大撤退

 ヴェステンラント軍は総力を挙げて撤退し、ほぼ全軍がクレイグ・フォトリグに到達することに成功していた。


「さて、全軍、武器と食糧を持って、可能な限り早く船に乗ってください。敵は迫っています。一刻の猶予もありませんよ」

「「はっ」」


 殿軍が足止めをしているものの、それも長くは持つまい。ゲルマニア軍がここに到達するのは時間の問題である。クロエは全速力で撤収作業を進めるように命じた。


「と、そうだマキナ、国王はどこにいますか?」

「現在は王宮の側の民家に捕えています」

「案内してくれますか?」

「はっ」


 クロエはマキナと共に、国王と面会しに行った。マキナの言う通り、国王を収監しているのは何の変哲もない2階建ての民家であった。別に檻の中に閉じ込めている訳ではない。普通の部屋だ。


 クロエは扉を叩いたが、向こうからは返事がなかった。


「こんな昼間に寝てるんでしょうか。失礼しますよ」


 扉を開けた。そのすぐ先で、国王は血溜まりの中に倒れ伏せていた。


「んなっ……」

「死んでいます」

「そうですね……」


 何故かは全く分からないが、国王は死んでいた。まさかあの国王が自害するとも思えないし、誰かが暗殺したのであろう。


「私の命令に反する者がいる、ということでしょうかね」

「或いはブリタンニア共和国からの刺客かもしれません」

「ああ、確かに、クロムウェル護国卿は国王を殺したがっていましたからね」


 事件の真相は分からなかったが、頭痛の種である国王が勝手に退場してくれたのは、クロエにとっては僥倖であった。


 〇


「全艦隊、出航の準備が整いました!」

「はい。急な仕事ですが、よくやってくれました。全艦、抜錨。ヴェステンラント本国に向け、全速力で進みます」

「はっ!」


 ヴェステンラント軍はブリタンニアから接収した船などを含め、150隻ほどのガレオン船の艦隊を組み、ブリタンニア島から出航した。


「殿下、申し上げます。ゲルマニア艦隊が出撃したとのこと!」

「やはり来ましたか。これは戦うしかありませんね」

「はい……。我々の船では、逃げ切れません」


 ゲルマニアの蒸気船からヴェステンラントの帆船が逃げ切るのは不可能だ。故にクロエは戦わなければならない。


「ゲルマニア艦隊は私達を殲滅することを目的にしているでしょう。負けそうになっても逃げることは出来ません」

「はっ……」

「何としても戦艦を無力化しなければなりません。戦艦さえいなければ私達の勝ちですから。まあこれまで一度も成功していませんが」

「そ、それは……」

「策を練りましょう。すぐに諸将を集めてください」


 クロエは決戦に備える。


 〇


 ACU2314 7/3 カレドニア沖


 旗艦アトミラール・ヒッパーが率いるゲルマニア艦隊は、逃げ帰ろうとするヴェステンラント艦隊を捕捉した。


「敵艦隊を捕捉。距離は30キロパッススです!」

「うむ。死に物狂いの敵は何をしてくるか分からんからな。くれぐれも慎重に距離を詰めよ」


 艦隊は今回もシュトライヒャー提督が自ら指揮している。アトミラール・ヒッパーを先頭に、確実に距離を詰めていく。


「敵艦隊、主砲の射程に入りました!」

「よし。射程ギリギリで戦うぞ。全艦、砲撃戦用意!」


 巨大な6門の主砲がゆっくりと首を傾げ、ヴェステンラント艦隊に狙いを定める。と、その時であった。


「閣下! 敵艦隊より、こちらに急速に接近する艦があります! それも複数!」

「何? そいつらを先に片付けろ! 撃ち方始めっ!」


 敵の狙いが接舷の上での移乗攻撃であることは明らかだ。艦内で熾烈な殺し合いを演じるのはもう懲り懲りだ。シュトライヒャー提督は何としても接近する敵船団を沈めるように命じた。


「……命中、認められず!」

「続けて撃ち続けろ! 何としても沈めるのだ!」


 こちらに向かう10隻程度の船は大きく距離を取り、かつ帆船としては限界まで高速で動いている。アトミラール・ヒッパーの主砲ではこれを狙い撃つことは難しい。


「――命中認められず!」

「く、クソッ……どうする……」

「ご安心を、閣下。まだ手はあります」


 いつものように艦橋に同乗しているシグルズは、余裕綽々に言い放つ。


「何があると言うんだ?」

「これまであまり使って来ませんでしたが、本艦は副砲が充実しています。アトミラール・ヒッパーに接近する敵船を撃退する為の副砲です」


 前弩級戦艦と言えば伝わる者には伝わるだろう。アトミラール・ヒッパーやブリュッヒャーは、巨大な主砲を搭載すると同時に、20門以上の副砲を搭載している。人間が装填したりクランクやレバーで照準を合わせたりする規模の大砲が艦内に並んでいるのである。


 史実の戦艦は巨大な主砲を少数搭載する方向に進化したが、敵が木造帆船のこの世界ではそんなに巨大な大砲は不必要であり、寧ろ中規模の大砲を大量に搭載した方が合理的なのであった。


「中世の帆船とやることは変わらんという訳か」

「そういうことです」

「分かった。副砲、射撃準備! 準備が完了し次第直ちに撃て!」


 アトミラール・ヒッパーはようやく本来の想定通りに運用されるのである。

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