北平の戦い
「やはり、打って出て来たか」
「流石は御館様、城から敵を引きずり出すとは、お見事です」
流石の信晴にも北平城を攻め落とすのは難儀であった。そこで北平城から董將軍を誘い出すことにしたのである。
「打って出なければ我らは先に進むだけのこと。打って出てくれば野戦にて叩きのめすまで。どう転ぼうと我々の得になる策ですね」
静かに戦況を分析する少女の声。白布で顔を覆った少女、ガラティアから送られてきた援軍の魔女ジハードである。
「うむ。だが、北平は欲しい。我らには必要な城だ」
「それは何故でしょうか?」
「我らは上杉に兵の数で大きく後れを取っておる。万一の際に守勢に入ろうとも耐えられる城が必要だ」
「あなた方が唐土の弱兵に負けるとは思えませんが」
「負けた時の備えも常に用意しておくべきであろう」
「そういうものですか」
北平さえ手に入れてしまえば、この先で万が一にも武田が敗北した際に逃げ込むことが出来る。ここで前線を支えつつ力を蓄えることは可能だ。
「それに、北平には天下でも有数の富がある。これを我が手に収めることは、我らにとって不可欠なことだ」
「富?」
この世界ではゲルマニアを除いて経済力と軍事力に相関関係がない。国は富を求めて戦争を起こすが、戦時中に富に固執することはない。
豊かな都市を取ったところで戦況にほとんど影響はないし、最後の講和条約でその都市をもぎ取れればいいからだ。
「そうだ。富だ。我々には銭が必要なのだ」
「はあ。銭、ですか?」
「銭があれば民は飢えず、よき家に住むことが出来るであろう」
「民など……」
「民が飢えれば戦など出来はしまい。ヴェステンラントとやり合っている時は唐土の富は我らのものであったから、我らは後顧の憂いを気にせずして戦えた。だが、それが敵に回ったからには、自らの手でもぎ取らねばならぬ。潮仙にはマトモな産物がないものでな」
「なるほど」
まあこれは潮仙半嶋が特別に貧しい土地であるというよりは、唐土の富が流れてくることを前提にしていたから困窮しているのである。
原因が何にせよ、武田家は唐土の領地を切り取り、その富を手に入れなければならない。まあ民など気にしなければいいという話ではあるのだが。
「何であれ北平が欲しいのですね。であれば、どうされるのですか?」
「誘き出した敵を、一騎残らず討ち果たす。さすれば空となった北平城を取ればよい」
「――本気で仰っている訳ではありませんよね?」
信晴にしては珍しい、全く現実的でない言葉。ジハードはその真意を量りかねた。
「さて、どうかな」
「……まあ、私は武田殿の命に従うまでです」
「うむ。よろしく頼もう。皆の者、陣立てを整えよ!」
かくして戦端は開かれようとしていた。
〇
董將軍は五千の武士、僅か十人ばかりの飛鳥衆を率い、武田勢へと迫る。
「よし。この辺りで止まろう」
「はっ」
武田の赤い鎧が見えてくる。董將軍はここに本陣を構え、将兵にも陣形を整えさせた。ここで決戦を挑む構えである。
「敵は鶴翼です。全く堅実な陣形ですな……」
全軍を大きく横に広げ、突進してきた敵を包囲する鶴翼の陣。兵力の多い側が取れば、その翼を閉じることで、信晴の言う通りに敵を完全に包囲し殲滅することの出来る陣形だ。
「ああ。一分の隙も見当たらない。いっそ奇策を弄してくれた方がよかった」
「必要に迫られない限り、彼らは王道しか歩まないでしょう……」
岩田城で武田勢が奇策に次ぐ奇策を繰り出したのは、兵力が圧倒的に不利であり、奇策を使わねば勝てなかったからだ。そうでないのならば武田は堅実な戦術しか取らない。
それ故に行動を予想することは簡単ではあるが、兵法書の手本のような陣形に付け入る隙はない。あるとすれば、鶴翼の陣が根本的に抱えている弱点だけだ。
「鶴翼なれば必ず、中央が薄くなる。つまりは信晴を守る兵が薄くなる」
「では、信晴を突きますか?」
「そうすれば我々は勝てる。もしも信晴を討てれば……だが」
横に薄く兵を配置する陣形であるからこそ、総大将を守る部隊は少なくなる。敵の包囲が完成する前に本陣を叩き、信晴を敗走させるか討取ることが出来れば、この戦いは董將軍の勝ちである。
だが、そのやり方もまた兵法書には必ず書かれていること。信晴が知らない訳がない。
「……やはり、厳しいでしょうか」
「そうだろうな。信晴のことだ。自分の周りには精強な兵を置いているに違いない。我らでは到底太刀打ち出来ないほどのな」
「そして攻めあぐねている間に、我々は包囲され殲滅されてしまいますね……」
「まさしくそうだ。だが……我々にはこれ以外に策がない。この兵力差で普通に勝つのは無理だ。だから何としても総大将を叩かねばならない」
「……まるで信晴の敷いた道を歩いている気分です」
「まったくだ……」
ここまでで董將軍が主体的に選択した行動は一つもない。ここまで全て、これしか取り得る策がないという策を取ってきただけである。何も選べてはいないのだ。
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