裏切り
「あ、甘粕殿……裏切ったのか?」
甘粕蘇祿太守に刀を突きつけられて、ラヴァル伯爵は狼狽えながら尋ねた。
「はい、その通りです。ですが、数千万の東亜の民を奴隷とし、侵略を果てなく繰り返すヴェステンラントを相手にに、卑怯も何もありますまい」
「クッ……有色人種など信用した方が馬鹿だった!」
「何とでも言われるがいい。ですが私は、正義を遂げる為、どんな汚名でも被るつもりです」
「こ、この船を奪おうというのですか……?」
「いかにも。晴虎様ですら倒せなかったこの船さえ我らのものとなれば、大八洲は正義を遂げることが出来ますから」
甘粕蘇祿太守は裏切った。ドロシアとシャルロットがイズーナを離れる時を待って裏切り、この船を乗っ取ろうとしているのである。
そしてその試みは成功しかけていた。甘粕蘇祿太守の供回りとして乗艦していた者は皆完全武装しており、イズーナの魔導兵を圧倒している。イズーナの周辺を航行していた甘粕の船からも、次々と武士が乗り込んできた。
〇
ドロシアはイズーナの様子を見て、何かただことではないことが起こっているのを察した。
「チッ。戻るしかないわね」
ドロシアは翼を広げイズーナに戻ろうとした。
「戻らせはせぬ!」
「しつこいわね……!」
だが船を飛び立った途端、立花少納言が追いすがる。ドロシアは石などを飛ばして振り切ろうとするか、立花少納言は盾を作り出しそれを防いだ。
結局立花少納言を撒くことは出来ず、ドロシアは足止めを食らってしまう。
「……向こうで何が起こっているのか、知っているようね」
「ああ。今、甘粕蘇祿太守殿があの大船を乗っ取っている筈だ」
「なっ……あいつ、裏切ったって言うの?」
「そうだ。だが勝つ為には仕方のないことだった」
立花少納言の声は心做しか残念そうだった。
「……で、私を帰す訳にはいかないってことね」
「ああ。そなたに戻られては甘粕殿も困るであろうからな」
「そう。本当に、やってくれたわね……」
全てが甘粕蘇祿太守の思い描いた通りに進んでいる。イズーナの命運は、残ったラヴァル伯爵と青公オリヴィアに託された訳だ。
〇
――どうしましょう……このままでは本当にイズーナが……
オリヴィアは船室に閉じ込められ、ただ船が蹂躙されるのを見ているとしか出来なかった。
――わ、私もヴェステンラント王家の一人! 何とかしなければ……でもどうすれば……
オリヴィアには甘粕蘇祿太守の作戦がおおよそ理解出来た。シャルロットとドロシアが動けない状況であることも。だから、自分の手でこの船を守るしかないのだ。
とは言え、姉のような強力な魔法もなく武器もなく従う兵もないこの状況。一体どうすればいいのか、オリヴィアには検討も付かなかった。
「………………船を沈めてしまう、のでいいかもしれません」
オリヴィアは思い付いた。このヴェステンラント最強の戦闘艦を奪われるのは最悪で、奪い返せる公算がないのであれば、いっそ沈めてしまおうと。
その公算についてだが、イズーナには船を近づけることすら困難であり、恐らく厳しいだろう。コホルス級の魔女を総動員して乗り移っても、大八洲の武士を倒せるかどうか。
「よし、沈めましょう……! 私にだって出来ます……!」
自分を勇気づけて、オリヴィアは服の中に隠してあった紫色の魔法の杖を取り出す。それを床面に向けると、床の木材がメリメリと剥がれ、下層への穴が空いた。オリヴィアも一応は木を司る青の魔女の一族。このくらいの魔法なら使うことが出来る。
そしてオリヴィアは魔法を使って床や壁を剥がしつつ、目的の場所へとバレずに侵入することが出来た。
「弾薬庫……入るのは初めてです」
その場所は火薬庫。イズーナの艦砲は魔導弩砲であるが、それで使われる炸裂弾には普通に火薬が使われている。その弾薬が大量に保管されているのが艦底部のこの空間である。
「これに火を点ければ……イズーナでも……」
この区画自体は厚い装甲(とは言え木製)で守られているが、中から爆発が起こることは想定していない。
「や、やってしまいましょうか……でも、もうちょっと様子見をしても……」
やはり迷いが生じる。合州国最強の戦闘艦をこんな簡単に沈めてしまってもいいものかと。
外から戦闘音は聞こえない。それはつまり、大八州軍が完全にこの船を掌握したということだ。こうなったらイズーナ奪回するのは厳しいだろう。
「……決めました! 沈めます!」
オリヴィアは火薬を一部取り出すとそれを線上に撒いて導火線を作った。そしてその先に魔法で点火すると、炎が砲弾箱に向かって進み始めた。
「はっ……逃げないと!」
オリヴィアは魔法で船底に穴を開けると、そのまま海中に飛び出した。そして海面から顔を出した所で、海面に不自然な波が走った。と同時にイズーナから黒煙が噴き出す。
「成功しました……後は沈んでくれるかどうかですが…………あ、大丈夫そうです」
船底に大穴が開いて浸水しているのだろう。イズーナは目に見えて傾き始めた。沈没を回避するような近代的な機構はイズーナには存在しないのだ。
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