第10話 骸


「相変わらず敵わないなァ、クガナには。俺だって鍛えてるつもりなんだけれど」

「近衛が主より弱くちゃ話になりませんよ、ハバキ様」


 クガナが差し出した手を取り、ハバキは立ち上がる。ぱっぱと汚れをはたいてから、不満げに腕を組んだ。


「それにしたって、一本も取れないんじゃあ流石に主として格好がつかない。それに、もうすぐユラが俺たちを呼びに来るんだ。少しは手を抜いてくれたっていいじゃないか」

「はあ。まあ、お望みとあらば一本くらいは構いませんが」


「こーら。クガナを困らせないの」


 女性の声がした。どうやらすでに、ユラは訓練場にやって来ていたようだ。ユラのお叱りを受けて、ハバキが肩をすくめて降参の意思表示をしてみせる。


「ごめんなさいね、情けない主人で。全く! 格好! つけたいなら! もっと! しっかり! 鍛えなさい! っての!」

「痛い! 痛いってユラ! 俺だってちゃんと師匠から学んではいるんだぞ。それでも勝てないのはクガナが強すぎるせいだ! そうだろう? まったく。誰だこんな男を配下に加えようと言い出したのは」

「あなたね」

「ハバキ様です」

「ユラも後押ししたじゃないか! 連帯責任だぞ!」


 そうだったかしら? とすっとぼけるユラに、ハバキがしつこく抗議する。夫婦のじゃれあいをよそに、クガナは訓練用具の片付けを始めた。


「そういえばクガナ、相変わらず弟子を取る気はないのかい?」


 ハバキの問いに、クガナは少しばつの悪そうな顔をする。


「あー……そう、ですね。やっぱり、あまり気は進みません。酷く癖の強い我流ですし、他人に教えるようなものでは」


「そうか。まあ無理強いはするまい。……しかし、もったいないなァ。私が見惚れた剣技が、一代で途絶えてしまうのは」

「俺はこの剣をお二人に捧げられれば、それで十分ですよ。この身尽きるまでお供させていただきます、ハバキ様、ユラ様」



 ◇



「——しょう、し——う!」


 どうにもうるさい声が聞こえる。まだ起きるには早いだろう? もう少し、夢の中で——


「——しょう! 師匠! 大丈夫ですか師匠! 意識ありますか!?」


 意識? と、額を撫でると、指がどろりと血で濡れた。


「……俺、どのくらい寝てた?」

「寝て……? いえ、一瞬気絶してただけですよ。わたしを庇って魔獣に吹っ飛ばされて」

「そうか」


 軽やかに立ち上がり、身体の状態を確認する。臓器や足は大丈夫。頭も出血があるだけで、大した怪我ではなさそうだ。戻ったばかりの右腕の調子は……流石にまだよろしくない。左手で出来ることをするまでか。


 そうこうしている間に、どうやら先ほどクガナを吹っ飛ばしたらしい、二足歩行の魔獣が現れる。


「……お前のおかげで、久々にいい夢を見れたよ。せめてもの礼として、苦しまないように殺してやる」


 言うや、三斬。

 頭と首と背を同時に断ち切る奥義。魔獣は痛みの感覚すら得る間もなく絶命する。


「お見事です。師匠」

「お前のおべっかなんざいらん。さっさと行くぞ」

「はい、師匠。どこまでもお供させていただきます」


 お供させて——か。

 ふ、と思わずクガナは小さく吹き出した。


「えっ、ちょ、なんですかその反応。わたし、何か変なこと言いました!?」

「いいや。なんでもない。ただちょっと、意識飛んでる間に懐かしい夢を見ただけだ」

「懐かしい夢……というと、ここユーベルクの、とかですか?」


 そう。ここは呪滅の地ユーベルク。魔獣が闊歩する滅びの地で、過去の夢にまどろんでいる余裕はない。

 だが、それでも楽しい夢だった。そして、儚い夢。


「ユーベルクよりも前だよ。俺がまだ、生きてた頃の夢だ」

「生きて……? と言っても、師匠、不死身じゃないですか。まだ生きてますよ」

「……そうだな」


 否定もなく、ただ歩いていくクガナ。エルシャは首を傾げながら、ともかくその後ろをついていった。

 二人が歩みを続けるうち、太陽は沈み、月の光だけが周囲を照らす時間になっていた。


 迷わず進んでいくクガナに比べ、エルシャは周囲を警戒しながらおっかなびっくりという様子だ。周囲からこちらを狙う魔獣が怖いらしい。


「……あのー、師匠? 向かう方角って、本当にこっちで合ってます? なんだか、どんどん魔獣の強さが増しているような気がするんですけど」


「へえ。お前もこのくらいの力量は読めるようになってきたか。成長だな」

「馬鹿にしてますよね完全に。むう……わたしにも剣があれば……」

「その剣を調達しに行くんだよ。あと、ちょっと確かめたいこともあってな」


 一つ、大きな傾斜を越えたところで、景色が開けた。その先にあるのは、流星が落ちてきたかのような、巨大な空洞。底の見えない深さまで、あるいは地獄まで、深く地面が沈み込んでいるようだった。


「この空洞の下に、ユーベルクの土地神だったユベリオの骸がある」

「へー…………えっ!? ユベ、ええっ!?」


「驚きすぎだろ。俺は数十年ここにいたんだぞ。地形くらい覚えてる」

「そ、そうじゃなくって! ユベリオを殺したことで、師匠は不老不死になったんでしょう。その……呪いとか大丈夫なんですかね? 絶対やばい猛毒とか充満してますよ」

「心配なら上で待っててもいいぞ」


 話す間に、もうクガナは空洞の斜面を滑り降り始める。


「ま、待ってくださいよ師匠! 一人で残されたら魔獣に食べられちゃいますよおーっ!」


 慌ててエルシャもクガナを追って、空洞の中に降りていった。


 足元を器用に調整しながら、徐々に垂直へと角度が鋭くなる斜面を降りていく。そして最後に、「よっ」と跳ね、クガナは空洞の底に到達した。


「うわわわわわあああ! 師匠ぉ! 師匠やばいですわたし死にますああああああああ!!」


 続けてエルシャが、尻餅をついたまま勢いよく滑り降りてきた。ちょうどいい出っ張りがジャンプ台代わりとなり、勢いのまま宙へと飛び出し。


 すとん。と、見事。クガナの広げた手の中にお姫様だっこで収まった。


「……あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 お姫様だっこから降ろしてやると、エルシャは少し恥ずかしそうに姿勢を正し。それからまたへにゃあとなって、自分のお尻を優しくさすった。


「うう、痛たたた……。本気で死ぬかと思いましたよお……」

「待っててもいいって言っただろ」

「だからそれは、魔獣が怖いんですって。それに師匠って、わたしが見張ってないといつどこに消えちゃうか……って、お、おおー……」


 言葉の途中で、エルシャは目の前のものを見上げ始めた。


 倒れ伏していてもなお、軽く人の背丈の十倍以上は高さがある。獣に食われることもなく、腐ることもなく。死した瞬間のまま、時が止まったかのように。


 かつて神国ユーベルクの奉じた神、土地神ユベリオの骸はそこにあった。


「これが……神の骸……」

「どうやら俺が出ていってからも、全く様子は変わってないみたいだな」


 骸となってなお、ユベリオの神性は失われていないのだろう。獣も蠅も、風さえも、その身体に触れることさえ出来ていないようだった。


「ユベリオって、竜の姿をしていたんですね……」

「もちろんそこらで見かける竜とは別物だけどな。たぶん、獅子の姿をしたアラドベレクも同じだろう」


 エルシャは視線が吸い込まれたかのように、ユベリオの骸を静かに眺めていた。エルシャと共に、クガナも改めて自分の殺めた神を見る。


 閉じた瞳、白銀の鋭い牙、巨大な翼と、全身を覆う錆色の鱗。


 おそらく胸を裂かれている傷痕が致命傷なのだろう。クガナにもあの傷を付けた時の記憶が、かすかにだが、残っている。


「……ん。師匠、あの尻尾、ちょっと先のところが切れてません?」

「よく気付いたな」


 そう言って、クガナは軽く錆色の片刃剣を振る。


「これだ」

「…………はい?」


「この剣、あそこの尻尾なんだよ。切って削って剣にした」

「……え、あ、ええ……?」

「ここから出るには、魔獣たちを斃していく必要があるだろ? 自分の剣を使おうにも、数十年放置されて朽ちてたからな。この場で代わりを用意するしかなかったんだ」


「へ、へ、へえー……っ! そ、そんなこと出来るんですね」


 と、一通り引き気味に驚いたあと。

 しばしエルシャは固まって。


「…………さっき師匠、ここでわたしの武器を調達するって言ってませんでした?」


 こくりと頷く。


「あの、もしかしてですけど、その……」

「ユベリオの骸から作るんだよ。この場で」

「え、ええ? えええ? うえええええええええ!?」


 広い空洞の中で、エルシャの叫び声が反響を繰り返した。

 その間にクガナはひょいと骸の上に飛び乗り、使えそうな部位を探し始める。


「い、いやいやそんな、神様の身体を使うとか……バチが当たりますよ!」

「俺は当たったことないぞ。……いや、すでに当たってるから当たらないだけか? うーん、やっぱこれかな」


 クガナはユベリオの顔まで行ったところで、ぐぐぐと骸の口を開き始める。

 その口の中には、白銀に輝く鋭い牙が並んでいた。その一本一本が、まるで一つの大剣のように。


「えーっと、それじゃあまず、牙を切り出して……」


 言いながら、クガナは錆色の片刃剣を構える。


「ちょ、ちょっと待った師匠!」

「あん?」


 エルシャが焦り顔で。しかし真剣な顔で、クガナを見ていた。


「……どうしても嫌ならやめとくが」


 クガナの言葉に首を振り、エルシャは大きく息を吸う。そして、


「わたしがやります」


 決意の顔を、空洞へと射し込む月の光が照らした。


 クガナは無言でエルシャの言葉を受け取ると、手にした錆色の片刃剣——竜尾を、エルシャに投げ渡した。


「わっ、わわっ、と。これも土地神さまの身体なんですから、もっと大切に!」


 はいはい。とクガナは手を振るだけで応じる。


「その剣を切り出す時も、研ぐ時も、ユベリオの爪や牙を使った。他になかったのもあるが、おそらく神の身は神自身にしか傷つけられないんだろう」

「……じゃあ、師匠は、また土地神様を……アラドベレク様を、殺すつもりなんですか」


 クガナはエルシャの問いに答えなかった。

 ただ黙ったまま、エルシャの瞳を見ていた。綺麗な、まっすぐな瞳を。


 今更になって、改めて思う。どうしたってこんな間の抜けた、しかし純粋な少女が、自分なんぞの弟子になったのだろう。


 何かが導いた運命だったのか。あるいは、何かが捻じ曲がった末路だったのか。いずれにしても、天の配剤などというものは、間違いなくまともには程遠い。


 それでも。いや。


 それならば。


「……どんな結末になろうと、お前だけは護ってやるよ。俺の自慢の、たった一人の弟子だからな」

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