ヴェステンラント流の塹壕戦Ⅱ
「閣下、前線の部隊は壊滅的な被害を受けています!」
「これ以上の前進など、とても不可能です!」
ザイス=インクヴァルト司令官の元には悲鳴のような報告が次々と届いていた。作戦に参加したほぼ全ての師団が一様に撤退を訴えてきたのである。
「まさか、ヴェステンラント軍にもこれほどの知恵があるとは……」
司令官はゆっくりと煙草を吹かした。
「か、閣下!?」
「……作戦は中止だ! 我々は失敗した! 直ちに全軍を撤退させよ!」
敗北は確定的だった。いくらザイス=インクヴァルト司令官でもこの状況を打開する策など考え付かない。だからせめて、被害を最低限に抑えることだけを考えるのだ。
「閣下! 撤退しようにも、敵の追撃が激しく、退けません!」
逃げることすらままならなかった。今のゲルマニア軍にはその程度の力すら残っていなかったのだ。
「そうか……予備兵力を全て出せ! 8個師団全てだ!」
「こ、ここの護衛もですか?」
「そうだ。こんなところで兵を遊ばせている余裕はない!」
「はっ!」
だがこれでも恐らく足りはしない。多少の足しになるかどうかといったところ。
「最早、統制は失われた……私には何も出来ないか……」
司令部に出来ることは残されていなかった。後は現場の司令官を信じて待つしかない。実に不甲斐ないことだった。
○
「幕僚長、撤退の命令です!」
「や、やっとか……とは言え……」
逃げると言っても簡単ではない。敵に背中を見せれば容赦なく魔導弩で撃ち抜かれ、魔導剣で斬り裂かれるだろう。だがこのままここで耐えていても、根絶やしになれるのは時間の問題だ。
撤退しようにも撤退も出来ず、このまま戦っていても死ぬ。ここで生き残る選択肢は、1つだけある。
「降伏する、か……」
「ば、幕僚長!?」
「このままでは犬死だ。だったらせめて、生き残ることを考えるしか……」
「…………」
最悪も最悪だが、ヴェステンラント軍の捕虜になれば敵の兵站に負担をかけることが出来る。ここで死ぬか虜囚となるかと問われれば、ヴェッセル幕僚長は迷いなく後者を選ぶ。
「ここまで酷い状況は初めてだな……師団長閣下との通信は繋がらないか?」
「は、はい」
「何をなさっているんだ……」
オステルマン師団長との連絡は未だにつかない。これまでは例えシュルヴィになっていても通信くらいは聞いてくれていたのだが。
「通信機など手に取っていられないほどの激戦なのか、そもそも通信機が壊れたか、或いは、戦死したか……」
いずれにせよ通信に応じてくれることは期待出来ない。師団長なら大丈夫だろうと前線で戦うことに反対しなかったのを、ヴェッセル幕僚長は今更ながらに後悔していた。
が、その時だった。
「幕僚長殿! 援軍です!」
「何? 誰だ?」
「これは……第88師団です!」
「シグルズ君か……」
シグルズ率いる突撃歩兵は戻って来た。敵の防衛線を背後から叩き、友軍の撤退を掩護する為に。
○
「敵を蹴散らせ! 友軍を一人でも多く助けるんだ!」
ゲルマニア軍の惨状はシグルズにも伝わっていた。突撃砲兵の任務は撤退する友軍の援護に変わっていたのである。
「ど、どこから出てきた!?」「構わねえ! 蹴散らせ!」
すぐにヴェステンラント軍の小部隊が襲い掛かって来た。
「突破しろ!」
「「おう!!」」
だが機関短銃を携えた突撃歩兵はそれを打ち倒し、最前線の塹壕へと走った。
「突入せよ!!」
次々と塹壕の中に突入する突撃歩兵。未だに統制を維持している数少ない師団は、ヴェステンラント兵を次々と壊滅させていった。
やはり機関短銃は塹壕戦においては無類の性能を誇っている。
「友軍だ! 助けるぞ!」
絶望的な白兵戦を繰り広げているゲルマニア軍が見えた。シグルズは襲い掛かるヴェステンラント軍を背後から急襲する。
「よし。誤射に気を付けながら撃て! 突撃!」
機関短銃の射程は短い。ある程度の距離を取れば生身の人間に当たっても打撲くらいで済む。
突然の襲撃にヴェステンラント兵は対応出来ず、最後にはシグルズ自身の魔法も解禁しながらも、迅速に殲滅することに成功した。
「大丈夫か!?」
「こちらは大丈夫です! 助かりました!」
「て、ヴェッセル幕僚長?」
「シグルズ――いや、ハーケンブルク城伯ですか。久しぶりですね」
助けたのは第18師団だった。ヴェッセル幕僚長はこんな場所でも紳士の中の紳士という立ち居振る舞いを崩さない。
「戦場での再開を喜びたいところですが、今は他の師団の救援に向かってください。私たちは大丈夫ですから」
「――分かった。だが、護衛に兵士を1,000ほど付ける」
「それは要らな――」
「問答をしている時間はない。従ってくれ。それでは」
「え、ええ」
突撃歩兵の一部を切り離すと、シグルズは次の敵を倒しに走り出した。彼らを心配する必要は全くないようだった。
「シグルズ、ありがとう……。師団長閣下との連絡がつかない為、私が臨時に指揮を執る! 総員撤退!!」
ヴェッセル幕僚長は覚悟を決めた。もう迷っている暇はない。
追手は借り受けた突撃歩兵に任せ、第18師団はひたすら走った。
そして自軍の防衛線にまで辛うじて辿り着いたのだった。
「はあ……生きているのか……」
「そうですね……」
「しかし、師団長閣下はどこにいるんだ……」
撤退を終えてもオステルマン師団長との連絡はついていなかった。まさか本当に戦死したのではないかと不安がよぎる。
「ん? あれではありませんか?」
「何がだ?」
塹壕から頭を出すと、敵の塹壕の上で黒い巨大な羽を広げて飛び回っている人間の影が見えた。それはゲルマニア軍の軍服を着ている。
「ああ、間違いない。ご無事ではあったのか……」
「その、あのままにしてよろしいのですか?」
「閣下なら問題はないだろう」
「そ、そうですか」
あのシュルヴィ・オステルマンを殺せる魔女などそうそういない。
それはいいとしても、ゲルマニア軍は大敗を喫した。こうして生き残った人間は全体の何割なのか。それすらも定かではない。
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