第6話 夜に蠢く


 真夜中のアルディシア。人の少ない舗装路を、馬車が走っていた。


 馬車がちょうど教会の前を通りがかった時。その道のりを塞ぐように、フード姿の人物がふらりと姿を見せた。馬がいななき、御者が声を荒げる。


「そこの奴、どけどけぇ! 踏み潰されたいの——か?」


 瞬間。フード姿の影は消え、馬車の荷車で何か高音が響いた。

 荷車の屋根が外れ、四方の囲いも崩れ落ちていく。


 そして、御者の背を踏みつけにして降り立ち、フードを取ったのは、クガナ。錆色の片刃剣を右手に、馬車の中身を見下ろしていた。


「……ち。こいつも外れくさいな」


 そこにいたのは、男と女の二人。男が女のドレスの胸元を開き、乳首をむさぼっているところだった。


「な、なな、なんだ貴様は! 私をアルディシア元老院——」

「今の状況で名乗るのか。最高に間抜けな格好だが」


 クガナの発言に、男は爆発でもしそうな勢いで顔全体を真っ赤に膨らませ、女の方もおずおずと乳房をしまう。


「その白髪に、片刃剣——そうか、分かったぞ。貴様が最近我々を襲撃しているという、白髪鬼とやらか! おい、誰か! 誰かいないか! 手配の男が出たぞぉーっ!」

「女遊びもほどほどにな、おっさん。俺も忙しいんだよ」


 軽くクガナが剣を振るうと、男の腰のベルトだけがばつんと斬れた。そして実に粗末な男のものが夜空の下に晒される。

 あらまあ。と女がそれを見るより早く。


 クガナはとっくに馬車から跳び去っていた。


「やっぱり、効率悪いかな」


 舗装路から外れて木々の隙間を走りながら、クガナは独りごちる。


 件の影魔法の使い手が、「あの方」と呼んでいた人物。空間魔法の使い手か、あるいはそのさらに親玉か。いずれにしろ、何らかの目的をもってエルシャを捕らえようとしていた人物は、いまだに見つかっていない。


 影魔法の男の口ぶりから、おそらくは現在この国を支配する者たち——元老院の者であろうことは、確信に近い形で予想できている。

 しかし、当の元老院議員たちといえば、実に腑抜けた連中ばかり。先ほどの不倫男もそうだが、これまで襲撃した者たちも、まるで自分たちに危害が及ぶという想像すらできていない有様だった。


 こんな連中が、本当にエルシャを捕らえる命など出しているのだろうか。いや、そもそもまともに国家運営など行っているのだろうか。

 政には疎いクガナですら疑わしく思えるほど、元老院は愚鈍な輩の集まりだった。


 あるいは何か、勘違いをしているのでは。エルシャを狙うのは、何か全く別の思惑を持った存在なのかもしれない。可能性だけならいくつも思い浮かぶ。


「……まあ、とりあえずあいつに会ってみるか」


 月夜に跳び、クガナは街の外れへと向かった。


「よう」


 鉄格子の前から、クガナは牢内の男に声をかけた。

 格子の付いた小さな窓から外を眺めていた男は、クガナの声にゆっくりと振り向く。


「やあ。こんばんは、クガナ。どうしたんだい、こんな夜更けに。僕に用事?」

「相変わらずズレたこと言ってんな。もう少し驚けよ」


「驚くって、何を? 君が神国アルディシアにいること? 戦争捕虜の牢獄に気付かれず侵入していること? 七年ぶりに会ったのに、全く君の外見が変わっていないこと? どれも君にとっては当たり前のことじゃないか」

「……全て承知の上ってわけだ。相変わらず、天才の呼び声は伊達じゃないな、シオン」

「僕なんて、君に比べたら何てこともない存在だよ、クガナ」


 魔法使いシオン。幼い頃から天才の呼び声高く、類い希な魔法と優れた見識を評価された逸材。外領出身の外民で、七年前のアルディシアとの戦争、外領連合侵攻戦においても、魔法使い兼軍師として非凡な才能を見せた。


 戦争の後、現在は捕虜としてアルディシアに囚われている。本来ならば、神国の外民に対する扱いは厳しく、捕らわれた兵は解放されることもなく処刑されることが殆どだ。だというのにシオンがいまだに捕虜のまま幽閉されているのは、その才能をアルディシアすらも買っているからだろう。必要な時、助言役として力を借りるために。


「それで、クガナが聞きたいのはこの国の元老院のこと?」

「……お前は、少し話が早すぎるのが欠点だな」

「クガナが聞きに来るようなことが他にないからね」


 笑うでもなく、ゆったりとした口調で、しかし少しだけ楽しげに、シオンは話を続ける。


「このアルディシアで政治を行っているのは、たしかに元老院だよ。でも、その殆どは決議の際に票をどちらに入れるかの自由さえ与えられていない。形だけの議員だ」

「やっぱりそうか」

「うん。そして、この国の実質的な支配者は、ただ一人。元老院の議長であるヨルメア・シファレスだ。彼女が今この国の女王だと言って差し支えない」


「ヨルメアか。……知らない名前だな」

「シファレス家はあの戦争以前は、地方の小貴族だったんだ。それが一気に元老院の長にまで成り上がった。王族の殆どを殺されるほど侵攻された連合軍を、彼女の率いた兵が押し返したという戦果によってね」


「しかし、俺の記憶だとあの戦は……」

「そう。内通者がいたよね。僕らはその助けもあって、大いに侵攻を進められた」

「嵌められたってことか?」

「そう。全ては彼女の手の平の上だったんだ。外領連合軍が侵攻するのも、最後は手酷く返り討ちにあうのも、その途中でアルディシア王族が殺されるのも」

「殺したのは俺だけどな」


「それが唯一、彼女の計算外だった部分だよ、クガナ。君があの子を連れ出したことが」


 エルシャのことも、シオンは知っていたらしい。さもありなん、と、驚きはしないが。


「それで? 俺はどうすればいい」

「決めるのは君だよ。僕は君の心を知ることはできない。君がどうしたいか、何を求めるのか。決める権利があるのは君だけだ」


 クガナはこれ見よがしに舌打ちをして、それから笑う。


「相変わらず、嫌味なガキだ」

「ふふ。懐かしいな。昔も同じ事を言われた。もう僕は子供じゃなくなってしまったけど」


 言いながら、シオンは少し、クガナに近付いてくる。

 その頭を、クガナはぐしゃぐしゃと撫でてやった。


「俺からすれば、いつまで経ってもガキのままだ、お前は。……長生きしろよ、シオン」


 それじゃあな、と声をかけて、クガナは素早く牢を立ち去った。少々暴力的に寝かせておいた看守を小突き、看守が目覚める合間に霧のように消える。


 そんなクガナに小さく手を振りながら、シオンは呟く。


「……クガナもね。とは……言えないか」


 寂しげに微笑んで、シオンはまた鉄格子の向こうにある星空を見上げた。

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