本陣を叩くⅡ

「陛下、前線の戦況はあまり芳しくないようです……」


 イブラーヒーム内務卿は冷や汗を浮かべながら言った。


「何? たったあれだけの兵に我がファランクスが苦戦していると?」

「は、はい。それが、敵のレギオー級魔女が暴れ回っているようでして……」

「……なるほど。万が一にでも死んだら国が滅びるというのに、大胆なことだ」


 レギオー級の魔女が(死なない青の魔女シャルロットを除いて)前線に稀にしか出てこないのは、万一にも戦死した際の損失が大き過ぎるからだ。特に曉は事実上の国家元首。彼女が死んだらこの内戦騒ぎもおしまいだ。


「曉を討ち取れそうか?」

「それが、苦戦しているようです。恐らくは無理かと……」

「無理もない。こちらはコホルス級の主力を武田の援軍に送っているのだ。レギオー級の相手など手に余る」


 流石に曉が自ら出てくるのが想定外だったというのと、魔女の主力がそもそも不在。この状況でファランクスを押し出しても、乱れ切った陣形では持ち前の突破力を発揮することは出来ないだろう。


「ファランクスは下がらせよ。本体を殴るのは止めだ」

「……はっ。弓隊の援護がある範囲まで下がらせます」


 弩の対空射撃を一斉に喰らえば流石の曉とて耐えられまい。アリスカンダルはファランクスを安全な範囲まで下がらせることにし、事なきを得た。


 だが、その時だった。


「アリスカンダルはここぞ! 討ち果たせ!」

「て、敵!?」


 アリスカンダルの本営に突如として大八州兵が乱入して来た。どうやらアリスカンダルの位置を突き止め、ここに向かって一転突破を仕掛けて来たらしい。


「狼狽えるな! 剣を持て!」


 アリスカンダルは立ち上がり、自ら剣を抜いて将兵を鼓舞する。アリスカンダルが取れる行動の中では、恐らく最善の手段だった。だがそれでも遅過ぎた。敵に本営への侵入を許した時点で、組織的な抵抗を行うのは困難だ。


「アリスカンダル、覚悟!」


 彼のすぐ目の前にまで敵は来た。一人の武将が斬りかかる。


「へ、陛下!!」

「そこまで鈍ってはいない!」


 アリスカンダルは斬撃を受け止めると、すぐさま助けに来た兵士達の中に退いた。


「逃げるか!」

「すまんな、私は皇帝なのだ。一撃受け止められればその先は兵の仕事」


 そう言い残し、アリスカンダルは兵士の海の中に消えた。皇帝が自ら剣など持つべきではなく、不意打ちを一撃凌げればいい。これは正しい考えだ。


 麒麟隊の決死の一撃は一瞬にして失敗に終わった。


「……あっぱれ、それこそが君子の在り方だ」

「と、殿……」


 彼に斬りかかったのは明智日向守その人であった。敵の総大将を仕留められる好機を失った彼は、悔し気に拳を握りしめていた。


 しかし同時に、奢ることなく君子の道を貫くアリスカンダルに尊敬の念も芽生えていた。


「敵が押し寄せてきております! い、いかがしましょうか!?」

「アリスカンダルにはもう近付けぬ。退け」

「はっ!」


 スルタンを仕留める為だけに突出した明智隊。だがそれに失敗した以上、ただ敵中に突出した部隊でしかない。このままではすぐに囲まれ殲滅されてしまうだろう。


 明智日向守は直ちに部隊を撤退させ、被害を最小限に抑えることに成功した。


「しかし殿、総大将を仕留め損なってしまいました。このままでは……」

「やはり、完璧な勝利を求めたは我が身の奢りか……」


 将兵をいくら犠牲にしてもガラティア軍を撃退すると言い放った手前、明智日向守も内心では損害を最小限に勝利を掴みたかった。だがその可能性は露と消えてしまった。


「問題はない。曉様に申し上げた通りだ。我らはいかに兵を損なおうとも、ガラティアを追い返す」

「……はっ」


 明智日向守は覚悟を決めた。勝利をもぎ取るのだ。


 〇


 それからおよそ三時間が経った。壮絶な戦闘は一切の休みなく続き、両軍に古今稀に見る損害が発生していた。


「曉様、我が方の損害は甚だ大きく、このままでは我が軍は瓦解してしまいます……」

「……敵の損害は?」

「はっ。我が方と同じほどには兵を損なっているようにございますが、詳しいほどは……」


 既に両軍一万以上の兵を失っている。特に麒麟隊は全軍の三分の一以上を失った計算だ。もう戦闘継続は不可能である。


「分かった。もう引き際ね。全軍撤退! 陣を退きなさい!」

「――はっ!」


 かくして麒麟隊は撤退し、戦いは明確な勝者を示さずに終息したのであった。


 〇


「陛下、敵が退いていくようです」

「奴らもそろそろ限界だろう。驚くことではない」

「で、では、我らの勝利ということで……」

「それはどうかな。我らもまた大きな傷を負った。損害を直ちに集計させよ」

「はっ」


 イブラーヒーム内務卿は持ち前の事務処理能力を以て全軍の損害を集計し、アリスカンダルに報告する。


「我が方の損害は、総計でおよそ1万6千、百人隊長以上の武将では51人です」

「そうか……こんなにも多くの武将を失えば、我が軍は形を保ってもいられないだろう」

「でしたら……」

「ああ。撤退だ。主力部隊は一度後退させ、再編成を行う。ひとまず魏は捨て、それより西の占領地を固めよ」

「はっ。仰せのままに」


 魔導士で構成される主力部隊以外にも、ガラティア軍は40万もの通常兵力を有している。これに占領行政は任せ、魔導部隊は本国へ帰還することとなった。


 ガラティア軍を追い返すという明智日向守の作戦は成功したのであった。

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