第11話 第二次外領連合侵攻戦


 クガナとエルシャが、教会で姿を消してから四日後。

 ザラ、ドートを吸収したノエン軍はついに、アルディシア国境防壁へと到達した。


 防壁の上に並んだアルディシア兵による魔法や矢雨の嵐の中、ノエン軍は爆破魔法や破城槌によって、防壁を徐々に、しかし確実に崩していく。


 この戦局に大きな影響を与えているのは、ノエン軍の武器防具だろう。矢で貫けない兜、魔法を耐える鎧。祝福を受けた装備をした彼らは、アルディシアの猛攻をものともせず防壁へと向かっていった。


 アルディシアが意思決定機関を欠いていることも大きい。

 七年前に失われた王家はもちろんのこと、その代替である元老院も、議員の殆どが死亡ないし行方不明となっているのだから。


 アルディシアは現在、クガナとエルシャを逃がした咎で投獄されていた元兵士長、ボラス・ウィオンを国境防壁の指揮官に任じ、時間を稼ぎながら軍の再編成の真っ最中だった。



 ◇



「大変そうですね。みなさま」


 アルディシアの城から少し外れた、尖塔のような形をした遺跡。その頂に立って、ヨルメア・シファレスは微笑みながら戦況を見下ろしていた。


 ノエン有利は変わらず。しかし、ボラスが防壁の指揮を任されて以降、攻め手の勢いは徐々に鈍化しつつあった。


「クガナ様がおいでになるまで、焦る必要はない……しかし、この具合では、少し面白くないかもしれませんね」


 言って、指を一つ立てる。

 空間魔法が組み上げられ、ヨルメアの隣に黒ずくめの男が現れる。


「時の進みを早めましょう。時計の針に絡まった糸をほどきます」


 そのまま指を、防壁に向ける。黒ずくめの男が消えた。



 ◇



「配置を維持しろ! 救援を南に! 恐れることはない。奴らの装備が外領のそれより優れているとしても、我々のものとそう変わりはしないのだ!」


 防壁の内側で次々と命令を下すボラスは、ずいぶんと活力を取り戻しているようだった。天幕の前で歩きながら、刻々と変わる状況に対応していく。


「六三地点、被害軽微! 敵軍の攻撃が弱まっています!」

「隊を二つ、七四へ! 防護を固めろ!」


「七五地点に破城槌です!」

「火矢と油を急がせるんだ! 貫けずとも兵の足が止まる!」


「八八地点の防壁、破られそうです!」

「六八から魔法使いを回せ! いいか皆! とにかく時間を稼ぐのだ! 時間さえ稼げば、そうすれば——」


 そこで、ず、と。低い音がした。

 ボラスが自分の腹を見る。赤黒く染まった刃が背中から腹を貫いていた。


「ぐおおおおおっ!」

「ボラス殿っ!」

「指揮官っ!」


 側近たちが叫ぶ。

 ボラスの背後で黒ずくめの男は、そのまま剣を横振りに。ボラスの腹が容赦なく斬り裂かれた。


 男は剣を抜いた側近たちを牽制するように、素早く剣を構える。

 男の足元で、ボラスが呻いた。


「時間を……時間を稼がねば……そうすれば必ず、エルシュナーゼ様、が……」


 容赦のない刃が振り下ろされる。今度は首を——


「——させないっ!」


 白銀の刃が煌めいた。

 黒ずくめの男の剣が弾かれ、宙を舞って地面に突き刺さる。男はとっさに距離を——


「無駄あっ!」


 振った刃よりも遙か遠く。男の身体が斜めに斬り裂かれた。空断。斬撃のみを引き延ばす、クガナが編み出した我流の剣、その奥義の一つ。


 操ることが出来るのはクガナ本人と——


「エルシュナーゼ……様……っ!」


 エルシャがボラスに駆け寄った。


「すみません、遅れました! って、この怪我……」

「ど……どうということは……ございません……この身体、エルシュナーゼ様が間に合うまで、保ちさえすれば……」

「喋らないで! 大丈夫、ちゃんと治りますから。シオンさん! 治癒魔法を!」

「もうやってる」


 アルディシアに捕らわれた虜囚、シオンを、エルシャは連れてきていた。右手に魔法陣を、左手は患部に触れて、魔法を発動している。


「とはいえ、まだまだ治癒魔法は開発段階だからね。できるのは本当にわずかな応急処置程度だよ。それすら成功率は五割に満たない」


「でもやらないよりマシです。はあー、危ない危ない。もうこのまま間に合わないかと」

「間に合わないかもって話を今したんだけど」


 エルシャとシオンが噛み合わない会話をしたところで、防壁の外が騒がしくなった。


「くっ……襲撃……か……」


 立ち上がろうとするボラスを抑えて、エルシャは首を振る。


「大丈夫です。もう大丈夫。だって——」


 再び、防壁の外で無数の剣閃が舞い散った。


「わたしの師匠は、世界一強いんですから」



 ◇



 アルディシア防壁外。

 兵士の死体の真ん中で、クガナは一人立ち上がった。息を吐き出し、軽く肩を回す。どうやら右腕は問題なく動いているようだ。


「よし」

「出たぞ! ザラ戦で現れた破界者だ!」


 ノエン兵が叫ぶ。

 撃ち出される矢と魔法を、避けることもなくゆらぎ、避ける。クガナはそのままゆっくりと前進していく。


「なあお前ら、指揮官はどこだ?」


 口にする間にも矢は撃たれ、兵士達が斬りかかり、突撃してくる。その全てを躱し、斬り、クガナは歩みを続ける。


「指揮官はどこだ? 休戦を申し出たい。このまま行っても、この戦争でお前達が得るものはない。利用されているだけだ。指揮官を呼んでくれ」


 淡々と話しかけるクガナの前に、一人の男が立ち塞がった。腰に剣を帯びた、長髪の男。


「お前が指揮官か?」

「噂通りのようだな、白髪の剣鬼。これほどの研鑽を積んだ剣士を斬れる日が来ようとは、なんという僥倖か」

「違うならいい」


 男が後ろに退く——と、思いきや、無数の残像がクガナの周囲に現れた。理を壊す、破界の奥義。すなわち、この残像のいずれも、本物。


「我が奥義、破れるか!?」


 一瞬、クガナが消えた。

 そして現れる。

 男の背から噴き出す血と共に。


「見飽きてるんだよ。それ」


 男がよろけ、身体を剣で支える。荒い呼吸のまま、振り返り。


「では……これ……ならばぁっ!」


 振り抜くと共に、刃だけがクガナの背後から襲いかかる。が——

 クガナの身体がゆらぎ、男の首が宙を舞った。


 剣の血を払い、もう一度クガナが声を上げる。


「指揮官はどこだ!」



 ◇



「……本当、強すぎるんだよなあ、師匠……」


 監視塔から遠巻きに、エルシャはクガナの様子を見ていた。このまま行けば、まず間違いなくノエン軍は止まるだろう。


「俺一人で十分だ」


 クガナははっきりそう言ったが、本当に大軍勢相手に実現されると、弟子としてはたまったものではない。あんな師匠にどうやって追いつけというのか。


「悔しいような、嬉しいような……」


 ともあれ、ノエンが祝福の地を侵さなければ、仮にヨルメアが土地神アラドベレクを呼び出したところで、大規模な被害が出ることはない。祝福の地が侵されていないのなら、アラドベレクが暴れる理由もないからだ。


 ユーベルクの再現は、もう回避されたも同然だ。


「エルシュナーゼ様! どうなっておりますか!」


 治癒魔法が成功したらしいボラスが、監視塔の下から声をかけてくる。


「大丈夫そうです。師匠が圧倒してるので! もうノエンが休戦を受け入れるのも時間の問題ですよ!」


 エルシャの言葉に、ボラスは胸をなで下ろす。

 が、隣のシオンはそんな様子ではなかった。


「エルシャさん」


 シオンはエルシャに声をかけると、指を防壁外、ノエン軍の方——では、なく。防壁内に向けて差した。


 アルディシアの各所で、火の手が上がっていた。


「えっ……? は……? な、なんですか……? なんなんですか、あれはっ!?」

「おそらくノエンとは全く別の、外領の軍だ。すでに国内の奥深くまで侵入されている。ヨルメアの息がかかった外領は、ノエンだけじゃなかったんだ」


 遠くの街から、無数の声が薄れながらもここまで響いてくる。悲鳴、叫び声、泣き声。——苦しみが混じり合った声。


「助けに行かないと!」


 監視塔を飛び降り、着地。すぐさまエルシャは走り出そうとする。

 その肩を、シオンが掴んだ。


「事態はすでに進行してしまった。君は君のなすべきことを」

「でも——」

「クガナは、君に何か頼んだんじゃないの? 彼には出来なかった、何かを」


 シオンの言葉を、いや、クガナに言われた言葉を、心の中で反芻し。

 唇を噛んで、胸を掻きむしって。


「……後は頼みます。シオンさん」


 シオンが「分かった」と答えるより、速く。

 エルシャはアルディシア中央へと駆け出していた。



 ◇



 そして。


「始めましょう、神の降臨を」


「願いましょう、神民への救いを」


「我らは神に祝福されし者。神よ、どうか我らの命を護りたもう」


 神剣ソラスが遺跡の中央で輝き、ヨルメアは願い続ける。


「穢れし民に裁きを」


「神民を殺めし者に報復を」


「神の愛した地を、血に染めた者どもに、どうか滅びを」


 ヨルメアの願いに応じるように、神剣ソラスはその輝きを増し、少しずつ、少しずつ、土地神はその姿を形作っていく。


 斬り殺される神民の叫びが、神には聞こえている。

 燃やされる木々の嘆きが、神には見えている。

 死した魂の願いが、神には通じている。


 そうして人の子を、大地を、神の子供たちを護るため、土地神はその姿を現す。


 祝福の地アルディシア。その土地神、アラドベレク。獅子に似せた姿のその神が、今、このアルディシアを救うために顕現した。


 獅子の咆吼が、世界を包むほどに、世界を揺らがせるほどに、広大に響いた。


「さあ、アラドベレク様。どうぞ愛する神民をお救いください。そしてユベリオ様の後を追ってくださいませ。わたくしの愛するクガナ様の、神殺しの剣によって」

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