第3話 破界の戦場


 明くる日。


 クガナとエルシャの師弟二人は、ザラ軍の先頭部隊に所属し、進軍の号令を待っていた。


「……おかしいな……おかしいですよね師匠……たしかわたしたち、昨日ここに到着したときには、ノエン城の防衛に回るって話をしてたじゃないですか」

「そうだな。してたな」


「じゃあどうして今、ザラ軍の先頭に立ってノエン城への攻撃に参加しようとしてるんでしょうか!?」

「仕方ないだろ。ノエンの連中が傭ってくれなかったんだから」


 昨晩。クガナとエルシャは見張りの隙をついて、ノエン城へと入り込んだ。


 厳戒態勢のノエン城内部は、備えられた糧食と真新しい武器防具が積み上げられ、戦士や魔法使い達が廊下まで溢れ、出番を待っていた。


 そんな中を二人歩き回って発見した、兵士の管理担当らしき人物。その神経質そうな男に、自分たちが傭兵であること、傭い入れれば勝利に貢献する自信があること、を告げたところ。返答は次のようなものだった。


『我が軍の戦力は十分足りています。お引き取りを』


「やっぱりザラの間者だと思われたんですかねー。突然城に侵入して、自分たちを兵士にしろなんて、胡散臭いことこの上ないですもん」

「間者ならわざわざ偉いさんの前に顔出さないだろ。侵入はできてるんだから内部で破壊工作でもすればいい」


「じゃあどうして断られたんでしょう? 城まで追い詰められたノエンにとって、兵士は一人でも多く必要なところだと思うんですけど」

「そりゃあもちろん、俺たちのその見立てが間違ってたってことだろ」

「……? と、言いますと?」

「——よう、アンタらが噂の腕利きかい?」


 話し込んでていた二人に、近くから声がかかった。

 声の主は顎に傷のある大柄な男。背には長い槍を負っていた。


「なんだいアンタら、思った以上に若えな。弟子だっつう女の方はともかく、男の方も……アンタ何歳だ? 髪は真っ白みたいだが」


「そういえば師匠、今おいくつなんですか?」

「…………何か用か?」


 弟子の質問を無視して、クガナは大柄な男に訊ねる。


「おいおい、そう怖い顔するなよ。破界者の傭兵師弟が軍に入ったってんで、ちょいと顔でも見てやろうと思っただけさ。俺以外の連中だって、アンタらにゃ興味津々に違いないぜ?」

「破界者が珍しいのか?」

「この軍にも少しはいるが、師匠の方は奥義を五つも使えるって聞いたんでな」


 破界者。


 限界を破る者。世界を破る者。

 武芸の道を追い求めた先で、人の身を超えた技を得た者。


 その技の多くは各武術流派における奥義や秘技とされ、武芸を究めた者だけが辿り着く、秘められた境地。


「あれ。五つ……だけですか?」


 エルシャが訝しげな顔でクガナを覗き込む。その頬を軽くピンと弾いて。


「鬱陶しいな」


 クガナの姿がゆらめいた。

 その瞬間。あるいは、ゆらぎよりも早く。


 クガナは大柄な男の背後に立っていた。男がヒューッと口笛を吹く。


「お見事! どうやら本物らしいな」

「同じ軍でなけりゃ、さっさと斬り捨ててるところだ」


 錆色の片刃剣を手にして、クガナはまたゆらめくようにエルシャの隣へ戻る。


「ハハハッ、恐ろしいねェ! アンタが味方で助かったぜ」


 言いながら、男は背負っていた槍を掴んで自在に振り回す。


「だがしかし、俺も破界者の一人。アンタが敵でもそう簡単にやられやしねえ。今は一つの奥義を究めただけだが、この戦争で更なる力を手に入れてやるつもりだ」


 改めて構えたところで、大柄な男はまたうるさく笑った。


「ところでアンタら、流派はどこなんだい。二人とも剣だよな。獅王かい。朱雀かい。ちなみに俺の流派と奥義は——」

「——エルシャ」

「はい」

「——らボッ——?」


 ノエン城から撃ち出された無数の光の矢が、ザラ軍の兵達に襲いかかった。軍の隊列が乱れる中、クガナは身動き一つ無く不可思議に躱し、エルシャは大剣で矢を弾く。


 そうした矢のうち一つが、槍を構えた大柄な男の頭蓋を射貫いていた。


「ありゃ。師匠ー、この人、死んじゃいましたけど」

「戦場で気を抜くとこうなる、破界者だろうとな。まあこいつの場合は、破界者になった程度で喜んでるんだから素人未満だが。……なんて、改めて言うまでもないか?」


「はい、師匠。師匠の教えは毎晩寝る前に全部暗唱してますから」

「ええ……それはちょっと怖いな……」


「うえっ!? なんでですかあ!? 大事なことですよ! 日々心に刻みつけるからこそ、咄嗟の瞬間にも師匠の教えが活かせるんじゃないですか!」

「……それはまあ、そうかもしれないが……」


 まあいいか。と、クガナは錆色の片刃剣を握り直す。


「ともかく。今から戦争だ。殺すのも大事だが、何よりも殺されないことを意識しろ。目の前の敵に集中しながら、大局を見定めろ。軍という生物の殺意を感じて躱し、隙を逃すな」

「はいっ!」


 大きな返事と共に、エルシャが大剣を構える。


「じゃあ、行くか」


 クガナが悠然と歩き出し、戦争が始まった。



 ◇



 震えた色で叫ぶ声。合わせて振り下ろされる剣。

 その刃をほんの僅かな手首の返しで弾くと、クガナは流れるように無駄のない動きで相手の腹を斬り裂いた。


 敵兵士は次々と襲いかかってくる。一人、二人と鎧の隙間に剣を通して仕留めていき、やや後方にいた魔法使いのところまで到達すると、その首を刎ねた。


 小休止。意識して戦場を遠くまで見渡す。


 ——と、敵兵士の肉片がやたらと派手に飛び散っている場所が目に付いた。大剣がぐるんぐるんと回るたび、敵兵の断末魔と共に死体が増えていく。


 その中央から赤い塊が飛び出すと、クガナの前まで来たところで急停止した。


「……目立ちすぎだ。もう少し静かにやれ」

「え。そうですか? そんなつもりは全くないんですけど」


 きょとんとした瞳がクガナを見つめる。返り血で全身びしょびしょになったエルシャが、自分の周りを確かめながら首をかしげた。


 それから改めてクガナを見て、唸る。


「うーん……相変わらず師匠は戦場でも汚れが少ないんですよね。どうしてわたしとこんなに差が出るのか……師匠、本当に戦ってます? 実はなんかズルしてません?」

「お前なあ……」


 言いながらほらと死体を示す。


「やっぱり、死体まで綺麗なんですよね。わたしの相手はバラバラになっちゃうんですけど」

「戦い方が雑なんだよ。その大剣じゃあ仕方のないところはあるが、隙を狙って的確に仕留めれば、もう少し無駄なく殺せるだろ。普段俺に何を教わってんだ」


「だって師匠が強すぎるから、殺気への反応ばかり鋭くなっちゃうんですよ! 咄嗟の反応でばさっと斬っちゃうんです」

「ばさっとねえ……」


 やれやれと軽く頭を掻く——

 ——瞬間、二人が離れるように飛び退いた。二人のいた地点に大きな爆発が起きる。


 魔法使い。遠距離。

 地面に片足、クガナは剣を一瞬引き。抜き。——一閃。


 遙か遠く、城壁の上にいた魔法使いの首が飛んだ。


「あ! 師匠またなんかわたしが知らない技やりましたよね、今!」

「……うるせーな。これはお前には向かねえよ」

「向いてなくても教えるだけ教えてくださいよおー。というか結局、師匠っていくつ破界の奥義持ってるんですか? ここのザラ軍に自己申告した、五つなんて絶対嘘でしょう。わたしが見ただけでも十以上はありますよ!」


「申告が多すぎても、信じさせるの面倒くさいんだよ」

「あとわたしのこともそうです! まだ破界の技なんて一つも使えないのに、使えるって嘘ついたでしょう! おかげで矢面に立たされて大変なんですけど!」

「その方が修行になっていいだろうが」


 さらっと言うクガナに、エルシャはむすーと顔を膨らませる。


「というのは冗談で、お前、前回の決闘で一つ使えてたぞ。気付いてなかったのか」

「えっ嘘!? まじですか!?」


 敵兵士が再び襲いかかり、二人は背を向けてそれぞれの相手を斬り倒す。


「わたし何やっちゃいました!? 覚えてないです、全然覚えてない! 嘘ぉ……なんだろ、空断ですか? 刃重ですか?」

「いや、秘霞。最後に俺の剣を避けただろ。あれだ」


 クガナの言葉を聞いて、エルシャの興奮がみるみる冷えていく。


「あ、ああ……あー、あー……あれですか……。たしかにあの時、どうして避けられたのかなーとは思ってましたけど……そうですかあ……秘霞……」

「何を露骨に残念そうな顔してんだお前は。戦いじゃあ一番重要だぞ、回避の技術は。どれだけ強くなろうが、剣や魔法が直撃すれば死ぬんだから」


 敵兵の合間を縫うように無音で動きながら首を裂くクガナが言い、敵兵を兜から鎧まで真っ二つに両断して返り血を浴びながらエルシャが答える。


「それはそうかもですけど、師匠を殺せる技じゃないですもん。わたしは師匠を殺すために師匠に学んでるわけで……はあ。戦いに役立つ技が増えたと思っておくかなあ……」

「俺のやり方が気に食わんなら、もう教えんぞ」


「あっ、それはダメ! 嫌です嫌です! 秘霞うれしーっ! 師匠教えてくれてありがとーっ! これからも、もーっといっぱい教えてくださーい!」


 エルシャの分かりやすいおべっかに、クガナは小さく舌打ちをした。それから、はあ、と一つ息を吐いて。


「……お前の欲しがってるやつは、とっくに使えてたけどな」


 ぼそりと小さく、エルシャに聞こえない声で呟いた。


「……師匠、師匠」


 エルシャの声に、はっと振り向く。

 今の呟きが聞かれた——という様子ではなさそうだ。


「ノエンの兵たちが退いていきますよ。わたしたち、殺しすぎちゃいましたかね」

「これだけやれば注目は浴びるだろうが、俺たちはそこまで関係ないだろ。肝心の城門攻めは……」ちらとザラ軍主力部隊の様子を確認し、「まだ上手くいってないようだし」


 エルシャはクガナの真似をするように主力の様子を見てから、再度訊ねる。


「じゃあ、この退却はどうしてなんでしょう?」

「前日の戦闘でも同じことがあったらしい。おそらく今回も同様だろう」

「ということは、出てくるわけですね」


 エルシャの言葉に、クガナが頷く。

 ノエンの城門がゆっくりと開き、砂埃と共に喊声が響き渡る。けたたましい蹄鉄の音が振動のうねりになって、戦場を突き抜けていく。


「ノエンご自慢、騎馬隊のご登場だ」


 巨大な槍を構えた全身鎧の兵士が、これまた鎧を身に付けた馬を駆り、進む先の全てを挽き潰す、騎馬突撃を唯一にして至上の戦法とするノエン騎馬隊。


 前日の戦闘で、ザラ軍は彼らに主力部隊を半壊させられたという。クガナとエルシャがザラ軍にあっさり入り込めたのは、この損害があったことも無関係ではない。


「騎馬突撃が強力なのは知っていますけど、そんなに惨敗するものなんですか? 魔法使いとか破界者とか、普通は対策をとってあるものですよね?」

「特にノエン騎馬隊のことはザラの方も知ってるはずだからな。騎馬対策をしたからこそ、前の戦場ではザラが勝利を収めて、城攻めまで持ち込めたんだろうよ」

「じゃあ、どうして今回は一方的にやられてるんです?」


 さあ? とクガナは両手を広げる。

 その上で、錆色の片刃剣を握り直した。


「まあ、ちょうどいいから確かめてみるとしよう。ノエンが俺らの助けを蹴った理由……傭兵の力なんざ無くても勝てるって自信の源も、同じところにありそうだ」


 不敵に笑って、クガナはエルシャの方を見る。


「ちょうどいいから、お前やってみろ。あの騎馬隊を調べてこい」

「うえっ!? 本気ですか師匠!?」

「本気本気。相手の腹の内を探るのも、戦いじゃあ大事なことだからな。これも修行だ」


 ザラ軍の主力部隊が慌てふためきながら退くところを、ノエン騎馬隊が蹂躙していく。その様を少しばかり遠目で見ながら、クガナは笑い、エルシャは「うぐぐ」と呻いて首を振る。


「……危なくなったら助けてくださいよ」

「なんで?」

「師匠と弟子だからですよお! かわいいかわいい弟子のこと、お師匠さまは守ってくれないんですかあ!?」

「俺を殺そうとしてる弟子だぞ。言うほどかわいいか?」

「見た目はかわいいですよ!」

「自分で言うのかよ」

「…………」

「そして黙るのかよ」


 とはいえ、かわいいこと自体を否定できないのが、クガナとしては辛いところだ。エルシャは街にでも行けば自然と視線が集まるし、クガナから見ても顔かたちから体つきまで、隙というものが見当たらない美少女。かなりの強敵だと言えよう。


 まして今のように、恥ずかしそうに頬を赤らめていれば尚更だ。もちろん、返り血だらけのその全身を見れば、いつでも正気には戻れるのだが。


「お前、色仕掛けとかした方が、よっぽど簡単に俺を殺せるんじゃないのか?」

「……してほしいんですか、師匠」

「いや、別に……」

「…………」

「…………」


 無駄に気まずい沈黙。そもそも、なぜ戦場でこんな話をしているのだろう。今この瞬間も、味方のザラ兵たちが挽肉にされているというのに。


「じゃ、じゃあ、行ってきますね師匠!」


 ようやく冷静になったらしいエルシャが、意識してか大きな声を上げる。


「……ああ。死なない程度にな」

「分かってます。戦場では何よりもまず殺されないこと、ですよね!」


 ふんす! と気合いを入れて、エルシャがノエン騎馬隊とザラ主力部隊の衝突地点へと走っていく。


 その後ろを少し遅れて追いかけながら、クガナはノエン城内部のことを思い出していた。


 充実した糧食。いやに真新しい武器防具。

 籠城は本来、援軍を前提とした戦術だ。だとすればノエンが期待している援軍とは?


「この戦争、何か裏がありそうな気がするな……」


 呟いたのと同時か、ノエン騎馬隊の前に火柱が上がった。


 クガナが話した通り、エルシャは破界者である。

 加えて、エルシャは魔法使いでもある。


 魔法の才は生まれたと同時に決まる。魔法を使えない人間は、死ぬまで使えるようになることはない。百か零かの世界だ。


 初めから持つ者が魔法使いとなり、持たざる者は破界者を目指して武芸に励む。そんな世界において、エルシャのようにどちらも習得しようとする存在は珍しい。


 剣と魔法、両方とも鍛えることについて、エルシャは当初否定的だった。しかしクガナの、


『剣一本で俺に勝てると思ってんのか?』


 という身も蓋もない一言によって翻された。要は、できることは何でもしよう、ということである。


 それからというもの、エルシャにとって魔法は重要な戦闘手段の一つだ。

 即ち。


「——ぬうっ、この火柱は!?」

「大規模な魔法です! この鎧でも流石に厳しいと思われます。回り込みましょう!」


 エルシャは魔法においても、かなりの実力者ということだ。少なくとも、戦慣れしていない一般兵の魔法よりも遙か上を行っている。


「……うぐ、ちゃんと当てたのにあんまり効いてない。結構魔力消費したのに」


 魔法の発動陣を作り直しながら、エルシャはぶつぶつと独り言を口にする。


「様子見なら魔法がセオリー……今の判断は間違ってない……でも効いてない。馬や兵士が魔力に耐性あるのかな……わたしみたいに魔法の才がある人を選抜して騎馬兵に育ててるってこと? たしかに理屈は通るけど、そんな余裕、本当に外領の小国にある……?」


 騎馬隊が火柱を大きく回り込み、戦場に再び喊声が響く。


「鎧……さっき、この鎧でもって言ってた? 鎧に耐魔力の効果が付与されている……そうか、だからザラ軍の魔法使いも、騎馬突撃に対処できなかった……!」


 騎馬隊が迫り、ザラ軍主力部隊が必死に逃げていく。

 その場に残るのはエルシャ一人。


「耐魔力だけじゃない頑丈さ。そんな力を宿す防具は外領では作り出せない。だとしたら——」


 魔法陣を割り、エルシャは大剣を構える。

 一つ、二つ、大きく後退り。そこから、ぐいと振り上げる。


「——この剣で、斬り裂くッ!」


 先頭の騎馬兵を、槍ごと、馬ごと、鎧ごと。大振りした大剣によって、両断した。

 その切断面から、虹色の光が弾ける。


 やっぱり。


 そう思った次の瞬間、騎馬突撃の二列目がエルシャの身体を——


「大当たりだ。馬鹿野郎」


 ——貫く直前。


 周囲におびただしい量の刃が暴れ狂った。騎馬兵の一集団が瞬間的に刻まれ、捌かれ、肉と血へと姿を変える。


 その中央で、錆色の片刃剣を持つ男がエルシャを睨んでいた。


「殺されるなっつったろうが」

「はい。なので師匠が来るまで待ってました」

「俺が到着するのも計算通りだって?」

「もちろん」


 エルシャは何の曇りもない満面の笑み。それだけで、弟子が師匠に抱いている絶対的な信頼が見て取れた。


 あとは、はあ。と、ただため息を吐いて。

 クガナはエルシャが最初に斬った騎馬兵の死体に近付いていく。

 鎧の切れ端を確認し、エルシャに投げて渡した。


「お前の予想通りだ。この鎧、神の祝福がかかってる」

「ですよね。これってどういうことなんでしょう?」

「さあな。それより、今のでノエンの騎馬隊が混乱してるぞ」


 ノエン騎馬隊からすれば、一隊がやられただけ。

 しかし、魔法や剣が殆ど通じるはずのない鎧が破られたとなれば、動揺は避けられない。彼らが見せてきた迷い無き突撃は、鎧への絶大な信頼ありきだからだ。


「少なくとも、もう俺らに近付いてはこないだろうな」

「でしょうねえ。師匠が世界一強いせいで」

「あいつらの鎧ごと真っ二つにした、お前の大剣のせいもあるだろ。俺は鎧の隙間をついて斬ってるだけだぞ」

「それを一瞬で数十人に出来る時点でおかしいんですって。分かってないなあ、師匠は」


 戦場の中央で二人、師弟が軽い調子で語り合う。

 そんな様子を、ザラ、ノエン、両軍の兵士達が遠巻きに見ていた。


 そして、ノエン騎馬隊が先に、踵を返して城内へと戻っていく。城から帰還を命じる楽器の音が聞こえてきているようだ。


「撤退か」

「ザラ軍はどうするでしょうか」

「ここで攻めたいところではあるだろうが、主力部隊がかなり崩れてるからな。今日のところはここまでじゃないか? 俺らだけでやれと言われたら流石に断るし」

「なるほどー。勉強になります、師匠。……にしても」


 エルシャがにへらと笑いながらクガナを見る。


「師匠、わたしのこと助けちゃいましたねー。守っちゃいましたねー。えへへー、やっぱりわたし、かわいいかわいい弟子なんじゃないですかあ」

「……一応、正解は出したからな」

「出すより先に用意してなきゃ間に合いませんって。さっきの大技、とっさに使えないのわたし知ってますよ」

「……うぜえ」


「はい。言い訳できなかったー。あはは、口だけは師匠に勝てちゃいますねー。師匠が口で負けるだけで死んでくれたら、わたしも楽なんですけど。戦いじゃあなあ」

「……お前なあ、本当に俺を一体どうしたい——」


 クガナとエルシャ、二人の姿がゆらめく。

 秘霞。破界の技を使ってまで躱さなければならない、敵意——


「————!?」


 ゆらぎの先、大きく離れた木の陰で、黒く伸びた無数の手にクガナが絡め取られる。


「師匠ッ!?」

「来るなッ!」


 黒い手の数が更に増え、クガナを包み込んでいく。


「早く逃げろ! ここからも今すぐ消えろ! おそらくこの土地自体がこいつの————」


 とぷん。と、クガナが影の中に沈んだ。

 その影にエルシャが飛びかかる。が、伸ばした手は、ただ木陰になっている地面だけを叩いた。


「……し、しょう……?」


 茫然とへたり込むエルシャだけが、一人その場に残された。

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