6 ヒーローってさ……

 ある日の朝食時、彼女がコーヒー豆をミルでガリガリと砕きながら呟いた。


「ポンガシマンってヒーローだよね」

「……うん?」


 アニメや絵本で見る『ポンガシマン』は駄菓子のポン菓子から生まれた子どもらの正義の味方のヒーローだ。


 悪い奴には容赦なく、己の分身である鉛のように硬いポン菓子や熱くて燃えるポン菓子を連射し、そして子どもにはサクサクの美味しいポン菓子を与える。そしてポン菓子の元であるお米がなくなると、彼を作ったお米農家さんのおじちゃんの所へ行き、新たなお米をセットして貰うのだ。


 ポンガシマンの敵には米虫マンやダニマンやカビ菌マンや湿気マンがいる。そうポン菓子には湿気や虫は大敵なのだ。が、味方にはお米が必要な、二次成長を促す麹菌マンや、熱々のチーズで敵を弱らせるドリアマン達がいる。敵を酔わせて踊らせる日本酒マンも、高濃度の醤油ビームで攻撃し、浸透圧で相手を弱らせるお醤油マンも彼の味方だ。

 食育には良い、よくできたポンガシマンに賛同する人は多く、そのフォルムも丸っこいので子どもらには人気なのだ。(よく見れば楕円ではあるのだが、ここではあえてスルーする)



 返事をしたものの、その真意がわからず彼女を見ると、彼女はコーヒーの豆を砕き終え、今度はフィルターに豆を溢し始めた。


「なんで?」


 胡散臭く思った僕は彼女に尋ねた。


「ヒーローって、危機的状況を助けてくれるよなぁと……」

「うん、そうだと思うけど……なんで?」

「いや……助けてくれるなら彼しか居ないなぁと思って……」


 彼女の言葉が要領を得ない。やけに言葉だけが浮いて聞こえるのは何故だろう。


「えっと……それだけ?」

「……うん」


 彼女はその後この話題から離れてしまった。

 何だろう。とても不安な気持ちがするのだが……。どちらかというと彼女は問題を明確にする性格で、今までもそれで僕はいろんな事柄を気付かされてきた。それなのに、今日はどういうことだろう。

 だけど、それ以上を聞くのも少し怖い。彼女が突拍子もなく「ポンガシマンはヒーローだ」とは言わない気がするのだ。勘ぐりすぎかな?


 確かに妻を疑うのはいけないと思う。でも……なんだろう、彼女に関しては一抹の不安が残るのだ。


 ほんの少しの不安を抱えながら、僕は朝食のテーブルについた。ふとカレンダーを見ると明日は日曜日であることに気付く。

 明日は完全なる休みだ。『明日は休み』この言葉を思うだけで、至福の高揚感が僕の心に染み渡った。


 明 日 は 休 み 


 あぁ、なんて素晴らしい響きだろう! 途端に僕はその言葉を噛み締めた。

 明日は休みなのだ……そしてこの時、僕の脳内から『ポンガシマン』の事はすっかり消え去ってしまった。







 


 翌日、僕は早々と目が覚めた。

 今日は彼女と少し遠出をしようと昨日帰ってきてから話していたのだ。彼女はまだ寝ているかと思いきや、隣にはもう彼女の姿はなかった。


「おはよう……早いね」


 僕が声をかけると彼女はお弁当を作っている最中だった。


「どうしたのさ。今日はお弁当はいらないよ」

「だって今日は遠出するんでしょう? 好きな場所で食べ物屋さんがあるとは思えないし、外で食べるのもいいかなと思って」


 彼女は笑顔でそういうと、細く切ったササミ肉に片栗粉をつけて揚げ油の中に落とした。


「やった! ササミ揚げ!」


 途端に僕の気分が急上昇した。僕はこのササミに片栗粉をつけて素揚げし、甘辛い梅肉ソースを絡めるのが大好きだ! それは僕の親父が好きだったものだけれど、なんのことはない子供の頃の僕にとってもご馳走だったのだ。


「これを揚げて詰めたら着替えるから、達己君も出かける準備をしてね」

「わかった!」


 僕は寝室にしている部屋へ戻った。部屋のカーテンを開け服を入れているチェストを開け、カーキ色のパンツを取り出す。上はどうしようと思っていると、大事にしていた紺色のTシャツが目に入った。カーキ色と紺色はなかなか相性がいいんじゃないだろうか。そう思ってTシャツを取り出す。


 このTシャツはアメリカの有名なパソコンの会社のカリスマCEOが着ていた長袖タートルネックのTシャツ版で色違いだ。彼は黒が好みだったようだが、僕は紺色が好きで思い切って買ったものだった。本当はそこそこ高いものなのだが、型落ちということで安くなったものを手に入れたのだ。肌触りが良く着やすくて、僕はとても気に入っている。


 ささっと着替え、小さいバッグにスマホと財布と車のキーを入れると僕は部屋を出た。バスルームへ行って顔を洗って歯を磨く。


 今日はどの辺りに行こうか。千葉の方へ足を伸ばすのもいいし、埼玉方面の秩父から長瀞へ行くのも面白そうだ。鏡に映る自分を見ながら歯を磨いていると、視界の下の方に何かが見えた気がした。

 ん? と思って歯を磨きながら鏡を覗き込むようにすると、紺色のTシャツの腹より下の部分に水玉のような何かが沢山付いている。


「……え? 何? 色落ち?」


 僕は急いで歯を磨き終え、口を濯ぐと急いでTシャツを脱いだ。そこには見事なポンガシマンのアップリケが! しかも敵を倒すようにポン菓子を連射している姿がフェルトで描かれてあった。


 僕は慌てて台所へ向かった。


「ちょっとちょっと、美香子さん?! ちょっと聞きたいんだけど! これ何?」


 彼女は僕の顔を見るなり、悪戯が見つかった子供のような表情をして「えへ」と言いながら首をこてりと傾げた。可愛い……その姿は確かに可愛いけれども、今はそれどころではない!


「おいおいおいおい、これ僕が大事にしていたTシャツだって知ってるよね!」


 勢いよく僕がいうと、彼女はすまなそうに頷いた。


「……うん、知ってる。だから捨てずにどうにかならないかと思って、ポンガシマンに助けてもらったの。わからないでしょう?」

「何が?! 何がわからないの?! 分かるじゃん! ポンガシマンじゃん!」


 焦る僕に彼女はなおもすまなそうな表情になる。


「違うんだよ……これね、この間チェストの整理をした時に奥から出てきて、達己君、このTシャツを大事にしすぎてあまり着ないからか、前と後ろと横の部分の三箇所も虫に食われてたの。捨てるには大事にしていたものだから忍びなくて、どうにかならないかと穴を隠すためにポンガシマンに手伝ってもらったんだ」


 あぁ……なんてことだ昨日の朝のあれは、これだったのだ……。

 あぁ……大事にし過ぎて奥にしまい過ぎて、僕の大好きなTシャツは虫が食べてしまっていたのだ。

 あぁ……なんてことだ……高級素材は虫に食われやすいのだ。


「ごめんね。でもこれで捨てることなく着れるでしょう?」


 彼女の笑顔が恨めしく思えたけれど、彼女は僕のために捨てずに生かす方法を考えてくれていたというわけだ。有り難い、有り難いけれどこれは何としたことか。


「ほら、ポン菓子を連射するの上手くできてるでしょう? これ着て行こうよ」


 彼女の笑顔が眩しい。涙目になりながら僕は頷いた。

 大事にし過ぎた僕が悪い。彼女は僕の大事なものを捨てさせないためにポンガシマンに助けを求めたのだから……。あぁ、恨めしいけど文句を言ったらバチが当たる。


 僕は一度脱いだTシャツをもう一度着た。背中の裾部分にポンガシマンがいて、連射したポン菓子が後ろから脇を通って腹部分へ広がっている。虫に食われた三箇所を隠すために彼女は苦労してこのデザインを考えたのだろう。その成果がコレなのだ。


 アメリカのカリスマCEOは黒の無地の服だったけれど、今の僕のTシャツにはポンガシマンの戦う姿がある。あぁ……そうだな、二人とも戦う男に違いない。


 僕は肩を落とし、涙の滲む瞳を遠くの空へ向けた。今度からは好きなものはとことん着潰そう……虫に食われる前に……きっと。


 僕は神様に心からそう誓った。






 好きなものはとことん使う方がいいという話……。

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