第二十一章 泥沼の戦争

ダキアの底力

 ACU2311 4/23 ダキア大公国 オブラン・オシュ


 ピョートル大公が退避してきたオブラン・オシュは、ダキア大公国の中でキーイ、メレンに次ぐ規模を持った大都市である。そして、ゲルマニアとの国境に近すぎる首都キーイや既に陥落したメレンに変わり、実質的にダキア大公国の首都として機能し始めていた。


「――それでは、ダキア大公国親衛隊の創設を、諸侯を代表しお祝い申し上げます」


 諸侯や将軍を集めた軍議の場で、ホルムガルド公アレクセイは祝意を伝えた。


 親衛隊。神聖ゲルマニア帝国の親衛隊に倣って作られた組織であるが、ゲルマニアのそれとはかなり異なった機構を持っている。その最高司令官はピョートル大公その人である。すなわち国家そのものに直属する軍隊という訳だ。


 その兵力はおよそ12,000。ダキア大公国の総兵力の15パーセントであるが、あらゆる貴族に卓越した軍事力である。この時点で軍事力によって大公に反乱を起こせる貴族はいなくなった。


 建国から今まで、ダキア大公国の軍隊は国家に直属するものではなかった。あくまで諸侯が私有する軍隊の寄せ集めである。これまではそれでどうにかなってきたが、ゲルマニアとの戦争で最早妥協してはいられなくなったのだ。


「そして、親衛隊の副長をお任せいただけること、光栄に存じます」

「ああ。任せたぞ」


 親衛隊は特にピョートル大公に忠誠を誓う貴族の軍隊を集めて結成された。そしてその中でも最大の実力を持つアレクセイがその副長に任じられることとなった。


 まあ副長とは言うが、ピョートル大公が付きっきりで親衛隊の指揮をする訳でもない以上、実質的には親衛隊の指導者である。


「今後は、この親衛隊を軍事力の中核とし、ゲルマニアとの戦争を遂行することとなります」

「そうだな。これほどの纏まった兵力を運用するのは我が国では初の試みだ。この兵力を以てして国内の紐帯を保ち、ゲルマニアとの総力戦体制を整えるのだ」

「はい。我々は国家の軍事力を結集し、より効率的に戦争を遂行出来るようになるでしょう」


 親衛隊は戦術的、戦略的な意味よりも、国内の統制の為に結成された。やはり大公の命に従わない者を即座に叩き潰せる軍事力を持っている必要があるのだ。


「しかしながら、全ての軍隊を中央の統制下に置くことは、必ずしも好ましいことではありません」


 マキナは静かな声で言った。


「そうだな。軍事力が分散されているというのも、必ずしも悪いことではない。各地の政情に精通した指揮官は、その地での戦いにかけては誰も敵わないだろう」

「それは……ゲルマニア的な軍隊と、ダキアの昔ながらの体制を共存させるということですか?」


 アレクセイは尋ねた。彼は親衛隊の指導者ではあるが、その他の部隊については大して知らされていないのである。今回の軍議は、各部署が作り上げた体制を全体で共有するという意味合いが大きい。


「その通りです。ゲルマニア軍との決戦に際しては親衛隊を中核とした主力部隊を運用し、それ以外の時は戦争遂行を諸侯に一任します」

「そ、それ以外の時……とはどういうことだ?」


 アレクセイには想像がつかなかった。彼にとっては――というかゲルマニア人とヴェステンラント人以外の全ての人間にとっては、戦争というのは数万の軍勢を一堂に会した決戦を繰り返すものである。


 それ以外の戦争の方法というものを、彼は知らない。――いや、一つだけあった。


「つまりは、塹壕戦のことを言っているのか?」


 塹壕戦というのは数ヶ月、数年の長きにわたって延々と戦闘を続ける、これまでになかった形態の戦争である。


「いいえ、違います」

「そ、そうなのか」

「この広いダキアの土地で塹壕など構築できません」

「それもそうか……」


 スカディナウィア方面にも前線がある以上、第一次世界大戦の東部戦線よりこの戦争の前線は長い。加えて、ダキアにもゲルマニアにも塹壕を掘っている余裕はない。よってこちらの戦争で塹壕戦が発生するというのは考えにくい。


「では、何のことを言っているのだ?」

「ダキア軍には、というか我が軍もですが、自ら攻め込んでゲルマニアを屈服させれる力はありません。よって、徹底した遅滞戦闘を以てゲルマニアを息切れさせます」

「遅滞戦闘とは……どういうことだ?」

「ゲルマニアの補給線を徹底的に叩き、ダキアの土地に踏み入ることを許しません」

「補給線を狙うか……確かに、広大な我が国では有効な戦術だな」


 ダキア大公国は広大だ。故に、攻め込むとなればゲルマニア国内から長大な補給線を抱えざるを得ない。それを叩けばゲルマニア軍が奥地に侵攻することは不可能になるだろう。


「そうして、その仕事を諸侯に任せるということか」

「はい。それがダキアにとって最良の戦争であるかと」

「なるほど……しかし、これは我が軍の無力を認めることにはなりませんか? 殿下はこれでよろしいので?」


 アレクセイはピョートル大公に尋ねた。ひたすら引きこもってゲルマニア軍が撤退するのを待つなど、ダキア大公国の面目に関わるのではなかろうかと。


「そうだ。我が国は無力なのだ」

「そ、それは……」

「最早、名誉がどうこうなどと言っている暇はない。生きるか死ぬか。それがこの戦争だ」


 かつて戦争は、国家間の名誉をかけた決闘であった。だが今は違う。国家間の生存競争こそが戦争の本質と化しているのだ。

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