武田家の戦略

 北平の戦いは武田家の圧倒的な勝利に終わったが、兵の損耗や疲弊は決して無視出来るものではなかった。信晴は暫くこの北平城で兵を休めることとし、その間に軍議を開いていた。


「董將軍、今の心地はどうだ?」


 諸将の真ん中にみすぼらしい格好で座らされている董將軍に、信晴は尋ねた。


「それは皮肉ですか?」

「何とでも捉えるがよい」

「取れるならば武田殿の首を取りたいと切に思っております」

「貴様っ!!」


 その言葉に何人かの家臣は激昂し、怒りに任せて刀を抜いた。


「御屋形様! この者を生かすべきではありますまい! 今すぐ成敗致す!」

「まあまて」

「待ってはいられませぬ!」

「待てと申したが聞こえぬか!」

「っ……も、申し訳ございません」


 家臣達は刀を納め、席に戻った。


「失礼した」

「気にしてはおりません」

「そうか。さて、貴殿には幾らか申したい儀がありここに呼んだ」

「何でしょうか? 縛り首にでもすると?」

「いや、そのようなことはせぬ。貴殿には、儂に仕えてもらいたい」

「……なるほど」


 董將軍は驚く程に冷静であった。そして信晴の家臣の何人かが辞めるように訴えたが信晴は聞く耳を持たず、董將軍にだけ再び尋ねる。


「どうだ? その気はないか?」

「その前に、理由をお聞かせ下さい」

「よかろう。だが、理由など簡単なこと。儂が才のある者を集めるのが好きだからだ」

「……なるほど。それはそれは、光栄に存じます」


 董將軍は信晴に負けたのだ。そう言われても皮肉を言われているようにしか感じられなかった。


「これは儂の本心だ。場数を踏んで才を磨けば、武田の宿老にも劣らぬ活躍が出来るであろう」

「…………」

「で、どうする?」

「ありがたいことです。しかしながら、私は曉様に御恩があります。それを裏切ることは出来ませぬ」

「そうか。分かった。仕える気のない者を無理に呼ぶつもりはない。董將軍は客人としてもてなすように」

「はっ!」


 まあそういう名目で常に監視を付けておきたいのではあるのだが、信晴は可能な限り寛容に処遇することとした。


「御屋形様、やはり納得出来ません。どうして彼奴をもてなす必要が……」

「甘利、お前はあの男一人をもてなすことも出来ぬのか」

「そのようなことはありませんが……」

「であれば、問題はなかろう」

「……はっ」


 董將軍を客人としてもてなすことには反発も多かったが、信晴はそれをねじ伏せた。その真意については誰にも明かさずに。


「しかし御屋形様、我々にとって問題なのは、捕らえた三千の兵です。これだけの数を食わせるのは、我らにとって大きな重しになるかと……」


 信晴は降伏させた兵士を捕虜に取っていた。これは当然、それを養わねばならない武田家の負担となる。


「その通りだ。だが、決して飢え死ぬ者を出してはならん。加えて、怪我をした者、病に罹りし者には医者を手配せよ」

「そ、そこまでなさいますか。ただでさえ小荷駄が足りないというのに……」

「何とかするのがお前達の役目であろう」

「いや……いえ、はっ。何とかして見せまする。しかし、その理由をお聞かせ下さいますか?」

「簡単なことよ。我らが虜囚を良く遇すると知れば、諸侯はたちどころに我らにくだるであろう。我々は労せずして曉を滅ぼせる」

「なるほど……」


 信晴の曉を征伐しようとする意志は本物である。唐土諸侯と戦わずに済むのならそれで済ませ、曉の居城たる金陵城を一直線に目指すのだ。


 〇


 ACU2312 10/23 中國 金陵城


「……北平が落ちたか」

「そ、そのようです」


 明智日向守は北平城が陥落したとの報告を受けた。もちろん陥落に至った経緯についても。


「董將軍め。打って出るなと言ったものを」

「し、しかし、このようなことをされれば、誰だって打って出ざるを得ないのでは……」

「こういうことになろうとも打って出るなと言ったのだ。……とは言え、相手が悪かったか。あえて責めはするまい」

「はっ」


 董將軍は十分に有能なのだが、相手が悪かった。大八州でも随一の知略と経験を積み、有能な家臣団を育て上げた武田の軍勢に、まだ数回しか実践を経験していない董將軍が太刀打ちするのは厳しかった。


「しかし、北平が落ちたのは紛れもない事実です。我々の北の要が一つ、奪われてしまいました」

「ああ。我々は先の戦いで大きく兵を損なった。奪い返すのは無理であろうな」

「そ、そうですね……」


 城攻めをするには基本的に敵の数倍の兵力が必要だ。だが、麒麟隊の手元に残された戦力は一万と少しのみ。とても二万五千の軍勢に太刀打ちは出来ない。


「やはり、我々は城に籠るしかないのでしょうか……」

「そうだ。我らは何としてでも武田の勢いを削がねばならぬ」

「百姓は集めているな?」

「はい、一応は……」


 麒麟隊は既に百姓の徴兵を開始している。出来れば何事もなく彼らを返せればよかったのだが、そうはいかないらしい。


「ガラティアは暫くは攻めて来ないだろう。我々が持つ全ての戦力を北に向け、少しでも時を稼ぐのだ」

「はっ。承知しております」


 まだまだ広大な土地と大量の城が残っている。全力でそれを用い、武田が息切れするのを待つというのが麒麟隊の戦略である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る