撤収
「そうか……了解だ」
ローゼンベルク司令官はヒンケル総統の撤退命令を受け取った。どの道撤退するしかないことは明らかであったから、東部方面軍に配慮をしてくれたヒンケル総統には感謝しかない。
「閣下……」
「グズグズしている暇はないぞ。荷物を纏めて、メレンに帰る支度をせよ」
「はっ」
そしてゲルマニア軍は直ちに撤収の準備を始めた。
〇
撤退すること自体は簡単だ。だが一つ問題があった。まあ正確にはゲルマニア軍が解決すべき問題ではないのだが。
「ここの住民は、我々がいなくなったとしても、住む場所を確保することすら出来ない。まあ我々に何かをする義務はないんだが、一応は統治に協力的だった彼らを捨て去るのは後味が悪い」
ローゼンベルク司令官は、師団長達を集めて最後の会議を開いた。その議題は、ゲルマニア軍が撤退した後のダキア市民の生活である。
「とは言いますがね、我々は撤退するんですから、どうしようもないのでは?」
オステルマン師団長は面倒くさそうに言った。確かに、そこにいないのだから何もしようはない。
「からかうのは止めてくれ。つまるところは、我々が撤退する前に何かやれることがあるのではないか、ということだ」
「では、食糧を残しておくとか?」
「そうだな。それもいいだろう。だが、それだけでは足りない。食べ物があっても凍えて死ぬからな」
「閣下には何かお考えがあるのですか?」
シグルズはローゼンベルク司令官に尋ねた。やけにもったいぶる辺り、どうも彼には腹案があるように思える。
「その通り。まあ、前置きは省いて本題に入ろうか」
「はい」
「私としては、この都市を速やかにダキアに引き渡すべきだと考える。ダキア政府ならば民を救うことも出来るだろうからな」
ダキアに穏便に民と都市を引き渡す。それは市民からすれば願ってもないことだろう。
「我々が苦労して手に入れたこの都市を、奴らにタダでくれてやると?」
オステルマン師団長は少々苛立った口調で言った。またこれは彼女の個人的な意思というより、師団長達の総意だろう。
あれだけの犠牲を出して得た都市を敵に明け渡すというのに、抵抗を抱かない人間の方がおかしい。
「どの道我々はここから撤退せざるを得ない。であれば、出来るだけ無駄な犠牲が出ないように下がるべきだ」
「理屈ではそうかも知れませんがね……」
オステルマン師団長はバツが悪そうに頭をかいた。
確かに、ダキア軍に速やかに明け渡そうがしまいが、ゲルマニア軍にとって利益にも不利益にもならない。
であれば、ダキアの民間人に被害が出ない選択をすべきなのは間違いない。結局のところ、問題はゲルマニア軍の矜恃だ。感情の問題なのである。
「私にも気持ちはよく分かる。正直言ってダキアに返したくなんてないんだが……ゲルマニアの面子を立てる為だ。我々が敵国の民を助けるべく行動したとなれば、諸外国からの評判はより良くなるだろう。だから、ここはどうか堪えてくれ」
ゲルマニア軍にとって利益はないが、神聖ゲルマニア帝国に利益はある。外交において評判は生命線だ。
それはともかく、ローゼンベルク司令官は配下の師団長達に命じるのではなく頼み込んだ訳である。
ここまでされると、流石のオステルマン師団長も引き下がった。
「まあ、閣下がそこまで言うのなら、我々は従いましょう。しかし、ダキアとはどのように交渉するつもりで?」
「そこはまだだ。それと、さっきは善意で助けるみたいな感じで言ったが、対価くらいはもらってもいいだろう」
「ダキアと連絡を取る手段はあるのですか?」
「あるにはある。だからまあ、向こうから使者を送ってもらうことにしようと思う訳だが」
その方向で調整し、最終的にはダキア側からホルムガルド公アレクセイが派遣されることとなった。
〇
一応はかなり高位の貴族が来るとあって、ゲルマニア軍としても、豪華な部屋ともてなしを用意した。
「公爵様、わざわざのお越しに感謝します」
ローゼンベルク司令官はホルムガルド公アレクセイに恭しく礼をした。
「爵位の上では確かに私の方が上ですが――我々は対等な立場。そう畏まらないで下さい」
「あなたがそう言われるのなら」
「我々は敵同士ですし、無駄にしていられる時間もない。早速本題に入りましょう」
「はい。まずこの都市について、我々はこれより7日のうちに撤退を完了させ、かつその間、この都市では完全に停戦する。これでよろしいですか?」
「はい。我らとしてもとてもありがたい申し入れです。民は喜びましょう」
つまるところ、ゲルマニア軍がいるうちからダキアへ行政を移管し始めるということである。
「しかし、我々も慈善団体ではありません。それ相応の対価は頂きたい」
「我らとしても、敵に施しを受ける訳にはいきません。なんなりと申し出て下さい」
「はい。しかし我々は物的な対価を求めているのではありません」
「……というと?」
「ダキア大公国が今どこに首都を置いているのか、或いはどこにピョートル大公がいるのか、我々に教えて頂きたい」
オブラン・オシュの数日の為に、最大級の国家機密を教えよというのである。割と条件としては釣り合っているとローゼンベルク司令官は思っている。
「――いいでしょう。我々は、大突厥國の都に拠点を置いています」
「突厥? どうしてそんなところに……」
「契約は、場所を教えるまでです」
「そう、でしたな。これは失礼を。では、契約成立です」
オブラン・オシュからの撤退は、こうして迅速に行われた。
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