み潰す。
一通り僕の意見を聞き届けたヤシャが口を開いた。
「分かりました。この中で一番頭の回る探偵が言うのですから間違いはないでしょう」
そこに、いつものおどおどと弱々しい彼女の面影はなかった。
「私たちは真正面から敵に向かっていき、私たちの強さを示して、必ずあの子たちを助けます! ……行きますよ!」
「おう!」
なんとも力強い号令と共に僕たちの作戦は幕を上げた。
***
<side flare>
決意を固めた俺たちはルコからの動きを待つために一度家へと戻った。
そこで俺たちが見たのは衝撃の光景だった。
「あ、みなさんっ……! コルがっ! コルがっ!」
ドアを開けた瞬間、泣いているのか笑っているのかよく分からない顔でルコが駆け寄ってきた。なんにせよ、その表情は歓喜に満ちたものだ。
「コルが、帰ってきたんですっ!!」
ルコが泣き笑いながら指し示す先には、確かにルコとそっくりな顔をした青い髪の少女が立っていた。彼女は初対面の俺たちにどう接していいか分からないようで、小さく会釈をしてきた。
突然のことではあったが、探していた目的の少女が返ってきたんだ。
素直に良かったなと思った瞬間、空間を裂くようにアイリスが大声を上げた。
「違う!!!!!!!」
真っ向から敵に挑むと決めた。
しかしコルが返ってきて、よく分からないけどとりあえず安堵した。
――思えばそれは一瞬の隙だった。
アイリスの叫びに思わず振り向いた視線の先、ヤシャの首筋に今まさに斬りかからんとする刃が迫っていた。
ローズ!!!!!!!
「……殺った!」
掛け声とともに、今まさにヤシャの首が斬り落とされる。
ヤシャが殺される。
脳裏に浮かぶ炎上した風景。その中で佇む赤い髪の女。笑う。こっちを見て笑っている。
血だまり、赤い赤い風景。それは俺の風景。それは、それは。
「それをやるのは、お前じゃ、ない……っ!!!!!!!」
すんでのところでヤシャを突き飛ばす。代わりに刃の間合いに入った俺の身体。
全てがスローモーションになる。
あ、死んだ。そう思うより先に俺の身体は真っ二つに切り裂かれていた。
***
(続)
殺す赤鬼と死ぬ雛鳥 ナヒロ @nahiro23
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