平和の形Ⅲ
数日後。リッベントロップ外務大臣がガラティアから帰ってきた。
「――疲れているところ悪いが、早速スルタンの意向を聞かせてくれたまえ」
「はっ」
リッベントロップ外務大臣は帝国上層部の面々に外遊の成果を説明した。
「まず申し上げておきますが、皆様には残念なお知らせになるかと思います。結論から申し上げると、アリスカンダル陛下は、大八洲との戦争を止める気は一切ないとのことでした。よって、枢軸国にガラティア帝国を加盟させることは不可能です」
「そうだったか……」
ヒンケル総統はわざとらしいくらい残念そうな顔をする。
「で、どうしてなのかは、説明してくれたのか?」
「はい。陛下は自ら、世界の端を手に入れるのだと、私に説明してくださいました。その時点ではあくまで強硬な姿勢を示したいだけかとも思いましたが、陛下の重臣であるスレイマン将軍に伺ったところ、どうやらそれが陛下の本心であるようでした」
アリスカンダルが即位した時から仕えるスレイマン将軍。彼が語ったのなら本心を見誤ることもあるまい。アリスカンダルが本気で大八洲の領土を求めていることは事実のようだ。
「まさかそんなことを本気で実行する指導者がいようとはな……」
「国益よりも戦争に明け暮れた指導者など、歴史を読んでみれば大勢います。そう珍しいことではないでしょう」
「そういうものか」
前時代的な皇帝先制国家であるガラティアでは、皇帝の意思と能力が国家の行く末を直接に左右する。その玉座に歴史上でも希な領土欲を持った人間が座ってしまった訳だ。
「しかし、どうして縁もゆかりも無い土地を欲しがったりなどするんだ?」
「それについては……信頼性のある話ではありませんが、少々情報を手に入れることが出来ました」
「何だと?」
「アリスカンダル陛下は珍しい、二色の瞳を持ったお方です」
虹彩異色症というものだ。彼の瞳は左右で色が異なり、片方は褐色、もう片方は青色なのである。この神秘的な見た目は大衆の間でも有名だ。
「それがどうかしたのか?」
「ガラティアには、とある神話があります。陛下と同じくアリスカンダルという名を持ち、かつ陛下と同じく二色の瞳を持ち、そして世界の果てを目指してひたすらに進撃した王の神話です」
「まさか、そんな伝説ごときと自分を重ね合わせていると?」
「伝説の王と名前も瞳の色も同じだったら、そうもしたくなりましょう。まあ陛下のお名前は恐らく、その瞳に因んで付けられたのでしょうが」
「仮にそうだったとしてとも、それを実行するのは頭がおかしいな」
「実行出来てしまう才覚を与えた神の失策ですね」
「まったくだ」
甚だ狂気的だと言わざるを得ないが、アリスカンダルは自信こそが伝説になろうとしているようだ。そんな人間を相手に和平交渉など望むべくもないし、ガラティアは他の列強と違ってまだ余裕を残している。
ガラティア帝国を枢軸国に加盟させる戦略は不可能だったようである。
「どうやら、打つ手なしと言ったところのようですな」
ザイス=インクヴァルト大将は言う。
「まだガラティア抜きで枢軸国を作る方針が消えて訳ではないじゃないか」
「ガラティアがいなければ、ヴェステンラントが枢軸国への加盟を承諾するとは思えません。やはり戦争の遂行しかありませんな」
「…………」
ヒンケル総統は基本的に優秀な人間である。故にザイス=インクヴァルト大将の言い分が正しいことはすぐに理解出来た。だからこそ、戦争を続ける他ないことも理解出来る。
「ほ、本当に、まだ戦争を続けるおつもりなのですか? あの広大なヴェステンラントを相手に?」
クロージク財務大臣はなおも即時講和を訴える。しかしそれは感情論と言わざるを得なかった。彼とて、帝国が千年先にも栄えることを望んでいる。中途半端な講和を結んで将来的な破滅の可能性を残す訳にはいかないことも分かっているのだ。
「――それでは、ヴェステンラントを脅してみるというのはいかがでしょうか?」
ザイス=インクヴァルト大将はまた突飛な意見を出した。
「脅す? 首都を攻撃されても狼狽えない連中をどうやって脅すんだ?」
「空襲です。実はクバナカン島に爆撃機を複数配備しておりまして、いざとなれば中央ヴェステンラント各地を爆撃することが出来ます。講和に応じなければ延々と爆撃が続くと脅し、枢軸国への加盟を強制させましょう」
「なるほど……。空襲程度で怖気付くとは思えないが……」
「数回程度の空爆ならビクともしないでしょうが、何十何百と爆弾が降ってくれば、彼らも音を上げるのではないでしょうか」
「うむ……。そうかもしれんが」
「何事もやってみなければ分かりません。どうかご許可を」
「カイテル参謀総長、君としては問題ないのか?」
「西部戦線はザイス=インクヴァルト大将に任せておりますから、余程のことがない限り、彼の判断に口出しはしません」
「そうか。ならばよかろう。大将、ヴェステンラントへの空襲を許可する」
言葉による交渉で妥協を見つけるのは不可能であった。やはりゲルマニアは武力に頼らざるを得ないのである。
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