鶴翼の陣Ⅱ
「翼が、鶴翼の翼が閉じます!」
「クッ……我らに情けなどくれる筈もなしか」
山形隊と董將軍が激しく衝突する中、武田勢は容赦なく横に広がった陣形を丸め、彼らを包囲しにかかった。
「将軍、このままでは我らは……」
「まだだ。まだ、時間はある。全軍押し出せ! 何としても騎馬隊を打ち倒し、信晴を討つのだ!」
「そ、そんな、無茶です!」
「無茶だろうとやるしかないだろ!」
もうヤケクソだった。董將軍は全軍に攻勢を命じ、包囲される前に山形隊を突破しようとした。しかし――
「やはり我らから攻め込むなど不可能です! 敵の守りはまた固く、とても突破出来ません!」
「先鋒が次々に崩れております! 隊列を維持出来ません!」
「…………」
攻めかかった部隊は逆に跳ね返され、次々と敗走させられていた。山形隊にこちらから突っ込もうなど、あまりにも無謀な試みだったのである。
結局前線はほぼ進まず。董將軍が必死で指揮を執るうちに、包囲網はますます狭まっていく。
「もう持ちません! 今すぐに下がらねば、我らは袋の鼠です!」
「…………分かった。今すぐに北平城に引き返す! 全軍、退け!!」
これ以上ここに留まっては武田の大軍に包囲される。それが分からない董将軍ではない。彼はついに敗北を認め、全軍撤退を命じた。
だがその時だった。近づく武田勢は見て、董將軍はある違和感を覚える。
「ん? 何だ、敵の陣列が薄い……」
「薄い、ですか?」
「ああ。まるで綿のような…………」
敵の数が非常に少なく見えた。非常に薄く広がって、まるで大軍であるかのように見せかけているようだ。
「――ということは、実は敵の過半は我らを無視して南下していた、ということでしょうか?」
「いいや……あの武田が合戦に際して手を抜くなどあり得ない」
「で、でしたら――っ! 将軍! 敵です! 敵が背後に!!」
敗走する軍勢のその進む先に、伏兵が待ち構えていた。それも一万を超える軍勢である。それだけでも十分に董將軍を相手取れる数だ。
「挟まれた……我々は、敵の罠にまんまと嵌ってしまった!」
鶴翼の陣は彼らを包囲する為にあったのではない。その兵力を多く見せかけ、そこに武田の全軍がいると思わせる為だった。
そしてそう見せかけた分の兵士が今、董將軍を背後から襲ったのである。
「ど、どうします!?」
「……最早、逃げ場はない。我らの兵は既に疲れ切っている」
「そ、それは……」
この包囲網を突破する戦力は最早残されていない。であれば、董將軍に出来ることはただ一つであった。
「一人でも多くの将兵を生かさねばならない。……降伏だ。武器を、捨てよ」
「……はい。直ちに」
これ以上戦うことには何の意味もない。董將軍は武田の軍門に降ることを選んだ。
「しかし、董將軍は逃げ延びてください。あなたはここで捕らえられてはならない!」
「どう逃げると言うのだ。どこにも逃げ場はない」
「飛鳥衆がございます! 不格好ではありすが……彼女らに将軍を運ばせます」
「……分かった。今は何でも受け入れよう」
「はっ!」
戦場を俯瞰していた黒い翼を持った飛鳥衆は董將軍の許に集まった。いや、正確には、集まろうとした。
「なっ……」
「あ、飛鳥衆、が……」
空中に彼女らが集結した途端、その首や腹から鮮血が噴き出した。董將軍にどす黒い液体をかけながら、彼女らは糸の切れた傀儡のように地に落ちた。
「お、おい、何があった!?」
董將軍は思わず倒れ伏せた少女に駆け寄った。だがその首は大きく裂け、その瞳は何も映してはいなかった。
「一体何が……」
「ああ、失礼。もう少し綺麗に殺した方がよかったか」
「っ!? 誰だ!!」
空を見上げると、白い布で顔を隠した少女が黒い羽で飛んでいた。その両手にはそれぞれ短剣が握られている。
「……お前がやったのか」
「そうだ。貴殿に逃げられる訳にはいかんのでな」
「…………」
十人の魔女をたった一人で一瞬にして殲滅する魔女。そのことは噂には聞いている。
「ジハード・ビント・アーイシャか」
「いかにも。私はジハード。我が主アリスカンダル陛下の忠実な僕だ」
「それがどうして武田に仕えている」
「貴殿ら謀反人を討つ事こそ、我が主の思し召し。私は志を共にする武田に助太刀をしに来ただけだ」
まあそのせいで本軍が大変なことになってはいるのだが。
「さて、降伏しろ。逃げようなどとは思うな」
「我が将兵の命を、保証してくれるか」
「無論だ。無用な殺生は武田殿は好まん。それに、私がそれを保証出来る」
「……承知した。すぐに武田殿に伝えてくれるか?」
「ああ」
ジハードが全軍にその旨を素早く通達したことで、戦闘はすぐに終息した。董將軍の兵は全て武器を捨て、武田勢に降伏したのであった。
○
「北平城……。なかなか良い城であるな」
天守に登った信晴は呟いた。どうやら相当この城を気に入ったらしい。
「仰る通りにございますな。守りは堅く、城下はとても賑わっております」
「うむ。この城を手に入れた今、我らは――ゴホッ……」
「御屋形様! また病が……」
ただの咳どころではなく、信晴は血を吐いていた。近頃は大人しくなっていた病が再発しつつあったのだ。
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