一騎討ちⅡ

「兵らは奮い立っている。武士とて押し返せるだろう」

「へ、陛下?」


 アリスカンダルはふと静かに呟いた。


「私を守るとなれば諸将の士気も上がる。そうでもしなければ、今頃本隊は突破されていただろう」

「ま、まさか、これも全て陛下の策の内なのですか?」

「まあな。そういうことだ」


 アリスカンダルがここで明智日向守の挑戦を受けたのは、決して騎士道精神や武士道に則ったからではない。こうして皇帝が自ら戦うことで兵らの士気を上げ、明智日向守の攻撃を受け止める為だ。もしも逃げ惑っていたら、すぐに神速の采配を振る彼に追いつかれ、アリスカンダルは殺されていただろう。


「さ、流石は殿下……」

「総大将が最前線に立つなんて、よくあることじゃないか」

「そ、そうでしょうか?」


 兵士は皆人間だ。ただの特別変わったところもない人間である。故に、戦いを最後に制するのは、人の心を上手く操れる者だ。その点アリスカンダルは明智日向守を一枚上回ったと言えるだろう。


 ○


「殿! もう持ちませぬ! 逃げましょう!!」


 明智日向守に次々と悲鳴のような進言が飛んでくる。


「ならぬ! ここで何としてもあの男を討たねばならぬのだ!!」

「まだ間に合います! 城壁の内に戻れば――」

「それでは負けを先延ばしにするだけだ! この好機、何としてでも掴み取る!」

「し、しかし……」


 ガラティア兵の士気は異常なほどだ。死を覚悟して最後の突撃を仕掛けている大八州勢と比べてもさほど劣らない、いや同等と言っていいだろう。この互角の戦況で敵の大将を討ち取るというのは現実的ではない。


「かくなる上は……」


 明智日向守は俯き、自らの腰に下げた刀を見つめる。


「あ、明智殿?」

「我が命に代えて、アリスカンダルを討つ! ついてこられる者だけついてこい!」

「と、殿!?」


 明智日向守は太刀を抜いて一騎、ガラティア軍に向かって突撃した。馬上から刀を振り下ろし、敵兵を次々に両断していく。ほんの三十名程度の供回りが彼に続き、多くが討ち取られながら突撃した。


 ○


「へ、陛下! 敵兵がすぐそこまで!!」

「何? この陣形を突破する者がいるとは、驚きだな」

「ど、どうされますか!? 今度こそ逃げ――」

「いや、逃げはしない。私はここで奴を迎え撃つ」

「そ、それに意味はあるのですか?」

「いいや、ない。これはただの酔狂だ」


 とは言いつつも、アリスカンダルは誰の反駁も許さなかった。アリスカンダルの側近達も剣や槍を持ち、敵襲に備える。それは合理的でも何でもない、ただの気まぐれであった。


「き、来ます!!」

「アリスカンダル、覚悟せよっ!!!」

「またお前かっ」


 明智日向守はアリスカンダルの馬上から供回りをたちまち斬り伏せ、ついにアリスカンダルに向かって刀を振り下ろした。


「クッ」

「甘いな。こんなやり方で戦には勝てないぞ?」


 アリスカンダルの剣は明智日向守の刀を受け止めていた。二振りが接するところから火花が舞い散る。


「ほざけ!」

「まったく」


 ――やはりよいな。こういう殺し合いは。


 アリスカンダルはそう言いながらも楽しそうに刀を受け止めていた。が、そんな時間も長くは続かない。


「陛下から離れろっ!」

「グッ……」


 近衛兵が明智日向守の脇腹を槍にて刺した。魔導装甲に阻まれ僅かしか刺さらなかったが、それでも戦闘を継続するのは困難である。彼はすぐにアリスカンダルから距離を取る。


「クッ……届かぬか」

「何をしている! 陛下をお守りせよ!!」

「あの者を追え!」

「空気の読めない連中め……」


 勝敗は決した。明智日向守はついにアリスカンダルを討つことを諦め、傷を負いながらも追っ手を斬り伏せつつ、遠くへと消えていった。


「陛下! ご無事ですか!?」


 イブラーヒーム内務卿は死にそうな声で尋ねかける。アリスカンダルはやや不機嫌な声で答えた。


「ああ、私は傷一つ負っていない」

「そ、それは大変な幸運でした……」

「そんなことはどうでもよい。体勢を立て直すぞ。敵を押し返す!」

「はっ!」


 明智日向守が失敗した時点で、大八洲勢がアリスカンダルを殺せる可能性は消え去った。勢いを取り返したガラティア軍は無理な突撃を続けていた武士を押し返し始める。


 〇


 それと同時に、明智日向守が失敗したことを知ると、曉と飛鳥衆らも撤退を開始した。


「明智がいざって時にしくじるとはね。これで私も終わりかしら。ははっ」


 曉は自嘲の乾いた笑い声を上げた。今や平明京が陥落するのは時間の問題となった。都が落ちれば自ずと中國も崩壊するだろう。


「後はどこで死ぬかでも考えましょう。ああ、でもその前に家臣達を――うぐっ!?」


 その瞬間、曉の左胸を長い不気味な爪が貫いた。


「さっきはよくもやってくれたわね。これは仕返しよ?」

「お、お前……」


 落下していく曉の視界に、真っ赤に染った粗末な服を着た少女の恍惚の笑みを浮かべているのが映った。



 〇


「明智殿、最早、これまでかと。このままで我々は、全滅です」

「そう、か。そうだな。城に引き上げよ!」


 これ以上戦うことに何の意味があるだろうか。明智日向守は全部隊を二の丸に撤退させ、再び籠城策に切り替えたのであった。だがそれは全く勝機のない籠城だった。

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