イジャスラヴリ大空襲Ⅱ

「ライラ所長、予定通りに爆弾を落とし終えました」

「了解。じゃあ全機、メレンに向けて帰投」

「はっ!」


 イジャスラヴリの市街地全域に満遍なく焼夷弾を投下し、作戦は終了した。要した時間は20分程であり、ゲルマニア軍に損害は一切なかった。


 イジャスラヴリの端っこに来た辺りで、爆撃機は悠々と旋回、反転する。ダキア軍にはその遊覧飛行を妨害する能力すらなかった。


 そして先程爆撃した都市の上を爆撃機達は通過していく。


 イジャスラヴリは燃えていた。爆撃機をも照らし出す暖炉のような暖かい火の下では、大勢の人間が燃え死んでいるに違いない。


「ほほう……よく燃えてるね……」


 ライラ所長は炎上する都市を眺めながら、喜びとも悲しみとも取れない声で、そう呟いた。


「……はい。焼夷弾は軍部の求める機能を完璧に果たしたと言えるでしょう……」


 やはりシグルズは素直に喜べなかった。戦争に積極的に加担した訳でもない彼らが一方的に虐殺されるのを実際に見ると、やはり気分が悪くなる。


「まあさ、私は人がいくら死んでも気にしなくなっちゃったけどさあ……」


 いつになく感情のこもった声でシグルズに語りかけるライラ所長。


「は、はい」

「多分、爆撃機を操縦してる兵士は皆、そういう顔をしてこの光景を見ていると思うよ」

「そう、なのでしょうか……」

「うん。まあつまり、シグルズの反応の方が普通だから……まあその、そういうこと」


 肝心なところが抜け落ちている気がするが、ライラ所長もそれなりに人間なのだなとシグルズは安堵した。


「言いたいことは何となく分かります。お気遣い感謝します」

「いいっていいって」


 ――とは言え、これでアメリカ人と同じ穴の狢か……


 色々な意味でもやもやした気持ちを抱えつつ、シグルズは無事に帰還した。


 ○


 爆撃機から見た光景など、所詮は傍観者のもの。地上は彼らが想像した以上に凄惨なものであった。


「これは……何なのだ……」


 居城を放棄し、見た目には市民の家と変わらない建物を政庁としていたイジャスラヴリ伯爵。彼は屋上に登ると、呆然とイジャスラヴリを眺めていた。


「伯爵様! これは火です! お気を確かに!」

「そ、そうか……火か……」


 見渡す限り、あらゆる建物が炎に呑み込まれている。炎の海とはまさにこのことを言うのだろう。伯爵はその中に浮いた一層の小舟に辛うじて立っているように感じた。


「何をしているのですか! 火が迫っています! とにかく、まずはご自身の安全を!」

「あ、ああ……そうだな……」


 何人かの家臣に無理やり連れられ、イジャスラヴリ伯は都市からの脱出を図ろうとする。


「し、しかし……どこに逃げる気だ?」

「そ、それは……」


 炎の迫る政庁を放棄した一行だが、燃え盛る都市に安全な経路など見つけられる筈がなかった。地上から見る限りではあらゆる方向から炎が上がっているとしか見えないのだから。


 その時だった。黒き翼を広げ、漆黒の外套を纏った少女が彼らの前に降り立った。


「お、おお、君は、飛行魔導士隊の……」

「はい。飛行魔導士隊長のエカチェリーナ・ウラジーミロヴナ・オルロフです。皆さまを見つけるのに随分と時間がかかってしまいました」

「そ、それで……」

「ええ。飛行魔導士隊で安全な避難経路を確保しました。伯爵様御一行は、我らの案内する通りにイジャスラヴリから脱出して下さい」

「……分かった。頼む」

「それでは、ついてきて下さい」


 エカチェリーナ隊長は再び低空に飛び上がり、伯爵とその護衛を案内する。そして燃え盛る都市で逃避行を始めた。だが、それは生半可なものではなかった。


「な、何ということだ……これは……」

「死体、でしょう……」


 黒焦げになった肉の塊は、確かによく見ると手足がついているようだ。伯爵も貴族らしく肉を食らうことも多い訳だが、今ここでする匂いは、動物の肉が焼ける匂いではないだろう。


 やがて伯爵は逃げ惑う人々と遭遇した。


「ここは割と火の手が来ていないようだな……」

「はい。人が集まっているようです」

「これは……エカチェリーナ隊長! 彼らの誘導はしないのか?」


 空を飛ぶエカチェリーナ隊長に、伯爵を呼びかけた。するとエカチェリーナ隊長はゆっくりと地上に降り立った。


「伯爵様の民を思うお心は、心の底から尊敬申し上げます。しかし、我ら飛行魔導士隊だけでは、この都市の十万人以上の人間を誘導することなどは出来ないのです」

「では、民には自分で逃げてもらうしかないのか……?」


 既に伯爵の軍勢は機能を失っている。組織として頼りになるのは飛行魔導士隊だけだ。


「……そうなります。後は、各地の兵が誘導を行うのに期待するしかありません」

「私の備えが甘かったのか……」


 このように指揮系統が崩壊するまでに都市が破壊された場合どうするべきか、その訓練は一度もしたことがなかった。そのせいで避難は住民に任せる他になくなったのだ。


「とにかく、伯爵様だけでも生き残って頂かなければ、この先この街は立ち行かなくなります。どうかお早く」

「……分かった。それがせめて私に出来ることなのだな」


 イジャスラヴリ伯は意を決し、都市の外への脱出を優先した。

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