ヴェステンラントの戦略

 ACU2310 6/10 ヴェステンラント合州国 陽の国 王都ルテティア・ノヴァ ノフペテン宮殿


「それで、東部戦線の様子はどうなのだ?」


 傲慢不遜の赤公オーギュスタンは、白公クロエに芝居がかった声で問いかけた。今日は珍しく、前線にいた大公を含め、七公の全てがここノフペテン宮殿に集まっている。


「まあ、戦線を進めるのは今のところ不可能、或いは割に合わないと言わざるを得ません」

「割に合わないとは、突破したとしても損害が大き過ぎるという意味かな?」

「はい。ノエルの考案した坑道戦術だけはその点でもかなり有力な作戦でしたが、ゲルマニア軍に見破られて無力化されてしまいました」


 坑道戦術は十分に許容可能な損害で大規模な塹壕線の破壊に成功した。だがそれは、水の入った瓶を埋めておくという方法で簡単に無力化されてしまった。


「なるほど。流石は我が娘といったところだな」


 オーギュスタンはいつも通りの男らしい声でよく分からないことを言う。この男は娘のノエルのこととなると知能が10パーセントくらいに低下するのだ。


「……どう解釈したらそうなるのですか?」

「ん? どういうことだ?」

「……まあいいです。忘れて下さい」

「そうか」


 クロエは言葉による説明が用を為さないと悟った。


「それでは次に、西部戦線の様子はどうだね?」


 赤公オーギュスタンは誰に向かってでもなく声を響かせた。だが実質的には大八洲皇國との戦争を担当している青公オリヴィアと黄公ドロシアに向けたものだった。


 青公オリヴィアはおずおずとして答えるのに窮しているようで、黄公ドロシアが溜息を吐きながら答える。


「わざわざ報告するまでもないと思うけど、膠着よ。こっちから攻め込もうとも思えないし、向こうも動かないわ」

「君ともあろう者が敵を相手に怖じ気づいているとは、珍しいこともあるものだな」

「チッ。うるさいわね……」


 今日はドロシアの酷い態度も姿を潜めている。それは彼女が本当に敵を恐れていることの証左と言えるだろう。


 まあ二度の決戦で完膚なきまでの叩き潰されたことを鑑みれば当然ではあるが。


「あのー……」


 オリヴィアはのそのそと手を挙げた。この七公会議では別に発言の許可を求める必要などないのだが。


「どうしたのよ?」

「その、皆さんに聞きたいのですが、私たちが沈めちゃったシーラについては、その……」

「チッ……」


 合州国に3隻しかないヴァルトルート級魔導戦闘艦のうちの1隻――魔導戦闘艦シーラ。それを沈めてしまった責任は重大だ。


 事の次第によっては大公を改易となっても文句は言えない。これにはドロシアも黙り込んだ。


「それについては、女王陛下より勅命が下っています」


 七公会議の司会を担当するおばさん、摂政エメは冷然と言った。


「そ、それは…………」


 オリヴィアは内心震え上がっていた。


「シーラを沈めた件については特に気にしないとのことです」

「き、気にしない……?」

「へえ。陛下も随分と心が広いのね」


 危機が去った瞬間に態度が悪くなるドロシアである。


「それで、どういう風の吹き回しなの?」

「それは私にも分かりません。ただそのように命じられました」

「そう。まあいいわ」


 ここで余計なことを言って女王陛下の機嫌を損ねるのは馬鹿のすることだ。ドロシアこれ以上詮索しないことにした。


「ところで、どうして大八洲は動かないのだ? 動かない理由もないだろうが……」


 七公随一の常識人、陽公シモンは漠然と尋ねた。ヴェステンラント軍は大変な損害を被って動けないでいるが、大八洲軍は大した損害を受けていない。彼らが歩みを止める理由はない筈なのだ。


「さあね。私も知らないわよ」

「わ、私もです……」

「そう、なのか」


 ドロシアもオリヴィアも、大八洲軍が唐突に動きを止めた理由は分からなかった。マジャパイト王国を落として以降、彼らは静まり返っている。


「しかし、全く見当がつかないということもあるまい。だろう?」


 オーギュスタンがドロシアに問いかけた。


「まあね。考えられるとしたら、マジャパイトの統治に手間取っているとかかしら」

「最も妥当な推論だな」

「そ、そう」


 後方の安全を確保しないで前進するというのは愚かなことだ。マジャパイトの支配を盤石にしてから兵を進めようというのは何もおかしなことではない。


「けど、そんな様子がないっていうのが気になるのよ」


 問題は、大八洲によりマジャパイトの統治が非常に円滑に行われているように見えるということである。国王のすげ替えは誰の妨害もなく完了し、民衆で大八洲にあえて逆らおうとする勢力もない。


 少なくともヴェステンラントから見ると、だが。


「敵が上手いこと統治が上手くいっているように偽装している可能性もあるだろう」

「確かにね。でも、そんな綻びはどこにも見当たらないわ。とても演技とは思えない」

「それはとても困ったな」

「他人事ね」

「ああ。他人事だからな」

「チッ」


 どうやら大八洲が占領行政を上手くやっているというのは疑うべきではないようだ。その上でどうして大八洲が動こうとしないのかを見極める必要がある。


「しかし、私も暇なのでな。せっかくだから、どうして大八洲が動かないのか考えていた」

「――聞かせなさいよ」


 オーギュスタンは何だかんだ言って薄情者ではなかった訳である。

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