ヒンケル総統の妥協

「うーむ……。確かに同盟を重んじるならばクロムウェル子爵は我々の敵だが、現実的に考えてそれは正気の沙汰ではない」


 ヒンケル総統はぼやく。概ねそれが問題の全てである。条約を遵守するか、現実と妥協するか、それが問題である。


「総統閣下、これは私個人のちょっとして提案に過ぎないのですが――」


 ザイス=インクヴァルト大将はそう前置きして続ける。


「当然ながら条約には、君主が代わった際はその者が条約の義務と権利を引き継ぐと定められています」

「まあ、そうだな」


 こんな革命じみたことが起きなくても、人はいずれ死ぬ。その時を想定した条項は神聖同盟に当然存在する。


「彼らの謀反を肯定するようで甚だ遺憾ではありますが、ここはクロムウェル子爵を正式にブリタンニアの次の君主と認めるしかありますまい。そうすれば諸々の問題は少しは解決されるでしょう」

「なるほど。確かにそれは悪くない案だ。だが彼は君主になりたがっている訳ではない。寧ろ貴族共和制を目指していると聞くが」


 それは国王のいない体制であり、その国家元首は選挙によって選ばれる正統性とない人間になるだろう。


「それについては考えを改めてもらうしかありますまい。我が国と戦争に至る可能性と彼の主義を天秤にかけ、どちらが重いかは明白です。まあ、その程度の勘定が出来ないのならば、我々の盟友として生かしておく価値すらないかもしれませんが」

「……なるほど。ルシタニア国王が返答を急かしてきている。すぐにクロムウェル子爵には、いや、誰でもいいからブリタンニアの君主になってもらわねばならんな」

「はい。その通りです」


 神聖同盟は君主同士の盟約という形を取っている。最低でも君主がいなければ、ゲルマニアとしても擁護のしようがなくなってしまう。ただの儀礼的な文言がここまで実際的な意味を持つとは誰も思わなかったが。


「後は、誰を君主に据えるかだ。だが連中は王家の血筋を拒絶している。これは君個人に尋ねるが、これはどうすればいいと思う?」


 軍人ではなくあくまでただのゲルマニア市民としてのザイス=インクヴァルト大将に、ヒンケル総統は尋ねる。


「はい。王家の血がないと君主に擁立するのは困難です。それに大貴族の中から国王を選ぶのも、ルシタニアの反発があるでしょう。そこで、ブリタンニア人の適当な者を皇帝陛下にブリタンニアの君主として封じて頂くというのはいかがでしょうか」

「それはブリタンニアが神聖ゲルマニア帝国に加わると言うことになるのか?」

「同君連合という形でよろしいかと。名目上のものです」


 血統の上で全く正統性のない者に君主たる正統性を与える最も手っ取り早い手段。それは更に上位の存在から君主と認めてもらうことである。国王の上に立つ者――皇帝となると現状、エウロパにはゲルマニア皇帝しか存在しない。


「しかし、我が国の属国とも言うべき状態になるのだ。それをクロムウェル子爵は受け入れるだろうか」

「受け入れなければ、我々としてはブリタンニア共和国を滅ぼさざるを得なくなります」

「うむ……時間もないからな」


 ルシタニアはゲルマニアの援助なしでも出兵しそうな勢いだ。長くルシタニア国王を足止めすることは出来そうもない。


「提言、感謝する。そのように皇帝陛下に申し上げよう。火急の問題だ。これで決定する」


 ヒンケル総統はこれ以上の議論が無意味だと判断した。これ以上の案が出てくることはないだろうと。そして皇帝はヒンケル総統の上奏を受け入れ、ブリタンニア共和国側にその旨が伝えられた。


 ○


「――クロムウェル卿、例え今のゲルマニアに悪意がないとしても、いつか悪用される可能性がある。どうかよく考えてくれたまえ」


 ハミルトン公爵はクロムウェル子爵に釘を刺す。それはブリタンニアそのものの為の助言であって、派閥の争いなどは今は関係ない。


「分かっていますよ。ブリタンニアはブリタンニア人のものです」


 クロムウェル子爵を含め、大半のブリタンニア人は懸念している。ゲルマニア皇帝がブリタンニアの君主の君主となることによって、将来的にゲルマニアに従属させられる、或いは神聖ゲルマニア帝国に組み込まれる羽目になるのではないだろうかと。


「とは言え、彼らが妥協案を出して来たのなら、これに乗るしかありません」

「共和国の為にブリタンニアを売ると?」

「なかなか的を射たことを。とは言え、国を売るつもりはありません。売るのは君主だけ。我が国においては実権のない存在です」

「とは言え、それを名目にゲルマニアにいいように使われる可能性もある」

「それを抑止するのはその時の政治です。とにかく今は、眼前の危機から脱出しなければなりません」


 これを受け入れなければ、ブリタンニア共和国は建国から半月程度で滅亡してしまう。それはブリタンニアの矜持を犠牲にしても避けねばならない。


「では、君主を追放した我々が君主を戴くのはどう思うのだ?」

「我々の革命は、必ずしも君主を排除することが目的ではありません。議会が政治の実権を握れるようになれば、それでよい。君主などあくまで対外的な建前ですし、そうでなくても我々がそうします」

「……よかろう。では君が次の君主になりたまえ」

「ええ。議会で承諾を得れば直ちに」


 クロムウェル子爵以外、その任に相応しい人物はいないだろう。議会が結論を出すのには2時間とかからなかった。

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