土壇場の交渉Ⅱ

「ヴェロニカ、もう一度ヴェステンラント軍に繋いでくれ」

「わ、分かりました。繋ぎます」


 シグルズはスカーレット隊長に再び通信を繋いだ。


『何の用だ? ついに引き上げる気にでもなったか?』

「いいや、違う。僕達はまだ交渉による解決を諦めてはいないよ」

『条件は既に伝えた通りだ。これ以上の対話に意味はない』

「確かに。だが僕は、君の主、クロエと話がしたい。君なら彼女と通信を行うことも出来るだろう?」

『クロエ様に貴様ごときが話すなど、不遜にもほどがある! 断じて応じんぞ!』

「本当にそれでいいのか? クロエが判断を行う機会を、家臣である君が奪っていいのか?」


 忠義に厚いスカーレット隊長ならば忠義に訴えればすぐに折れるだろう。シグルズはそう確信を持っていた。


『そ、それは…………承知した。クロエ様の御許可が下りれば、お前と通信を繋ごう』

「賢明な判断だ」


 スカーレット隊長とクロエがやりとりをするのに20分ほどの間待たされ、そして再び向こうから通信が入った。


『いいだろう、シグルズ。クロエ様はお前とお話しがしたいそうだ』

「承知した。では彼女と通信を繋いでくれ」


 ほとんど使わない使い方だが、魔導通信機は複数台を連続して繋ぐことも出来る。スカーレット隊長の魔導通信機を中継し、シグルズはクロエと直接会話を交わすことが出来るのだ。


「しかし師団長殿、敵の総帥と話して何をする気だ?」

「スカーレット隊長だ。彼女自身は自分の命などどうでもいいと思っているが、クロエはそうじゃない。そこを利用出来れば、勝算はなくもない」

「なるほど……。頼んだぞ、師団長殿」


 オーレンドルフ幕僚長は何となくシグルズの意図を察した。そして通信が始まる。


「やあ、クロエ。こうもすぐに話せるとは思わなかったよ」

『ええ、私もですよ、シグルズ。それで、わざわざ私と交渉するとは、一体何を企んでいるんですか?』

「ポルテスムーダを僕達に譲り渡すよう、スカーレット隊長に命令してもらいたい。それだけだよ」

『ほう。あなた方にそれ相応の対価があるのなら、話を聞かなくもないですよ。まああるとは思えませんがね』


 ヴェステンラント軍にとってはエウロパ侵攻の巨大な橋頭保となっているブリタンニア島。それにゲルマニア軍が上陸し拠点を構築することと同等の対価など、あるとは思えない。


「ああ、確かに。そんな対価は用意出来ない」

『そうですか。では交渉決裂ですね』

「そう、確かに与えることは出来ない。だが奪わないことを約束することは出来る」

『? 何が言いたいんですか?』

「スカーレット隊長だ。彼女はポルテスムーダと共に死ぬ気だし、ゲルマニア軍が本気で攻撃すれば実際彼女は死ぬだろう。だがクロエ、君はスカーレットを失いたくないだろう?」


 スカーレット隊長はクロエの重臣であり、数少ない気兼ねなく話せる人間でもある。彼女の命を人質に、ポルテスムーダ港を解放せよとシグルズは言うのである。騎士道精神も糞もない話だが、戦争の趨勢がかかったこの戦いでそんなぬるいことは言っていられない。


『なるほど。しかしスカーレットはただの家臣に過ぎません。その命程度と引き換えに港を渡すとでも?』

「断るのなら、アトミラール・ヒッパーの巨大な主砲が彼女を粉砕するだろう。それでもいいって言うのなら、このまま通信を終えても構わない」

『私は指揮官です。私情で軍の不利益になるようなことは出来ません』

「本当に?」

『……一々うるさいですね。結論は最初から決まっています。港は渡しません』

「だったらこの通信を切ればいいじゃないか」

『そ、それは無作法というものでしょう』


 クロエは明らかに迷っている。もしかしたら作戦が成功するかもしれない。


「クロエ、残念だけど僕達には時間がないんだ。5分間待つ。それまでに返答がない場合は交渉決裂と見なす」

『……分かりました。少し待ってください』

「ああ」


 判断する時間を与えないなんて詐欺師のやり方だが、それくらいは上等だ。そして5分が経過した。


「それで? 返事は?」

『返事は、変わりません。ゲルマニア軍に渡すものなど一切ありません』

「――そ、そうか。分かった。これで交渉は決裂だ。次は戦場で会おう」

『ええ。楽しみにしていますよ』


 クロエはスカーレット隊長を見捨てた。軍隊の司令官として取るべき選択肢を取ったのだ。だからこそ、ゲルマニア軍は追い詰められる。


「拒否されたのか、師団長殿?」

「ああ。失敗した。ポルテスムーダを無傷で奪うのは不可能だ」

「ではどうする? 本当に撤退するか?」

「いいや。海岸に防衛線を敷いてヴェステンラント軍の反撃を凌ぐ」

「凌いでどうするのだ? こんな砂浜を防衛したところで何の意味もない」

「であれば、ここを港にすればいい。あまりやりたくはなかったが」

「港にする? どういうことだ?」

「輸送艦を沈めれば港になる。ゲルマニアにとって貴重な戦力だから使いたくはないけど」


 戦車や機関車をそのまま海上輸送することが出来る貴重な鉄製の輸送艦。改装することで今回のグンテルブルクのような用途も期待出来るそれを自沈させて港にするというのが、シグルズの最後の作戦だ。

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