第2話 傭兵稼業の師弟


「師匠ー、ちょっと師匠ー? 朝ごはん出来ましたよ、起きてくださーい」


 自分を呼ぶ声を聞き取って、座ったままの姿勢で眠っていたクガナはゆっくりと瞼を開いた。纏っていた毛布を剥ぎ、のそのそと野営の焚き火へ近付いていく。


「今日の煮込みスープはなかなかの自信作ですよ。コクがありつつまろやかで、野菜に味が染みこんで……いやあ、わたしまた料理が上手になっちゃいましたかね」


 えへへと笑う蒼髪の少女をスルーして、クガナはスープを啜る。


「このへんは祝福の地に近いからな。素材の質がいいんだろ」

「むう……冷めてるなあ。もっと褒めて伸ばしましょうよ、師匠」

「料理の師匠になった覚えはない」


 剣の師匠になることを了承した覚えもないのだが、今更そんなことを言っても詮なきこと。重要なのは形式よりも実態だ。


 この蒼い長髪の少女——エルシュナーゼ・ヴィズ・アリオンロード。長いので、普段はエルシャと呼ばれている——が、勝手にクガナへ弟子入り宣言してから、もうかれこれ五年ほど過ぎている。その間、クガナがエルシャに剣の稽古をつけてきたのは紛れもない事実だ。


「剣の腕も料理くらい順調に上がってくれたらいいんですけどねー。もしかすると、ついた師匠が悪いんでしょうか」

「ようやく気付いたか。気付いたんなら、さっさと俺の前から消えていいぞ」


「いやいや、冗談! 冗談ですって師匠! 師匠のおかげで大半の剣士より強くなれた自覚はありますから! わたしにとっては最高の師匠ですから! だから見捨てないでえ!」


 すがりつくようなエルシャをしっしと払いながら、これまたエルシャ特製の干し肉を囓る。これも香辛料の組み合わせがよく、なかなかどうしていい味だ。本当に料理だけなら成長ぶりは目覚ましい。


 それにしても、と、改めてクガナはエルシャを見る。


 出会って間もない頃。形見の大剣を小さな両腕で抱えながら、憎悪の目でクガナを睨んでいた頃とは、ずいぶんと変わったものだ。

 小柄なりに背も伸びて、体力もついた。振るう剣も『剣技』と呼べる形になりつつある。初めは素振りすらまともに出来なかった子供とは思えない。胸もかなり膨らんだが——そこはまあ置いておこう。とにかく、確実に成長はしている。


 だが何より変わったのは——


「でも本当に、最近冷たくないですか師匠ぉー。わたしそんなにダメ弟子ですか? 才能ないですか? 昔はもっと褒めてくれたじゃないですかあ!」


 この態度である。実に人懐こく、からからと明るい。やたらとくっつきたがるし、構われたがる。とてもではないが、かつてのエルシャと同一人物とは思えない。


 しかし、


「……お前、自分が何のために剣の腕を磨いてるか、覚えてんのか」


 と、聞けば、


「え。それはまあ、憎き仇である師匠を殺すためですけど」


 これである。

 あまりに修行が辛すぎて、おかしくなってしまったのか? 人格でも分裂してるのか? それとも年頃の少女というのは、誰も彼もこういうものなのだろうか。


 エルシャがどういう情緒をしているのか、はっきり言ってクガナには理解できない。


「……? どうかしました? 師匠」


 きょとんとした顔でエルシャがクガナを見つめてくる。この瞳がまた純粋極まりなく、余計にクガナを困惑させるのだ。


「……なんでもねえよ。それより、今日も軽く訓練したらさっさと移動するぞ。このまま歩けば、あと三日ほどで次の仕事場に着く」

「おー、ようやくですか。今回はたしか、外領同士の戦争なんでしたっけ」

「ああ」

「どっちに付くのか、もう決めてるんですか?」

「儲かる方」

「傭兵ですねえ、師匠」

「傭兵にも色々いるけどな。……さて、と」


 話しながら準備を整えて、クガナは錆色の片刃剣を構える。

 そして同じく、大剣を構えたエルシャに言う。


「じゃあ条件はいつも通り、俺に一本入れるまでだ。それまでは、お前が俺の隙を見逃すたび蹴り飛ばす」

「うう……今日はまともに歩ける程度で済ませたいなあ……」

「目標の低い奴だな……」

「そ、そんなことないですよう!? この程度できなくて師匠を殺せるわけもありませんし! ——それじゃあ一本、お願いします。師匠っ!」


 その後、エルシャがクガナから一本奪い、二人が旅の続きを始める頃には、日はずいぶんと高くなっていた。



 ◇



「わー。すごいすごい! 派手にやってますよ、師匠」


 小さな丘を登りきったところで、エルシャが丘の向こうを指差しながら言う。

 子供は元気でいいなあ。なんて年寄りのようなことを考えながら、クガナもエルシャに追いついて、先の景色を見た。


 高い壁に囲まれた城。そこに押し寄せる戦士達。斬り合いの血飛沫が舞い、地面が赤に染まっていく。炎の魔法が地上から城へ、城から地上へと飛び交って、爆発の音が空気を震わせている。


「もう攻城戦なんですね。わたしたち、ちょっと遅かったんでしょうか」

「どうかな」


 クガナとエルシャが予定通り到着した地点に、戦場はなかった。より正確に言えば、その場における戦闘は終わっていた。一方が大きな戦果を収め、戦場が移っていたのだ。


 そこから二人は、戦いの跡を追いかけてここまでやって来た。


「攻め手がえーと……ザラかな。じゃああの城はノエンの本拠、で合ってます?」

「俺の記憶が正しければそうだな。ずいぶん追い詰められたもんだ」


 ザラとノエンはどちらも、外領と呼ばれる痩せた辺境の土地にある国だ。二国の国力に大きな違いはないが、主な産業が異なる。ザラは鉱石の産出量が多く、ノエンは比較的農業に適した土地を有している。


 しかしここのところは凶作が続き、ザラもノエンも食糧の確保が苦しくなっていた。特にザラの状況は深刻で、多数の餓死者も出ていた。


「そこで食糧を求めて、外領の中ではまだ食糧に余裕のあるノエンにザラが侵攻を行った、と。こんな感じでしたよね」


 エルシャの確認に、クガナが頷いた。


「戦争の原因なんざ俺らは知ったこっちゃないが、大体そんなところだ」

「他に手段はなかったんでしょうか……。戦争まで行くなんて」


「ザラの支援要請を他国が全て断ったみたいだからな。外領はどこも余裕がないんだよ。ノエンなんて麦の一粒も渡す気はないと手酷く撥ね付けたって話だぞ。ま、それはザラがノエン侵攻のために吹いたホラかもしれないが」


「ともかく」言って、クガナが再び歩き出す。「始まった以上、俺らは戦争をするだけだ。戦わないと食い扶持に困るのは俺たちも変わらない」


「それはそうですけど……うー、でもなあ……って、待ってくださいよぉ師匠! わたしも行きますって!」


 蒼い長髪を揺らしながら、エルシャがクガナを追いかける。


「——それで師匠、わたしたちはどちらに付くんですか? このままだと勝つのはまず攻め手のザラだと思いますけど。あ、でも、自分を高く売るなら現在不利なノエンですかね」

「お前はどっちがいい?」

「え。わたしですか?」


 急な問いかけに、エルシャはしばし考え込んで。


「うーん……前金はどちらもあるとして、普通に考えれば戦後の報酬が多くもらえそうなのは、勝ちが決まってそうなザラですよね……。でも気持ち的には、一方的に侵略されたノエンに味方したい……」


 そこではっとしたように、エルシャはクガナの表情を窺う。


「あ、甘いこと言ってるのは分かってますからね!? でもでも、言ってしまえばノエンは被害者なわけですし……いやもちろん、ザラにも言い分はあるんでしょうけど……」

「俺は何も言ってないが」


「でも顔が言ってますよう! 戦争に善悪なんてないとかいう話をするんでしょう! 他の傭兵の人から、そんな格言を聞いたことありますよ!」

「んなこともないと思うがな。俺は愚かな王が始めたくだらない戦争を、数える気も起きないくらい知ってる。……が、そんなことより、だ。今お前にとって大事なのは」


 エルシャの額に指を当てて、クガナは問う。


「お前自身の糧になるのはどっちかってことだろ。傭兵稼業は俺にとっては飯の種だが、お前にとっては修行の一環だ。だったら、ザラとノエン、どっちに付いた方がお前はより多くの修羅場をくぐれる?」


「それは……ええと、不利な側の……ノエン、ですか?」

「というわけだ。俺たちはノエンに付く」


 エルシャの額に当てていた指を弾いて、クガナはノエンの城に向かって歩き出す。その後ろを、慌ててエルシャが追いかけた。


「で、でもですよ。師匠は前に、儲かる方に付くって……」

「言ったけど、それが?」

「じゃあ、わたしの修行のために、それを翻してくれるってことですか?」

「はあ? なわけねーだろ。なんで俺がお前のためにそんなことしなくちゃならんのだ」

「えぇ……? ですけどそうなると……」

「お前さあ、自分で言ったこと覚えてないのか? 儲かるのは勝つ方だろ。だったら」


 クガナは歩きながら、


「どっちに付こうが、勝てばいい」


 いともあっさり言い切った。

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