第8話 何者
「……で、見事に捕まったわけだが」
「捕まりましたねえ、師匠」
元老院議会の事件から一夜明け、クガナとエルシャの二人はアルディシア郊外にある牢屋の中で目を覚ました。
昨日、衛兵が飛び込んで来た議場には、元老院議員たちの死体がいくつも転がっていた。そしてその場に立っていたのは、大剣と片刃剣をそれぞれ手にした男女。
当然のごとく、二人は容疑者の第一候補として連行されることと相成った。
「まあ、剣を取り上げられなかったあたり、本気で罪人として裁くつもりはないんだろうが」
「それはわたしたちが抵抗したからじゃないですかね……」
錆色の片刃剣を左手で軽く振りながら、クガナが首を傾げる。
「したっけ?」
「しましたよ!? 衛兵たちを叩きのめして逃げようとした師匠を、わたしが必死に止めたんじゃないですか! 昨日の今日で忘れます? 普通」
「むざむざ捕まってやる義理もなかったと思うんだがなあ」
ひゅん、ひゅん、と剣を振るうたび、周囲に無数の剣閃が走る。当たり前のように放たれる破界の剣閃を避けるため、エルシャはクガナから少しばかり距離を取っていた。距離を取っていてもたまに剣がすっぽ抜けるので、非常に危険極まりない。
「わたしたちがやったわけじゃないんですから、堂々としていればいいんです。真犯人の死体もありましたから、まず大丈夫でしょう」
「いざとなれば、適当に逃げ出せばいいしな」
クガナはようやく左手の剣を置き、朝食に出された固いパンをこれまた左手で掴んで囓る。ずいぶんと不自由そうな、しかし何の問題もなさそうな様子を見て、エルシャは一つ、咳払いをした。
「師匠。そろそろ……聞いてもいいですか」
「ん? ああ……そうだな。この状況でまだ誤魔化せるとは、俺も思ってない」
クガナは牢の壁にもたれかかりながら、エルシャの言葉を待った。
「師匠は、不死者なんですね」
エルシャの言葉に、クガナが頷く。
「一応な」
一言口にして、クガナは肉と骨がむき出しの左手を見せる。
「不死といってもこの通り、すぐに傷が治ったりはしない。ただ、普通の人間と違って全身のどこが傷付いてもゆっくりと癒えていくから、死ぬことはないってだけだ。おそらく老いることもない」
「その腕、痛みはないんですか?」
「ある。が、もう慣れた。そもそも不死の身体になった時が死にかけの状態だったからな。そこから数十年、痛みにのたうち回り続けてたら、流石に感覚が麻痺もする」
「数じゅ……え? どういう意味ですか?」
「そのまま。すぐには治らないって言ったろ。腕が千切れて目が潰れて腹に穴空いて全身が溶けて……くらいだったかな。まず不死になった時の傷が治るまで、数十年かかったんだよ」
「な、なるほどお……」
エルシャは若干血の気が引いたような顔をしていた。無理もないが、クガナからすれば、あれは想像程度で辿り着けるほどの地獄ではない。という感情もどこかにあった。それほどの苦痛だった。
「で? 聞きたいのはそれだけか?」
「あ、えと、待って下さい師匠。そもそも一番聞きたかったのは……」
「ヨルメアの言ってたこと、か」
エルシャがこくりと頷く。
しかしクガナは頭を掻いた。
「……正直なところ、俺からしてもあいつの言ってることはわけが分からん。俺を慕っていたようなことを言うが、初対面のはずだぞ。あいつ、この国の貴族なんだろ?」
「そうですね。アルディシア元老院に入れるのは貴族だけらしいです」
「ならやっぱり、知らない女だ。長く生きてきたが、俺はあまり神国には近付かなかったからな。ただ、もし会ったことがあるとすれば……七年前だろうな」
「やっぱり、そこですか……」
七年前。神国アルディシアに外領連合軍が侵攻した戦争。
その戦乱の最中、アルディシア王族はエルシャを残して全滅し、ヨルメア・シファレスは地方の小貴族から元老院の長にまで駆け上がった。アルディシアを大きく変えた出来事だ。
「あの……師匠。一応、もう一度だけ確認しておきたいんですけど……」
「侵攻の先陣で、王族たちを殺したのは俺だよ。もちろんお前の両親を含めてな。そこは間違いない。だから、お前の仇は俺で合ってるよ」
どこか突き放すような口調で、クガナは答える。
「……そう、ですか」
その答えを聞いて、エルシャはどこか複雑な……迷いと、落胆が入り交じったような表情をしていた。
「……お前さあ…………いや、自分で言うのもなんだな」
「なんですか?」
「いや、別に」
「なんなんですか、もう! 昔から思ってましたけど、師匠って肝心なところで煙に巻こうとすること多いですよね? よくないですよ、そういうの。今回だって偶然同じアルディシアに辿り着いていたからいいものの、何の説明もなく地図と謎の品だけ渡されて、わたし本気で困惑してたんですから!」
むうと膨れながら、エルシャが師匠批判を展開する。こうなると長いのがエルシャの難点である。
「……まあ、それはともかく」
「ともかかないで下さい」
「……ともかく、だ。直接手を下したのは俺だが、あの戦争には内部に協力者がいたはずだ。もしそれがヨルメアだとすれば、あいつもお前にとって仇ではある」
エルシャはそこですっと表情を変えた。
「……ヨルメア本人が言っていました。『自分が手引きをした』と」
「そうか。なら決まりだな」
地方の小貴族が、外領の者たちを呼び込み、王族たちを殺させた。そして王の座を簒奪し、自分が神国アルディシアの支配者となった。
今回の騒動も、自分の支配体制を崩す存在である、生き残りの王族、エルシュナーゼ・ヴィズ・アリオンロードを排除するためのもの。
こう考えるのが、現状では最も筋が通るだろう。
「……でも、やっぱりそこで、師匠にこだわっていたのが不自然になるんですよ」
「だなあ」
アルディシアの王権争奪に、不死者クガナはなんら関係が無い。もちろん、王族をその手で殺め、エルシャを——形式上の表現ではあるが——連れ去った、というのは事実だ。
だが、それだけだ。あれほどの熱意でクガナを必要とするような関連性は、少なくとも現段階では見受けられない。
「手詰まりだな」
「そうですねえ。うーん……」
考え込んだエルシャが、ふと、思い出したように何気なく訊ねる。
「そういえば、聞きそびれていたんですけど。そもそも、師匠はどうやって不死になったんですか? そんな魔法も破界の術も、わたし聞いたことないですけど」
「あー……それなあ……俺も正直、原因はこれだとはっきり言えるわけじゃないんだが」
と、クガナが話し出そうとしたところで、廊下を歩いてくる靴音が響いた。
そして顔を見せたのは、大柄で髭面の、少し年老いた男。以前、古びた小さな教会でエルシャと顔を合わせた、元アルディシア兵士長だ。名前は——
「ボラスさん。お久しぶり……でもないですね」
「申し訳ありません、エルシュナーゼ様。このような場所にあなた様を入れることになってしまい……なんとお詫びすればよいのか……」
「いえいえ、野営に比べたら寝心地は全然良かったですよ。それより、どうかしたんですか? わたしたち、そろそろ出られそうです?」
「そのことなのですが……」
「死体が消えたか」
クガナの一言に、ボラスは忌々しげな顔で頷いた。
「お二人の話していた、真の襲撃犯——短剣使いの男という話でしたが、どうしてもあの部屋から死体が見つからないのです。衛兵も、部屋に入った時点では見たと証言する者が、いるにはいるのですが……」
「当の死体がない以上、信憑性に欠ける。と。だから最初から逃げときゃよかったんだ」
「で、でも、どうして死体が……わたし、たしかにこの剣で——」
「斬った。殺した。空間魔法で証拠隠滅、と。魔法使いにはお決まりの手だ」
困惑するエルシャに、クガナは端的に説明する。
ボラスがその言葉に続いた。
「私もそう訴えています。お二人が話す通り、あの場に死体がなく、行方も分からない、元老院議長ヨルメア・シファレス。彼女の空間魔法によるものだと。ただ……」
そこでボラスが言い淀む。
エルシャとクガナには伝えづらい……というような具合ではない。むしろボラス自身が、自分がこれから口にする事柄について、困惑しているような顔だ。
「ただ……なんですか?」
「私にも……理解が追いつかないのです。しかし、まずはエルシュナーゼ様に、事実だけをお伝えしましょう。彼女——ヨルメア・シファレスなのですが……彼女は幼い頃、王立魔法学院への入学試験に不合格となっています。不合格の理由は魔法適正が無いため」
「は?」
「え?」
今度はクガナとエルシャが、同時に困惑を口に出す。
「ヨルメア・シファレスは、魔法使いではない。であれば当然、空間魔法を使うこともできない。それがアルディシアの公式見解です」
◇
「文書偽造の形跡は無し。仮に巧妙な細工が行われていたとしても、当時の魔法学院を知る人物複数にも確認済み。そこまで根回ししている……ってのは、流石に考えづらいだろうな」
馬車に揺られながら、クガナが羊皮紙に書かれた内容を確認する。
「でも、これが事実なら、ヨルメアは魔法が使えることを隠していた……ってことですよね。子供の頃から」
「この事実と俺らの見たもの、両方を信じるなら、な。だが、『俺らが嘘をついて、ヨルメアに罪をなすりつけようとしている』ってのが、まあ普通の結論だろうよ」
「ですよねー……」
クガナの隣で馬車に揺られるエルシャが、沈んだ面持ちでため息を吐いた。
「でも、ボラスさんの尽力でこうして外出の許可を得られたわけですし。今度こそヨルメア本人を捕まえてしまえば、全て解決です」
「そう簡単に行くかねえ。このまま逃げ出した方が……」
「し・しょ・お?」
ぐいと顔を近づけて、エルシャが圧力をかけてくる。ここで二人を逃がせば、ボラスの面目は丸潰れ。どころか、責任を取って物理的に首を切られることも十分に考えられる。
外出許可を取りつけ、今は監視役まで買って出てくれているボラスに対して、あまりにも不義理な行為といえるだろう。
「はいはい、やんねーよ。なあ、ボラス、シファレスの屋敷まではあとどのくらいだ?」
「もうすぐです。詳細な地図がないので、現地で少し探す必要はありそうですが」
馬車の外で馬を操っていたボラスが答える。このボラスが常に行動を共にすることが、二人の外出する条件だった。
「ヨルメア、実家の……シファレスの屋敷にいますかね」
「さあ? でもとりあえず、行きそうなところを手当たり次第に当たってみるしかないだろ」
ヨルメアの生家には、兵を向かわせてもいい。そうボラスは話していたが、それでヨルメアを見つけたところで、懐柔されるか、殺されるか。もしくは逃げられるか、だ。結局、クガナたちが直接出向くしかないのである。
この結論に納得したからこそ、ボラスも元兵士長の肩書きを最大限活用して、二人の外出許可を得るまでこぎつけたのだ。
「失敗できないですよね……」
脇に抱えた大剣の鞘をなんとなしに触りながら、エルシャが呟く。
「逃げに徹した空間魔法使いは相当厄介だ。頑張れよ、女王様」
「師匠も手は貸してくださいよ」
「この手をか? それともこっち?」
クガナはむき出しの筋肉がようやく修復されつつある左手を見せ、それから袖しかない右側の肩を揺らす。
「…………。ガンバリマス」
「冗談だ。このくらい回復してれば剣を振るくらいはできる。完全な状態には程遠いが、お前の失敗に対処するくらいはしてやるよ」
「師匠……まるで本当の師匠みたいなこと言うじゃないですか」
「——お? 馬鹿にしてんのか?」
「してます。……けど、信頼もしてます。師匠はやっぱり、世界一の師匠ですよ」
「褒め殺しはいらん。気色悪い」
舌打ちをして、クガナは視線を外にやる。
そんなクガナを見て、エルシャは小さく微笑む。
そこでちょうど、馬車が止まった。
「エルシュナーゼ様、到着しました。ここからは徒歩で探しましょう」
ボラスの言葉を聞いて、二人は順番に馬車を降りた。
◇
「…………本当にここか?」
「たぶん……そうだと思うんですけど……」
小さな丘の上で、クガナとエルシャが言葉を交わしていた。
二人の足元には建物の土台となる基礎部分と、残骸だけがわずかに残るのみ。廃墟とすら言えない、建物の跡だけが丘の上に吹く風を受けていた。
「ヨルメアがやったんでしょうか」
「どうかな。今更実家を潰して、得るものもないと思うが……」
壁の破片らしきものを手にして、軽く力を込める。と、いとも容易く砕けて散った。
「こいつは、一日二日って様子じゃないぞ。こうなってから相当経ってる」
「エルシュナーゼ様ー! 近隣の住民を連れてきました!」
ボラスが一人の老婆をおんぶしながら、丘の道を登ってくるのが見えた。
元兵士長の体力はまだ健在……とも言いがたい様子だ。二人の前に老婆を降ろすと、ぜえはあ言いながら座り込む。
「こんにちは、おばあさん」
「ええ、こんにちは。都からはるばるこんな片田舎まで、よういらっしゃいました。なにやら大きな事件の犯人を追ってらっしゃるとかで。あいにくと、ここらには、なかなか都の話は伝わってこないもんで、はたしてお役に立てるかどうか……」
「ここで起きたことを教えてもらえればいいんです」エルシャはえーと、と考えてから、「この丘の上にある残骸なんですけど、シファレス家の屋敷の跡、で間違いありませんか?」
「ええ。そうですよ」
こくりと老婆は頷いた。
「火の扱いが悪かったんでしょうかね、大火事になりまして。屋敷が丸ごと焼け落ちてしもうたんです。うちらには建て直すような金の余裕もありませんので、こうしていつまでも跡だけが残っております」
「いつまでも……ということは、焼けたのは最近ではない?」
「そうですね。だいぶん前のことです」
エルシャがクガナに顔を向ける。
「やっぱり、今回の件とは無関係に、焼けただけなんでしょうか」
「……なあ、婆さん。だいぶ前ってどのくらい前だ?」
「それほど前というわけでもありませんよ。わしが婆になってからのことです」
「具体的には」
「ええと……お待ちくださいな。たしか、畑のぶどうが特に豊作だった年の、一つ前ですから……十年前のことでしょうか」
「えっ、十年前!?」
「侵攻戦より前だな。奴が頭角を現すより古い」
「じゃあいよいよこの屋敷、今のヨルメアとは無関係じゃないですか。完全に無駄足ですよ」
「ああ……というか、だったら侵攻戦の前まで、あいつどこに住んでたんだ? もう一度調べ直す必要がありそうだ」
話し合う二人の横で、老婆がしみじみと口を開く。
「侵攻戦……外領侵攻戦ですか。あれは酷かったですね……」
「おばあさんも、被害に遭われたんですか」
「はい。息子を一人亡くしました。ここらはまともな軍もありませんで、自分たちで身を守らにゃあなりませんでしたから。せめてシファレス様の家が残っていたら、兵隊さんを集められたのかもしれませんが」
しみじみと話す老婆に、自然と二人は黙りこくる。
が、そこでふと、気付いた。
「『シファレスの家が残っていたら』? ……婆さん、それどういう意味だ?」
「どう……と言いますと?」
「いきなり何を寝ぼけてるんですか師匠。さっきも話した通り、この屋敷が燃えたのは侵攻戦よりも前なんですって」
「いや、違う。なあ婆さん、この屋敷が燃えた時、死人は出たよな? 誰がどれだけ死んだ?」
「誰……と言われましても、名前までは全員思い出せませんが……」
そして、続ける。
「シファレス家の方々と、使用人は全員、お亡くなりになりました」
「————!?」
エルシャが驚きに目を見開いた。
「やっぱりそうだったか。さっきの言い草、シファレス家自体が無くなったって意味だ。シファレスの家の者はこの火事で全員死んでるんだ」
「だ、だとすると……ヨルメアも……?」
「当然、そうなる。ヨルメア・シファレスは、この火事で死んだんだよ、十年前に。それが真実だった」
「じゃあ……! でも、でもじゃあですよ? 師匠」
自分でも、今から自分の言うことに混乱している。
そんな様子で、エルシャは口を開いた。
「わたしたちの見たヨルメア・シファレスって、一体誰だったんですか!?」
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