エドワードストウの戦いⅢ

 銃声と怒号が響き渡る戦場で、ヴェッセル幕僚長は必死に指揮を執っていた。しかし、彼には大胆な行動を指揮出来るほどの器量はなかった。彼の専門はオステルマン中将の命令を実現することであって、自ら命令を下すのは彼の能力を超えている。


「全軍、押されています!」

「左翼が突破されました!」

「私ではやはり……ダメか……」


 防戦に徹するゲルマニア軍も少しずつ押され、多くの戦車や装甲車が撃破されてしまった。敵にもそれなりの損害を与えている筈なのだが、戦況は一向に好転しなかった。


「大佐殿、このままでは……」

「勝ち目は薄い、か。こんなところで貴重な戦力を浪費する訳にもいかないし……残念だが、ここは逃げるしかない」

「逃げられるでしょうか……」

「それくらいは、私が何とかしてみせる。皆、私の指揮にどうか付いて来てくれ」

「無論です、大佐殿!」


 ゲルマニア軍の別動隊は今や、撤退せざるを得なくなっていた。


「殿は第18機甲旅団が務める! 各師団は順次南に後退せよ!!」


 第18機甲旅団と敵を食い止めつつ、他の部隊は全速力で逃げる。一度やることを決めたのならば、ヴェッセル幕僚長はその能力を存分に活かすことが出来た。


「足止めってんなら、私の銃も役に立つか?」

「ええ、お願いします」


 シュルヴィの銃では重騎兵を殺し切ることは出来ないものの、彼らを落馬させることくらいは出来る。足止めであればそれで十分だ。彼女は一人だけで一個大隊並みの活躍を見せ、片手に持った一丁の小銃で百人以上の敵を足止めしていた。


 しかしこのような懸命な努力でも、ヴェステンラント軍を完全に食い止めることは出来なかった。


「機甲旅団ももう持ちません!」

「私も弾丸が残り少ないな……」

「もう少しだ! もう少し持たせてくれ!!」


 第18機甲旅団の損害は大きかった。殿というのは元よりそういうものではあるが、そろそろ敵を足止めすることすら覚束なくなりそうだ。と、その時だった。


「て、敵が退いている?」

「そのよう、ですね……」

「助かったのか…………」


 先に根負けしたのはヴェステンラント軍だった。彼らはある瞬間を境に攻撃を諦め、一斉にゲルマニア軍から離れ始めた。


「つ、追撃しますか……?」

「いや、いい。やめておけ。これでお互い手打ちにしよう、敵の司令官はそう言いたいんだ」

「そうでしょうか……」


 これ以上の戦闘は無意味だ。ヴェステンラント軍もゲルマニア軍も、そう判断したのだ。戦闘は終息し、一帯は静寂に包まれた。


 ○


「チッ。もうちょっとで敵の頭を刈り取れたんだがなあ」


 馬に揺られながらノエルは呟く。ゲルタの提案を呑んで撤退したが、ノエルはこの結果に満足していなかった。


「本来の目的は達成しました。これで十分ですよ、ノエル様」


 ヴェステンラント軍としてはゲルマニア別動隊を撃退出来ればそれで本来の目的は達成なのである。第18機甲旅団に大損害をも与えたのであれば、これは寧ろ大成功だと言えるだろう。


「たまには私も華々しい戦果を上げたいんだよ」

「そういうことは望むべきではありません。慎重に戦う人がそういう栄誉に与れるんです」

「私が慎重じゃないって?」

「それは……部分的には、そうです」

「…………分かった分かった。もうこのことは忘れよう」

「はい。それがいいです」


 最近は副戦線ばかり当てられて華々しい戦いをクロエに取られているのが、ノエルには不満であった。自分の行動の軍事的価値をあまり理解していない彼女を宥めるのが、ゲルタの仕事である。


 ○


 ACU2313 11/26 ブリタンニア共和国 ベダ ゲルマニア軍前線司令部


「……そうか。別動隊が敗北したか」


 ザイス=インクヴァルト大将の声は誰にの耳にも明らかに暗く沈んでいた。


「はい……。また、オステルマン中将閣下が重傷を負い、暫く前線に復帰することは困難とのことです」

「何? 本当か?」


 ザイス=インクヴァルト大将は伝令の言葉に食い付く。


「は、はい。ヴェッセル大佐殿からのご報告です」

「それだけは避けたかったのだ。彼女が失われるのは第18機甲旅団が失われるに等しい……」

「し、しかし、撤退は成功して部隊の損害は最小限に抑えられたとのことですが……」

「指揮する人間がいなければ人は動かん。これは大きな損害だ」


 ザイス=インクヴァルト大将は事態を誰よりも重く見ていた。オステルマン中将一人の損害は一個師団の喪失に等しいのだと。


「ともかく、彼女の治療には全力を尽くしてくれ。決して死なせてはならん」

「はっ!」


 まあ彼女の体は元気に銃を撃ちまくっていたので、これに関しては問題ないだろう。さて、伝令を部屋から追い出し、ザイス=インクヴァルト大将は思索に耽っていた。


「別働隊は失敗した。敵の戦力は強大にして反撃は危険が大きい。降り積もる雪は我々の時間を奪う。前線にいるのは最低限の訓練しか積んでいないブリタンニア兵、か……」


 傍目からは両軍に優劣があるようには見えないが、ここベダ戦線はザイス=インクヴァルト大将の経歴の中でも最悪の状況にあった。

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