密売業者
ACU2310 7/4 ハーケンブルク城
その日、ハーケンブルク城に5両編成ほどの客車が止まった。ナウマン医長が帝国鉄道から勝手に借りてきた列車である。本人曰く、暫く使わない車両だから別に問題ないらしい。果たしてそれが本当なのかは定かではないが。
「無事に戻って参りました、師団長閣下」
先頭の機関車から降りてきたナウマン医長は恭しく一礼した。
「ああ、そう……」
シグルズとしては出来れば戻ってきて欲しくなかったのだが、ナウマン医長は列車に傷一つ付けることなく戻ってきてしまった。
「いやー、やはり、我々専用の線路があると、密貿易が捗りますね」
「やっぱり君は更迭しようかな……」
「ナウマン医長は特に犯罪行為はしてないわよ、シグルズ」
エリーゼも降りてきた。
「やるんだったら私をまず更迭するか逮捕することになるけど、出来るの?」
「ずるい人だなあ、姉さんは」
シグルズの遵法精神はそこまでのものではない。エリーゼを告発するなんてことは出来なかった。
なお、いい話っぽくなっているが、これはただの犯罪である。
「まあ安心してね。ちゃんと足は付かないようにしてるから」
「ああ、そう……」
そんなんだったら最初から密輸なんかに手を染めるなという話なのだが、エリーゼにその発想はないらしい。何とも残念なことである。
「それで、エスペラニウムは買ってきたの?」
「ええ。中に沢山積んできたわ。まあ見てみなさいって」
エリーゼはやけに楽しげに、シグルズの輝を引っ張って車内へと連れ込んだ。何が楽しいんだか一向に分からなかったが。
〇
「ん? 何もないじゃないか」
中に入ってシグルズは唖然としてしまった。
きっと宝石の山みたいなものが詰め込まれているのだろうと思って飛び込んだのに、車内はがら空きで、まるで新品の車両みたいに綺麗に整備されていた。
「――ど、どういうこと?」
「密輸するのに、そんな堂々とものを置く訳がないよね……?」
その時、どこからか幽霊みたいなどんよりとした女性の声が聞こえた。
「いや誰?」
「あなたの後ろ……」
振り返って見ると、灰色の外套で全身を覆い隠した、まさに幽霊みたいな見た目をした女性が立っていた。
「いやいや、本当どういうこと?」
「紹介するわ。この人はガラティアで密貿易業者を営んでいる人の娘のエッダちゃんよ」
「ちゃん……?」
「よろしく……」
――大丈夫か、この人?
エリーゼがやけに親しげなのは置いておいて、取り敢えず事情は分かった。こんな格好をしているのも、顔を隠す為だとすれば合点がいく。少しだけ覗く肌は白く、レモラの人なのかもしれない。
そう考えるガラティアの国益を侵しているのも納得はいくが、実際のところどうなのかは多分教えてくれないだろう。
「それで、密貿易業者を営んでいる人ってのは誰?」
「そんなの言えないでしょ……」
ちょっと馬鹿にされた気がする。
「ということは、フルネームも教えてくれないと」
エッダとやらはこくりと頷いた。まあそのくらいは許そう。
「それで、密輸業者さん、この列車にエスペラニウムがあるの?」
「そう。待ってて……」
エッダはおぼつかない足取りで客席の前まで歩いた。そして客席を持ち上げる。すると中には紫に輝く石が詰まっていた。」
「ね……?」
「なるほど。まあ帝国の税関はザルだから、これでも問題ないか」
「…………」
何故だがエッダは不満そうな雰囲気を出して黙り込んだ。
「シグルズ、隣の客席を開けてみて」
「え? いいけど――」
シグルズはエッダと同じように座席を持ち上げようとした。
「あ、開かない……?」
が、それはビクともしなかった。軍人というだけあってそれなりの筋力はある筈なのだが。
「え、へへへ……それはちょっと工夫しないと開かないよ……」
「それはどういう……」
エッダはシグルズを押しのけるようにして客席の前に立った。そしてさっと腕を席の下に伸ばすと、軽々と客席を持ち上げてしまった。
「これなら確かに、密輸には最適だな」
ついでに言うとエスペラニウムを探知する手段などは存在しない。魔導探知機はあくまで魔法そのものに反応するからだ。
金属探知機なども存在しない以上、この方法は密輸に最適である。
「それで、これはどうやって開けるの」
「教えない……」
「……え?」
「教えないものは教えない……企業秘密……」
「ええ……」
「ああ、私も教えてもらってないから、気に病むことはないわよ」
「あ、そうなんだ」
なるほどこれなら安全に確実にブツを運ぶことが出来る。わざわざエッダがここに出向いたのはこれをする為のようだ。身内しか箱を開けられないとは、賢いやり方である。
「まあ、そういうことで、代金はもうもらってるから、後は好きにしてね……」
「因みに代金はいくらなの?」
「エスペラニウム1,000人で6ヶ月分、30万ソリデュスくらいで……」
「あ、ああ、そうか……もうそのお金がどこから出てきたのかは聞かないよ……」
およそゲルマニアの国家予算の2万分の1である。そんな大金がどこから湧いて出てくるのやら。エリーゼはいつになってもシグルズの想像の斜め上をいく人である。
「という訳で、私は帰る……」
「どうやって帰るつもり?」
「徒歩……」
「ええ……」
「か、馬車……」
「ま、まあ……」
確かにこんな怪しい格好をした人間が鉄道に乗れる訳がない。公共交通機関を使えないのは仕方ないだろう。
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