ダキアの戦略

 ACU2311 10/12 オブラン・オシュ


「殿下、諸侯の軍勢は次々と領地に逃げ、今や我々の元にあるのは親衛隊のみです……」


 親衛隊長アレクセイは言った。先のプジャロヴォ会戦にて敗北したダキア軍は、戦略的にも壊滅した。


 親衛隊からも脱走者は相次ぎ、参陣した諸将はダキアの敗北を悟り、水面下でゲルマニアと戦後の交渉を始めている物すらあるという。


 その情報を察知しながらも、それを討伐する力すら今のピョートル大公には残されていなかった。


「それで、今の我が軍に残された戦力は?」

「この都市に残っているのは……おおよそ6,300です」


 会戦での戦死者は3,000ほどであり、他は全て逃走した。


「そうか……」


 ピョートル大公は諦めがついたとも、最後の抵抗を行う覚悟を決めたとも取れる溜息を吐いた。


「殿下……やはり、この都市に立て篭りますか? メレンほどではないとは言え、この都市も大規模な城塞です。食糧の備蓄だけはありますので……抵抗することは可能です」

「ここで籠城したところで、精々1ヶ月程度しか持つまいだろう。たったの1ヶ月、ダキアを延命したところでどうするんだ?」

「し、しかし……それではこのまま降伏されるのですか?」

「それもよいが……はあ……」


 ピョートル大公はまだ何かを言いたい様子。


「何か、殿下には他に策があるのですか?」

「ああ、ある。あるにはあるが……」

「それは一体……」


 どうもろくでもない策であるらしいというのは、アレクセイにもすぐに分かった。


 ピョートル大公は嫌々ながらといった様子でその策を説明する。


「オブラン・オシュすら捨て、更に後背の土地に立て篭り、冬将軍がゲルマニア軍を駆逐するのを待つ……」

「しかし……オブラン・オシュより東に首都とし得るような大都市は存在しません」


 ダキア大公国は地球のロシアとは違い、シベリアを保有していない。その領土はどちらかというと南北に広大なのであり、東西方向の縦深には乏しいのである。


「ああ。そうだな。正直言ってここが最後の砦だ」

「で、では……」

「もはや、こうする他ない。……我々の東にある大突厥に亡命するのだ」

「大突厥? 不戦条約こそ結んでいますが、同盟国でも何でもないあの国に、ですか?」

「すでに大突厥はヴェステンラントに降伏している。だから……」


 つまりはヴェステンラントに頼み込んで大突厥を協力させるということである。ダキアを戦争から離脱させたくないヴェステンラントならば、必ず受け入れてくれるだろう。


「しかし殿下、それは首輪をヴェステンラントに握られるようなものです。ヴェステンラントの言いなりになっているのでは……それはもうダキアとは呼べません」


 だがそれは同時に、ヴェステンラントの気分にダキアの首脳部の命運が左右されるということを意味する。事実上ダキアはヴェステンラントの傀儡国になるのだ。


「だが……それでも、ダキア大公国を存続させねばならない。例え奴隷に成り下がろうとも、生きてさえいれば挽回の機会はある。だが、死んだらそれでお終いだ」

「殿下……承知しました。殿下がその意思を固められたのならば、私は殿下に従います。すぐに諸将に通達し、移動の準備を行います」

「ああ。よろしく頼む」


 実のところ、ゲルマニア軍がここに到着するまでに残された時間は数時間しかない。持ち出せるものなどほとんどないが、行軍に最低限必要なものだけを持って早急に東へ向かう。


 王冠と錫杖、食糧と武器だけを持ち、ピョートル大公と親衛隊は東へ走った。親衛隊も同伴するのは僅かに2,000程度であった。


 ○


 ACU2311 10/12 オブラン・オシュ近郊 ゲルマニア軍前線司令部


「あれは……白旗ですね……」

「そのようだな……」


 オブラン・オシュの城壁には大きな白旗が何枚のはためいていた。それが降伏を示すのはこの世界でも常識である。


「しかし……信用していいのか?」


 ローゼンベルク司令官は師団長たちに尋ねた。これだけ頑強に抵抗してきたダキア最後の首都が籠城もせずに降伏するというのは考えにくい。


「まあ……罠でしょうね」


 オステルマン師団長は言った。これはゲルマニア軍を城内に引き込んで奇襲する罠であると。そして全会一致で罠だろうということになった。


「だが白旗を掲げている相手を攻撃すれば、我々が悪ということになる。これは大したことをやってくれたな……」


 ゲルマニア軍が城内に入ればダキア軍は攻撃してくるだろう。だがそれは予想でしかなく、実際に攻撃された訳ではない。


 もしもこちらから攻撃を仕掛ければ、白旗を掲げる敵を容赦なく攻撃する悪魔と喧伝されることだろう。だから手の出しようがないのである。


「どうせ、騎士道なんて誰も気にしていませんよ。とっとと砲撃しましょう」

「いいや、それはよくない。我々の大義名分に傷を付ける訳にはいかんのだ……」

「そういうもんですかね?」

「そういうもんだ」


 戦術的にはとっとと砲撃して城門を打ち壊す方がいい。砲撃すると言っても、死者は大して出ないだろう。


 だが、今のところ戦争の大義はゲルマニア軍にある。それに傷を付けることは避けたいというのがローゼンベルク司令官の本音であった。

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