引分

「ドロシア殿下! 城内から出て来た敵の勢いは激しく、食い止められません!」

「このままでは、我らの全軍が崩壊してしまいます!」

「チッ……面倒な……」


 北條常陸守は限界を超えて突撃を繰り返しているが、それを食い止めるヴェステンラント軍も限界であった。北條勢は陣形の奥深くに楔のように突き刺さり、それを分断しようとしている。


 この混乱が前線にまで伝われば、たちまち武田勢の突撃を食らって総崩れになるだろう。


「……万事休すね」

「ドロシア様……」


 打てる手は打ち尽くした。そしてこのまま戦い続けては、恐らくはドロシアが先に負ける。


「となれば……撤退を、なさいますか……?」


 ラヴァル伯爵はゆっくりと尋ねた。最悪の選択だが、そうせざるを得ないのかもしれない。


「…………分かったわ。これより撤退する」

「え、ほ、本当ですか?」


 まさか受け入れてもらえるとは思えず、自分から聞いたくせに声が震えてしまった。


「ええ。文句でも?」

「い、いえ。殿下がそう仰るのなら直ちに。しかし、我らが下がるとなれば、全ての部隊を下げねばなりません」

「そうね。分かってるわ。全軍撤退よ」


 この戦況、一か所が崩れれば全ての部隊が一気に崩れる。故に、撤退するとなれば全ての部隊を下がらせるしかない。


「私達がその羽目になるとは思ってなかったけど……」

「殿下、今はお気になさらずに……」

「勿論よ。そんなことは気にしてないわ」


 最初に敗退するのが本隊だというのは情けない。だがそんなことを嘆いている暇はない。


「しかし、問題はどう撤退するかということです。我々は完全に包囲されている訳ですが……」


 そう、ヴェステンラント軍は今完璧に包囲されている。逃げると言っても出口がないのである。


「それなら……きっと逃げれば逃げれるはずよ」

「ほ、ほう……」

「大丈夫。私に考えがある。とっとと敵に向かって突撃しなさい」

「は、はあ…………」


 包囲網を力づくで突破するつもりらしい。しかしそれ以外にこの包囲を突破する方法はないと、ラヴァル伯爵は覚悟を決めた。


 だがその結果は予想外のものとなった。


 ○


「晴虎様、敵がいきなり攻めかかって来てございます!」


 あっという間に晴虎の本陣に帰還した朔は、状況を報告した。ヴェステンラント軍が包囲網に向かって一斉に攻勢を強めたのである。


「攻めかかって来ているのは先程からそうではないか」

「そ、そのようなことでは……」

「分かっておる。彼の者は、自らの負けを悟り陣を退こうとしているのだ」


 晴虎にはたちまちドロシアの意図が理解出来た。


「では、いかがされますか?」

「通してやるがよい。逃げ去る者を追い剝ぐは、我らの戦に非ず」

「よ、よろしいので? このまま敵を囲めば、ヴェステンラントにより大きな損害を与えられましょう。彼らが立ち直るまで猶予が……」

「ならぬ。逃げる者を封じ込めれば、彼らは死兵となろう。左様に致せば、徒に将兵を死なせるだけだ」


 逃げ道を残さない包囲というのは最悪だ。囲まれた側は勝つ他に生き残る道がなくなり、全ての兵が死に物狂いで戦うだろう。生き残る為に全力で戦う兵士を迎え撃つのは、全く以て割に合わない。


「なれば……」

「うむ。ヴェステンラント兵には逃げ道を開け、我らに下る者は丁重に扱え」

「……はっ!」


 実際大八洲側にもこれ以上戦い続ける余力はない。晴虎はこれ以上戦を続ける気はなかった。


 ○


「殿下、これは……敵が我らに道を開けてくれているような……」


 ラヴァル伯爵は不思議そうに言った。大八洲軍は備と備の間を開け、あからさまに包囲に穴を開けたのだ。


「ええ、そうよ。相手が晴虎ならば、いえ、晴虎だからこそ、私達を閉じ込めることをよしとしない筈。そして、私の期待通りの事をしてくれたわ」


 ドロシアは晴虎が逃がしてくれると確信した上で撤退を命じたのであった。相手が優秀な司令官だからこそ選べた選択である。それが愚将ならばこのまま消耗戦が続いていたであろう。


「さあ、せっかく大八洲軍が通してくれるのよ。全力で撤退しなさい」

「はい。しかし、どうしても逃げられない部隊も多いようですが……」

「それは降伏して構わないわ。まあ勝手に玉砕してもらっても構わないけど」

「はっ!」


 敵も味方も身動きが取れず、閉じ込められてしまった部隊もちらほらとある。こちらについては素直に降伏することをドロシアは許した。


「晴虎の気が変わらないうちに逃げるわよ。急ぎなさい!」


 結局、晴虎の命令で大八洲軍は逃がせるだけのヴェステンラント兵を逃がした。こうして黑鷺城の戦いは終結したのであった。


 大八洲軍は追撃などは行わず、ヴェステンラント軍はひとまず日出嶋の南端まで逃れた。


「それで、今回の損害は?」

「はい。我が方の死者に捕虜となった者を含めれば、おおよそ、28,000の兵が失われたようです……」


 ラヴァル伯爵はそんな絶望的な報告をせざるを得なかった。


「最悪ね……。これじゃあ再編に時間がかかる」

「はい。暫くは攻勢には出られないでしょう」


 失われたのは主に数十名以上の兵士を率いる、言うなれば下士官だ。これが相当数失われたことで、28,000の兵士を補充するだけでは軍の再編は出来ない。


 ヴェステンラント軍はこれより数ヶ月はテラ・アウストラリスに引きこもることとなるだろう。

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