第7話 刃を求めて


「白髪鬼……ですか?」

「ええ。そう呼ばれている正体不明の人物が、ここしばらく元老院議員を襲撃して回っているそうです」


 白い髪をした年齢不詳の男で、錆色の片刃剣を右手に持っている。太刀筋がほとんど見えないほどの速度で斬撃を繰り出し、多くの場合、議員たちに深い恐怖だけ与えると去っていくという。


「……師匠ですね。ほぼ間違いなく」


 エルシャが少しばかり困惑しつつ答え、


「師匠、と貴女が言うのは、クガナという人物のことでよろしいんでしたよね」


 ヨルメアが最終確認する。エルシャはもちろん同意した。


 エルシャとヨルメアは、現在共同戦線を張っている。その目的は、クガナの捕捉だ。


 クガナらしき人物がこのアルディシアで最初に確認されたのは、郊外にある新兵訓練場。その場に居合わせた者の証言によれば、その男は、「いきなり空から降ってきた」「左腕がぐちゃぐちゃに潰れていた」「人間とは思えない動きで逃げていった」という。


 この人物がクガナであろうということで、二人の意見は一致していた。

 そこに続いたのが、白髪鬼騒ぎである。


「師匠、一体何をやってるんでしょう……」

「貴女を守ろうとしているんじゃないですか。いいお師匠様だと思いますけれど」

「そうかなあ……」


 エルシャからすると、クガナという人物は、『よく分からない』。というのが、正直なところだった。


 過去を語らない。自分を語らない。

 傭兵として戦場を渡り歩き、確かなのはその圧倒的な強さだけ。


 二年間を後ろから、五年間を隣から見てきたが、エルシャはクガナの内面をまだ全く知らずにいる。


 ある日突然、全てが幻だったかのように消えてしまいそうな。存在そのものが虚ろな、戦場の亡霊。そんな印象を、エルシャはクガナという男に抱いていた。


「気になりますか? お師匠様のこと」

「そっ! それは……まあ。ちゃんとご飯食べてるのかなあ、とか」


 意外な言葉だったのか、ヨルメアには珍しく、本当に面白いという顔で笑った。


「ふふ、そういえば、食事は貴女が作っていたとおっしゃっていましたね。……でも、貴女、どうしてそこまでクガナさんに献身的なんですか? ご両親を殺した仇ですよね」

「献身的という表現は気に食わないんですけど……」言いつつも、しぶしぶとした顔で「まあ一応、弟子と師匠の関係ですし、食事のお世話くらいはしますよ」


「やっぱり、そこが疑問なんですよね」


 ヨルメアは軽く自分の服から埃をはたきながら言う。


「どうして貴女は、彼に弟子入りなんてしたのでしょう。彼はおそらく世界一の剣士です。そこに異議は挟まずにおきましょう。しかし、一流の剣士が必ずしも一流の師とは限らない。むしろ多くの場合、その二つは両立しませんよ。そして何よりも、貴女にとって彼は、復讐対象である憎き仇なのでしょう?」

「それ、師匠にも何度も言われたな」


 その大きさで嫌でも目立つ神剣ソラスを外套で隠し、エルシャは目深にフードを被る。新調した靴の紐を締め直して、軽くつま先で地面を叩いた。


「自分の師匠くらい、自分で決めます。わたしはあの人がよかった。師弟になるには、それじゃあ足りませんか?」


 サファイアのような蒼い髪が、フードの隙間で少しだけ風に揺れた。

 まっすぐな瞳から、ヨルメアがそっと視線を外す。


「いいえ。十分だと思います。エルシュナーゼ様」


 呆れるほど丁寧に、深々とヨルメアはエルシャに一つ礼をした。

 そして、向かう先に手を伸ばす。


「では参りましょう、貴女のお師匠様を見つけるために」


 今回の計画は単純だ。これから開かれる緊急の元老院議会に、白髪鬼——すなわち、クガナが来るのを待つ。ただそれだけ。すでに公表は済んでおり、おそらくクガナの耳にも入っているはずだ。


 議場への道を歩きながら、世間話のように二人は言葉を交わす。


「来ますかねえ、師匠」

「どうでしょうね。もしかすると警戒して動かないかもしれません。でも、駄目なら次の手を打つだけです。彼がアルディシアを出ない限りは、いずれ見つけられると思いますよ」


「はあー……なんで弟子が師匠に会うのに、餌を吊して狩りをするような真似をしなくちゃいけないんでしょう。わたしたちは、ただ顔を合わせたいだけなのに」

「その弟子が七年ぶりに帰ってきた王族で、元老院にとっては邪魔者だからですかね。他の元老院議員に気付かれないよう、ちゃんと顔と神剣は隠しておいてくださいね、エルシュナーゼ様」


 分かってますよ、と、エルシャはフードを深く被りなおす。


「それにしても、あなたが師匠のことを知ってるとは思わなかったですよ、ヨルメアさん」

「…………。外領連合軍との戦いには、わたくしも参加しましたから」


 議場の前に来たところで、衛兵とヨルメアがやりとりを始めた。


 ヨルメア本人はもちろん苦もなく通れるが、エルシャを共にするのにいくらかの理屈をでっち上げる必要がある。曰く、昨今は白髪鬼が元老院議員を襲撃する事件が相次いでいる。議場の内部にも護衛を連れて入るべきだ。というような説明だった。


 衛兵は全て納得したという顔ではなかったが、元よりヨルメアの主張に逆らえるほどの立場でもないらしい。少しばかりの疑いを残したままの顔ではあるが、「どうぞ」とエルシャを議場の中に通した。


 その中に足を踏み入れたところで、エルシャが立ち止まる。


「……一つ、訊いてもいいですか」


 振り向き、淡々とヨルメアは応じる。


「なんなりと」

「七年前の戦で、外領連合軍によって、わたし以外の王族が殺されたという話でしたよね」

「ええ。そうですね。一族郎党、全て」

「手引きしたのは、あなた方元老院ですか?」


 ヨルメアは表情を崩さず、しかしゆっくりと答えた。


「——わたしが、手引きをしました」

「そうですか」


 一言答えて、エルシャは「ふうー……」と、長い息を吐き出す。

 ——それとほぼ同時に、議場の奥から悲鳴が聞こえた。


「賊だ! 賊が出たぞ! 兵を! 衛兵を呼——」


 叫ぶ声が途中で途切れる。


 エルシャはとっくに走り出していた。

 廊下を駆け抜け、声の聞こえてきた中央議場の扉を開く。


「師匠!」


 血溜まりが広がっていた。

 その中央に、静かに男が一人立っている。錆色の片刃剣を手にして。


 七年前と同じような光景。両親が斬り殺された瞬間が、エルシャの意識の奥に甦る。呼吸が荒い。目の前に火花が散って、意識がどこかに遠のきかける。


「……なんだ、お前やっぱりここにいたのか」


 クガナがいつもと変わらない、落ち着き払った顔で言う。


「なんだ、じゃないですよ……何を……何をしているんですか、師匠!」

「……? どういうことだ?」

「どうもこうも! もしかしたら師匠は! あの時のことは師匠のせいじゃないかもって、わたしは!」

「少し落ち着け、何を言ってるのか分からんぞ。第一、これはお前が——」


「——貴方がエルシュナーゼ様のお師匠様ですか?」


 背後からヨルメアの声がした。振り向く。その時にはもう、ヨルメアはクガナの傍にいた。

 恍惚とした表情で、ヨルメアはクガナに手を伸ばす。


「ああ、この髪の色。竜の尾を研いだ剣。そして何よりその、けして老いることのない姿。間違いありません。ええ。間違えるはずがありません。ああ、ああ……お慕い申し上げておりました……偉大なる不死者、クガナ様」

「え? 不死……?」

「……お前がヨルメアか?」

「はい」


 部屋全体が、突然暗闇に包まれた。


「——えっ!?」


 いや、黒い何かに変わった。と表現するべきだろう。包む時間など無かった。ただ一瞬にして切り替わったのだ。


「空間魔法の使い手……やっぱりお前だったか」

「クガナ様。クガナ様。クガナ様。甘美な響き……ああ、なんということでしょう。こんなにも早く、貴方様に出会えるなんて」


 黒い空間が一気に肥大化する。クガナとエルシャとヨルメア、互いの距離が果てしないほどに遠くなり、空間はサイコロ状に分裂を始める。


「ち——」


 クガナが剣を構え——た時には、ヨルメアはクガナの背後にいた。そして絡みつくようにして抱きつく。


「もう離しません。どうかわたくしにお力をお貸し下さいませ。偉大なる神殺しの死王。不死にして不死の破界者。終焉の叫声を鳴らす者。クガナ様にわたくしの全てを捧げます」

「イカレてんのか、こいつ!」

「師匠! 何が起きてるんですか、師匠!? 不死って、誰が!?」

「こいつの空間魔法だ。いいか、よく聞け!」


 ヨルメアに絡まれたまま、クガナは大きく縦に剣を振るう。黒い空間を裂くように、巨大な白い傷が走った。


「お前はその隙間から出て、アルディシアを掌握しろ。使える奴は藁でも使え。お前なら何とかなる」

「な、何とかって……師匠は!?」

「どうにかする。そもそもお前からすれば、俺がどうなろうと知ったこっちゃないだろ」

「え、な、何言って……」

「俺はお前の仇だ。そうだろ? そもそもおかしかったんだ、今までが」


 クガナはエルシャに、自分にも言い聞かせるように言葉を続ける。


「——だから、いい加減、終わらせよう。俺たちの関係は。全部、無かったことにすればいい。生きる世界が違ったんだ、俺たちは」

「何言ってるんですか、師匠……」


 顔を伏せ、エルシャは何度も首を振る。


「何言ってるんですか、師匠!」


 エルシャが声を荒げた。それから、小さく震える。


「そんなのって……無いですよ。知ったこっちゃない? 無かったことにしろって? 誰が? 何が? どこが知ったこっちゃないんですか? わたしがこれまで、どんなに……どんな思いで……」


 背にした神剣ソラスを抜き放ち、巨大な剣身を輝かせる。

 ゆっくりと構えを横に。今見た剣を思い出しながら。沸き立つ衝動を刃に集め。


「ふざけんな! こんの…………馬鹿師匠ぉ——ッ!!」


 巨大な——あまりにも巨大な刃が、黒い空間を上下に両断した。

 空断。クガナが我流で極めた剣術の、奥義の一つ。剣身を遙かに超える刃を斬り放つ。そう。それは例えば、魔法によって形成された広大な空間であろうと。


「——っ! これは、このままでは——」


 ヨルメアが初めて、焦りの表情を見せる。


 クガナによる縦の斬撃。エルシャによる横の斬撃。十字に刻まれた傷によって、空間が崩壊を始めていた。

 その隙を突いて、身体を揺らがせたクガナがヨルメアの手から逃れる。


「クガナ様!」


 そこで必死に飛びかかり、ヨルメアはクガナの右腕にしがみつく。そしてそのまま、自分自身を中心に空間を作り変えていく。

「こいつ、どれだけしつこい——クソが!」


 右手首だけで剣を投げ上げ、肉と骨がむき出しの左手で掴む。そして。


 すぱ。と、右腕を斬り落とした。


「ああ。ああっ! クガナ様、どうして……わたくしには、わたくしの願いを叶えるには、貴方様が必要なのに——」

「右腕はくれてやる。じゃあな、ヨルメア」


 変化する小さな空間の中で、ヨルメアが悲しみの声を上げる。右腕の出血を止めるクガナの目の前で、ヨルメアの姿が消失した。


 広大な黒い空間は崩壊し、気付けば空間は議場へとその姿を戻していた。

 そして血溜まりと死体の中で、二人。


 クガナとエルシャ。師匠と弟子がようやく再会を果たした。


「……お前も、つくづくしつこい奴だな」

「師匠譲りですよ。食らいついたら逃しません。死んでも。死ななくても。永遠に」


 軽く額を当てて、エルシャがクガナの胸の中に入り込む。クガナはそんなエルシャの、頭を包みこむように左腕だけで抱きしめてやった。


「…………」

「……さて、問題はここからだ」

「……?」

「いるんだろ? ヨルメアの手駒」


 急に扉が開き、突風が部屋を駆け抜ける。

 その風が収まると、一つの死体の上に男が立っていた。両の手にそれぞれ短剣を構えている。物腰だけでも、相当な使い手だと察せられた。


「ヨルメアはどこへ消えた?」

「参る」


 エルシャを突き飛ばし、クガナは左手の剣で男の短剣を受け止める。——が、弾かれる。むき出しの骨と肉だけの左腕では、剣を握り続けることもままならないらしい。もちろん、ヨルメアに掴まれたままだった右腕はもう、この部屋のどこにも残されてはいない。


 ヤケクソ気味に素早く回転しての回し蹴り。男はしゃがんで躱しながら、クガナの蹴りに短剣を合わせる。足から血が噴き出した。


 そして同時に二人、距離を取る。


「師匠! 大丈夫ですか!?」

「これが大丈夫に見えるか?」

「見えません」

「だろうな!」


 神剣ソラスを構えたエルシャが、クガナの前に立つ。


「破界の技が使えたからって調子に乗るなよ」

「はい」

「相手も破界者だ。必ず勝て」

「はい」


 男が低く構える。


 ——来る!


 迫る相手に合わせるように、エルシャの袈裟斬り。男が曲芸のように跳ね上がった。そのまま斬り上げで大剣が男を追う。大剣と短剣が打ち合い、男がもう一度空中で跳ねると、天井を蹴っての奇襲。エルシャはどうにか退いて躱した。そして距離を取る。


 強い。もちろんクガナほどではない。しかしそのクガナは両腕とも使えない状態だ。戦えるのはエルシャしかいない。

 右腕の応急処置を続けながら、クガナは思考を巡らせていた。どうすればこの男にエルシャが勝てるのか。勝ちへの道筋が見えない。


 飛びかかってくる男の姿が三つに分裂する。全てが半透明の影。破界の技、一つの技術の到達点。やはりこの男も並大抵の存在ではない。

 大剣で弾こうにも、相手の手数が多すぎる。手足を斬り刻まれて、エルシャは思わず声を上げた。そしてまた男は距離を取る。


 やはり厳しいか。ならばここは——


「——師匠」

「一旦退くぞ、俺が足止めする」

「師匠どうしましょう……わたし」

「早く走れ。今は生き残ることだけを——」

「——わたしいま、とんでもなく気分がいいんです。気分が良すぎて、頭が空っぽなんです。何もかもが見えるんです。師匠、ねえ師匠、どうしたらいいんですか、これ」

「なんだと?」


 突然の話。

 しかし、けして有り得ない話ではない。


 エルシャは今、新たな破界の技を見出した直後なのだ。精神と肉体が新たな段階に達し、全身の感覚が研ぎ澄まされた、言うなれば一種の覚醒状態。


 剣士にとって、一生に一度あるかどうかの時間だ。これを無駄にする手はない。


「だったらもう一つ破ってみろ。限界を」

「出来ますか」

「お前が出来ると思うなら、確実に」

「じゃあ、やります」


 エルシャが纏う、空気が変わった。

 神剣ソラスを天に掲げ、目を閉じる。何を見ることもなく、識る。


 男はエルシャの異様な気配を感じ取ったのだろう。分身を生み出しながら距離を取る。が、それも今のエルシャには無意味だった。


「さようなら」


 その場で剣を振り下ろす。刃が虚空を裂く。同時に、背を向けて逃げ出していた男が『正面から』両断された。


 血を払い、神剣ソラスを鞘に収める。


 それからエルシャはゆっくりと、長い長い息を吐いた。

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