自害

 晴虎は伽藍の最奥の狭い仏堂に腰を下ろした。


「我が首は誰にも渡してはならぬ。死骸は骨の一片すら残らぬ程に焼き尽くせ。……仏堂まで燃え移るのは、来世に響くであろうが」


 晴虎は僅かに笑みを浮かべた。この極限状態での彼の感情を正確に読み取れる者はいなかった。


「晴虎様……」

「介錯は、そなたに頼もう。他の者は火の準備をせよ」

「はっ」


 時間はもう残されていない。小姓達は粛々と準備をし、晴虎は短刀を構え、介錯人は運良く近くにあった井戸で刀を洗った。


「大八洲の未来は、いかに移ろうべきか……」

「……最早、我らには縁のない話にございます」

「で、あるな……」


 短刀を鞘から抜き、脇腹に向ける。


「あと一年あらばヴェステンラントを……いや、せめて半年あらば、東亞を休んじられたものを…………」


 天下に勇名を馳せた軍神は、あっけなく散った。仏堂から上がった火は本善寺を焼き尽くし、その火は一晩中燃え盛っていた。


 〇


 一方その頃、少し離れた屋敷に滞在していた忠虎の許に、晴虎の送った人が到着した。幼い忠虎には、何が起こっているのか理解出来なかった。


「若殿様! ご無事で!」

「? そなたら、どうしたのだ?」

「……謀反にございます。晴虎様は本善寺に籠られ、我らは忠虎様をお救いするべく、参上仕りました。とにかく、我らが若殿様をお連れしますので、今は何も聞かず」

「わかった」


 ただならぬ気配を察した忠虎は、供回りの者に抱き抱えられ、屋敷から出た。


「どこでもいい! とにかく北へ向かえ!」

「あ、あれは! 麒麟隊です!」

「何!?」


 前方から千を超える松明の火が迫ってきた。それは間違いなく麒麟隊であった。そして同時に、数十の飛鳥衆の者が屋敷の空を固めた。


「クソっ……奴らは逃げ道をことごとく塞いでいます!」

「間に合わなかった、か……」

「?」


 あの麒麟隊のこと。包囲に抜け穴などはないだろう。逃げられないことを悟り、供回りの者は忠虎を抱えたまま屋敷に戻った。


「若殿、我らはこれまでのようです。かくなる上は、逆臣にその首が渡らぬよう、若殿様にはご自害して頂く他……」

「……わかった」

「介錯は、この私めが」

「……」


 忠虎に腹を切らせるなど無理だ。短刀を握らせ、腹を切る真似をさせた後、その首を一思いに切り落とした。


 その遺骸は晴虎と同じく灰と化すまで焼き尽くされ、供回りの者は皆殉死した。かくして、上杉家の嫡流は途絶えた。


 〇


「全て終わった……ええ、これでいい……」


 長尾右大將曉は、今だ燃え盛る本善寺に足を踏み入れた。謀反は全て彼女の意思である。


「晴虎様の首を探しなさい! ゴミの一つに至るまで調べ尽くすのよ!」


 まだ火の手も鎮まらない中、曉は麒麟隊を総動員して晴虎の死体を捜索した。しかし、それと思しき死体が見つかることはなかった。


「曉様、どうやら晴虎様がご自害なされたのはこの仏堂のようです。今となっては灰しか残ってはおりませぬが」


 明智日向守は足元の白い粉を踏みつけながら言った。鬼道によって燃やし尽くされた仏堂は、その形を一切残さず灰と化していたのだ。


「この灰の中に晴虎様の灰も?」

「恐らくは。もっとも、それを確かめる手立てはありますぬが」

「……まさか、晴虎様が生き延びたとでも?」

「我らの包囲は完全でした。いくら晴虎様とは言え、逃げ延びることは出来ますまい」

「そう」


 だがその時、凶報が入った。


「曉様! 申し上げます!」

「何?」

「上杉越後守様、ご自害なされた模様!」

「忠虎様が? 間違いはないでしょうね?」

「間違いはございません!」

「…………」


 曉は不愉快そうな表情を隠せない。忠虎を殺すつもりはなかった。生きて捕えるつもりであったのに、あっけなく死んでしまった。


「面倒なことになりましたな。これで我らは何の大義も得られませぬ。それに、大八洲が割れることは必定」


 家臣が謀反を起こし主君の子を擁立するというのはよくあること。だがそれは不可能となった。それに、上杉家の最も有力な後継者が死んだ以上、曉がどう動こうと大八洲は後継者争いで分裂するだろう。


 そんな大変なことだと言うのに、明智日向守は平然としていた。


「……どうするのよ?」

「確かに最も上杉家の家督に近いお方を失ってしまいましたが、上杉家の血を引く者は大八洲に数多おります。それに、我らの調略は万全を期しております」

「そうね。まずは中國に戻るわ。話はそれからよ」


 麒麟隊の本拠地は、唐土の平明京を含む上杉家の天領である。


「私は今暫くここに残らせて頂きます」

「残る?」

「はい。こうなった以上、曉様のお嫌いなことをして参らねばなりませぬ故」

「……ヴェステンラントと和議を結ぶか。あなたに任せるわ」

「はっ」


 曉は国内向けへの調略を進めてきた。そうしてあっという間に政権を奪取し、ヴェステンラントとの戦争は継続する筈だった。


 だが予定は狂い、ヴェステンラントとの妥協は不可欠となってしまった。明智日向守はその役を引き受けたのである。


「それでは、帰路のご無事を」

「あなたも下手をしないことね」

「無論です」


 麒麟隊は本善寺を後にした。

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