相棒から見る、宇宙時代の何気ない運び屋生活の一コマ(尊い存在編)
◆
相棒のユークリッド人は指定組織の幹部とどこかに消えた。
奴がいない間に俺はといえば、指定組織ヴァーミリオンサンの構成員どもが運んできたネイキッドクリスタルのケースを二十個、サイレント・ヘルメスの貨物室に運び込んでいた。
連中が手伝おうとしたが、俺は頑として譲らずに、船に入れなかった。さすがに険悪な雰囲気になったが、連中は俺のテクトロンらしい体躯と、サングラスを貫く視線に気圧されたようだった。
荷物を積み終わり、奴らのリーダーと証書を交換し、それから俺は相棒が戻ってくるまでに船のメンテナンスをした。
「大層な船だな」
俺が三連環ハイブリッド推進器の調整をしているところへ、ゆっくりと近づいてきた男がいるのは、足音と気配でわかっていた。
ちらっと視線を向けると、ひょろりと背の高い男で、その特徴があるのはカサバ人だ。服装は作業着で、いくつかの工具が腰に見える。
「結構、速いぜ」
そう答えてやると、そのカサバ人は低い声でひきつるように笑った。
「そうは見えないが、増設されている装置は、そう言っている」
「ポンコツな上に骨董品だが、それには目をつむってくれよ」
冗談で応じて、俺は作業をやめてパネルを閉じた。惑星ィマーラにたどり着くまでにどこか不安があった箇所で、とりあえずこれで少しは安心できる。
「そちらさんの船は?」
手を拭いながら質問すると、あれさ、とやはり長すぎるほどに長い指でカサバ人が示すのは、少し離れたところにある大型輸送船だった。数人の人間がメンテナンスの最中だが、どう見てもヘルメスよりはまともな船だ。
「あんたはこんなところで油を売っているが、あそこにいるのは部下か?」
「いや、奴隷だ。借金のカタでな」
それはまた、というしかない。
「テクトロン人、あんたもせいぜい、誰かに支配されないように気をつけな」
カサバ人の忠告だろう言葉に、俺は肩をすくめた。
「支配されないように、生きているぜ、今も昔もな」
「指定組織に関わらないのが利口だ。ここにいる以上、間抜けさ」
「仕方ないさ。表の支配を抜けてみれば、裏の支配が待っていた、ということだな。自由の尊さは、よく知っている」
そうかね、と俺の言葉にカサバ人は頷き、急にパーツの取引を申し出てきた。
俺はまともな部品の在庫がないと答えたが、なら安く売ってくれ、と迫られ、結局、物置からオーバーパワー転換器を二つ持ってきて、売ってやった。
「テクトロンにあんたみたいな細かいことが好きな奴がいるんだな」
耳にタコができるほど聞いているからかいだ。俺は黙っていた。
「生きていれば、どこかですれ違うかもな」
やっぱり俺が黙っているので、カサバ人は手を振って部品を持ち直すと、そのまま自分の船の方へ行った。
その背中からすぐに目を離し、俺はしばらく、サイレント・ヘルメスの点検をしていた。
相棒が帰ってきたのは姿を消してから十時間後で、俺は文句を言いたかったが、奴は本当に不愉快そうで、苦々しげに言ったものだ。
「さっさと行くぞ。急がないと首が飛ぶ」
俺たちは操縦室へ移動し、あっという間に惑星ィマーラを離れ、非正規航路で惑星クリアファへ向かった。
何度も経験している、明らかな違法改造が生み出す大推力で、サイレント・ヘルメスは宇宙を突っ走った。
俺は操縦室の副操縦士席で、相棒の手伝いをしながら、後半はほとんど眺めていただけだ。
サイレント・ヘルメスの飛ばし方は奴が一番、知っている。装置の好不調は俺が受け持つが、装置を使いこなすのは奴だ。
警告が重なりに重なり、耳元で警告音が鳴り響き続ける。
何度かシートから放り出されかけたが、ベルトがぐっとそれを止めた。
航路の修正が繰り返され、しかしその度にヘルメスは加速していく。
ついに〇・八ダブルセカンドから、〇・七ダブルセカンドに達する。
ここまでの速度は俺が知る限り、ヘルメスでは初めてだ。これはほとんど、宇宙を舞台にした超長距離レースに特化した船でも出さないような速度だ。
自殺行為というより、すでに緩慢に自殺している気がする。
あっという間に時間が過ぎ、気づくと相棒がレバーに手を置いており、ぐっとそれが引き戻される。
通常航行へ戻っていた。そして、目の前には真っ青な星、惑星クリアファがある。
軽口でごまかして、俺は操縦室を出た。シャワールームにある洗面台で、胃の中身を俺は吐いた。ほとんど胃液だけだ。口をすすいで、サングラスを外して顔を洗った。
鏡を見ると、どこか憔悴したテクトロン人のいかつい顔がある。
こんなことだから、やっぱり俺は傭兵なんて向かないだろう。
サングラスをかけ直し、今度はリビングスペースへ行く。何も飲み食いしたくないが、経口補水液くらいは飲むべきかもしれない。
サーバーに入力し、浸透圧を加減しながらタンパク質を混ぜた。温度を調整して、ぬるいくらいに変える。
液体がマグカップへ注がれ、それを持つ手さえも震えているのだから、俺はやはり臆病なのだろう。
立ったまま両手でマグカップを包むようにして、口へ運んだ。
少し甘く、しかし塩気のある液体の温度は、何か懐かしいものを思い出させる。
その光景は、テクトロンで生活した集合住宅の一室だろうか。
家庭には何か、ぬくもりがあった。たとえそれが、死ぬことが宿命づけられた傭兵予備軍を育む場所だとしても、ぬくもりはあったのだ。
それを無視した俺は、ただ逃げただけなのか、それとも、本当に尊いものを見つけただけなのか。
明確な裏切り者なのか、それとも曖昧な革命家なのか。
マグカップの中身を半分ほど飲んだ時には、体の震えは消えて、意識も少しはクリアになっていた。
そこへ相棒がやってくる。少しだけ嬉しそうな顔をしているが、眼鏡の奥の瞳は血走っている。顔も少し青白く見えた。
「どうも今は、何かを食う気分じゃないな」
相棒がそう言ってキッチンへやってくる。俺がスペースを空けると、保存装置を開けて、何を取り出すかと思えば、アイスクリームだった。
食う気分じゃないとか言いながら、食うんじゃないか。
カップを手に取り、スプーンも用意すると、奴は胡乱げな視線を向ける俺の前をすり抜けていく。
ソファに乱暴に座り込み、奴はゆっくりとアイスクリームを食べ始め、俺としてはその様子をじっと見るよりない。
前から、胆力があるし、図太い精神の持ち主だとは思っていたが、生きるか死ぬかの大冒険の後、アイスクリームとは。
俺の視線にはずっと前から気づいていたのだろう、煩しげにその瞳が俺の方を向く。
「食いたいなら、保存庫にあるから、勝手に食え」
ああ、などと答えて、俺はほとんど反射的にマグカップの中身を飲み干し、保存庫の扉を開けてた。そこまでやって、俺がアイスクリームを食べる理由は何もない、と気づいた。
気づいたが、同時に、相棒の優しさだろうとも気づいた。
今は、それをありがたく受け取るとしよう。
保存庫の中にあるアイスクリームのカップを物色し、一つを選んで保存庫の蓋をやや強く閉じた。
スプーンと一緒に手に持って自分のソファに座った時には、相棒は電子端末に何かを入力している。
あらかた、ついさっきの決死の冒険のレポートだろう。何かの電子雑誌に投稿しているのは俺も知っている。
普段から一緒にいるから気付けないが、このユークリッド人は実はすごい奴なのだ。
俺のような半端者とは違い、ちゃんとした技術を持つし、目標も持っている。その目標までの道筋が危険すぎるだけで、目標に到達することもできるし、到達すれば、満足せずに更に先にある次の目標を見つける。
俺がやっている曖昧で、どこにも辿り着かない日々とは、違う日々に生きている男だった。
顔を上げたユークリッド人がニヤリと笑う。
「そういう顔をしていると、テクトロン人にも軟弱者がいると、よくわかるぜ」
「別に隠しちゃいない」
隠していないと言いながら、まるで隠すように、俺はアイスクリームを食べ始めた。そうすれば、相棒と視線を合わせなくても済む。
その相棒が声を向けてくる。
「お前は確かにテクトロンにしちゃあ軟弱だが、仕事は正確だし、根気強い。だから俺は一応、信用しているよ」
「俺もユークリッド人の計算と洞察は信用している。だが、無謀すぎる」
「こうして生きているんだ。無謀は無謀でもな」
無謀という自覚はあるわけだ。
もう何も言わず、俺はアイスクリームをゆっくりと食べた。嘔吐感はもうないし、手足のかすかな震えも消えている。
もう命の危機ではない、と理解したからか。
それとも、相棒が目の前にいるから、安心しているのか。
俺を遠回りに殺そうとしているのが奴なのに、俺は奴に何かを預けている。
命を預けている以上の何かを、預けている気がした。
奴が先にアイスクリームを食べ終わり、今後の予定について確認し始めた。
惑星クリアファにリキッドクリスタル二十ケースを届ければ、相当な報酬が手に入る。それで船をオーバーホールしようと言い出した。
俺もできることならオーバーホールしたいが、報酬と手持ちの金を合わせても、だいぶきわどい。
今も月賦を払っているのに、さらにそれが増えそうだ。
「まぁ、船があればいいさ。それに俺とお前が乗っていればな」
ユークリッド人はそういうと席を立って、スプーンを自動洗浄機に放り込み、空いたカップは再利用ダストシュートに突っ込んだ。
何か言いたげに俺を見てから、しかし考えていることは胸の内に収めたようで、「仮眠する。四時間後には到着だ」とリビングスペースを出て行った。
アイスクリームを最後まで食べ、俺は天井を見上げた。
自分が自分でいられる場所を探していた。
しかしそんな場所はない気もする。
ただ今、この瞬間、この場所が尊いのはわかる。
そして、相棒もだ。
俺はゆっくりとソファから立ち上がった。
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