大空襲の結果

 ACU2312 7/27 ダキア大公国 オブラン・オシュ


 イジャスラヴリ大空襲の報告は、翌日にはオブラン・オシュに控えるピョートル大公の許に届いた。敵の編成、被害状況など、ダキアが得られた情報の全てがここにある。


「これほどまでの市民が死んだとは……」


 ピョートル大公は沈痛な面持ちをして暫し黙り込んだ。


「殿下……」

「……これまでに死んだ者を合わせた数の4倍。それだけの命が一夜にして失われた、のか」

「計算上は、そういうことになりますな……」


 空襲による犠牲者の数は昨日で一気に5倍に増えた訳だ。その衝撃は、市民をいくら犠牲にしても戦争を遂行すると覚悟を決めたピョートル大公にも重く響くものであった。


「だが、この為に戦争を止めることは出来ない。これまでに死んだ者の命を無駄にせぬ為にも……」

「……恐れながら申し上げますが、これ以上の犠牲が出ないようにするのもまた、政府の役割ではありませぬか?」


 ピョートル大公はまだ戦争を遂行する気でいる。だが多くの大貴族は和平に傾いていた。この惨状を見れば、平民などゴミクズ同然と考えていた貴族とて、平和を求める。


「このダキアをゲルマニア人にくれてやるなど言語道断だ。全てのダキア人がゲルマニア人の奴隷にされるのだぞ?」

「それは……」

「それに、諸君らの土地も民も財産も、ゲルマニア人の意のままに取り上げられるだろう」

「…………」


 ピョートル大公の意志はまだ折れてはいない。可能な限り戦争を遂行し、ヴェステンラントがゲルマニアに勝利を収めるのを待つ。それがダキアの戦略だ。


「殿下、それはともかくとして、イジャスラヴリには多くの助けが必要です」

「分かっている。既にホルムガルド公からの上奏も受けた。イジャスラヴリ周辺の諸侯は直ちに労働力、物資をイジャスラヴリに送るようにせよ」

「はっ!」


 イジャスラヴリが自力で民を救済することが不可能であるのは知れたこと。大公の命で多くの諸侯が支援を行うこととなった。


「しかし、12万もの市民の生活を支えるとなれば、諸侯はほとんどの力を使い尽くすことでしょう。ただでさえ戦時下で多くの諸侯が疲弊している状況では……」

「無論、分かっている。だがこれ以外の選択肢はないだろう」

「……はっ」


 12万の難民というのは、今のダキアにとってはあまりにも巨大な重荷だ。それは支えるのは西部の諸侯の余力を奪い去ることになるだろう。


「しかし、これで西部の兵力配置はことごとく滞るでしょう。ゲルマニア軍がこれを機に攻勢を仕掛けてくれば、最早受け止めることは出来ますまい」

「分かっている。分かってはいるが、民をゲルマニアの魔の手から守る為のこの戦争で、苦しむ民を見捨てることなど出来ん」

「ですが、殿下はこの国の指導者として、ゲルマニア軍の侵攻に対する策を講じる義務があります」

「……それも分かっている」


 ダキアの状況は正に八方塞がりと言ったところだ。全ての問題を同時に解決する都合のいい手段など存在しない。


「とは言え、策など講じたところで、兵站がなければ兵は動かない。その力が奪われた以上、我々にはどうすることも出来ない」

「で、では……」

「ゲルマニア軍が攻勢に出た場合は、イジャスラヴリまでの国土を放棄する。それしかないだろう」

「……もしや、殿下はイジャスラヴリの負担をゲルマニアに押し付けようとお考えですか?」

「その時が来たら、だがな。このことは他言無用だ」


 イジャスラヴリがある限り防衛戦を十分に遂行することは不可能だ。しかしイジャスラヴリをゲルマニアにくれてやれば、ダキアはその負担から解放され、ゲルマニア軍はその負担で再び停滞することとなるだろう。


「まあ、これは最悪の場合の策だ。今はともかく、全力でイジャスラヴリの救済にあたるのだ。逆らう者は全て粛清すると厳に命じる」

「はっ。しかし、いくら大都市とは言え、一つの都市に空襲を受けただけでこれほどに手を取られるのです。もしもこれほどの攻撃が多くの都市で相次げば、我が国は戦争などとてもしていられなくなるかと……」

「その通りだろうな。イジャスラヴリ一つで国の3分の1は一時的に麻痺している。複数の都市を攻撃されれば、我が国は崩壊することだろう」


 それは明白な事実だ。ダキア大公国の貧弱な国力では、数十万の市民生活を支えることなど出来ない。


「我々に出来るのは、ゲルマニア軍にあんな馬鹿な真似を何度も出来る程の体力はないと期待することだけだ」

「期待する……です」

「ああ。そうでなければ、爆撃機に我が国が対抗する手段はない」

「しかし、ゲルマニア軍にとってこれが全力かと言われると……」


 ゲルマニアが投入した爆弾の数自体は、恐らくそう多くはない。火災を人工的に発生させるという狡猾な手段で被害を拡大させたからである。


 大量の弾薬、砲弾を湯水のように注ぎ込んでいるゲルマニア軍にとって、それが大きな負担となるとは考えにくい。


「ああ……私も、ゲルマニア軍にはまだいくつもの都市を焼く力があると考えている。だが……祈るしかないのだ」

「……」


 ダキア軍には打つ手がないというのが実際であった。

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