撤退戦
「おっと、我が師団長殿の邪魔はしないでもらおうか?」
その時、オーレンドルフ幕僚長はシグルズとスカーレット隊長の間に割って入り、彼女の剣戟を土壁で受け止めた。
「だ、誰だお前?」
スカーレット隊長がオーレンドルフ幕僚長と出会うのはこれが初めてである。
「私は第88師団の幕僚長、グレーテル・ヨスト・フォン・オーレンドルフだ」
「幕僚長がどうして剣を取って戦っているんだ?」
「ではどうして隊長が剣を取って戦っているのだ?」
確かにどちらも前線で白兵戦を繰り広げるべきではない地位にある。
「まあいい。道を開けろ」
スカーレット隊長はオーレンドルフ幕僚長に剣を向けた。彼女の目的は上空からヴェステンラント軍を爆撃しているシグルズを妨害することであって、オーレンドルフ幕僚長に用はない。
だがオーレンドルフ幕僚長に道を譲る気はなかった。
「師団長殿、友軍の援護を続けてくれ。こいつは私が止めておく」
「ああ。分かった」
シグルズはオーレンドルフ幕僚長を信頼することにした。両者から離れ、追撃を行おうとするヴェステンラント軍を蹂躙する。
「……あくまで私と戦おうというのか」
「ああ。師団長殿が体を張っているというのに、私が戦わない訳にはいくまい」
「ならば容赦はしないぞ!」
スカーレット隊長は両手で剣を持って真正面に切っ先を向け、全速力でオーレンドルフ幕僚長に突進した。剣術などかなぐり捨てた、破壊だけに特化した一撃である。
「ふっ。芸がないな」
「何!?」
スカーレット隊長の一撃は逸らされた。彼女の刃はオーレンドルフ幕僚長の肩を掠め、両者の体は激突した。
一瞬だけ動揺したが、スカーレット隊長はすぐさま飛び退いて距離を取った。
「何をした?」
「少し突きの方向をずらしただけだ。横から叩けば簡単に軌道は曲がる」
オーレンドルフ幕僚長はいつの間にか剣を手にしていた。隠し持っていたらしい。
「ゲルマニアにも魔導剣があるのか……いや、我が軍のものを鹵獲したのだな」
「いいや、この剣はただの鉄の剣だ。魔法などに頼らずとも、お前の攻撃はいなしやす過ぎる」
「何だと……」
これこそがオーレンドルフ幕僚長の本気である。彼女は空を飛ぶこと以外に一切の魔法を使わず、白公の親衛隊長の一撃を躱したのであった。
スカーレット隊長もこれには戦慄した。だが同時に、これまでにない闘志が湧いてきた。
何だかんだ言って、彼女は自分の魔法と力を実戦で本気で使ったことがないのである。
「さあ、来い。いくらでも相手してやろう」
オーレンドルフ幕僚長はあえて挑発するように言った。
「後悔するなよ!」
両名は何度も何度も打ち合った。スカーレット隊長は幾度となく斬りかかったが、それらは全て悉く、オーレンドルフ幕僚長のただの鉄剣によって逸らされた。その度にスカーレット隊長は頭に血が昇っていった。
これがオーレンドルフ幕僚長がスカーレット隊長を引き留めておくための策略だということには、彼女は気づかなかった。
スカーレット隊長はまんまと術中に嵌り、シグルズは自由に動き回ることが出来たのである。
○
「――クッ。これでもダメか」
両者の闘争が始まって数十分。互いに一つの傷も負ってはいなかった。だが戦いは唐突に終わりを告げる。
「――おっと、我が軍が撤退を終えたようだ。失礼させてもらう」
「逃げるのか!?」
「最初から逃げるのが目的だ」
「あ……」
そこでスカーレット隊長は我に返った。当初の目的であった友軍の援護を忘れ、すっかり目の前の敵との闘争に心を奪われていたのだと。
シグルズにとって並みのコホルス級魔女の妨害など苦ではなく、追撃は殆ど追い返されていた。
「いい相手だった。また会おう」
「ああ。今度は必ず殺す」
スカーレット隊長を置いて、オーレンドルフ幕僚長は飛び去った。地上には敵味方の死体が散乱していた。
○
「閣下、ザイス=インクヴァルト司令官より、総攻撃が命じられました」
「よし。行くぞ、ハインリヒ!」
シグルズが敵の司令部を叩いたとの報を受け、ザイス=インクヴァルト司令官は今回の攻勢に参加する全師団に総攻撃を命じた。
オステルマン師団長率いる第18師団も当然、その中に含まれている。
「諸君、突撃だ! ヴェステンラント軍の防衛線など恐るるに足らず!」
「「「おう!!!」」」
およそ20万のゲルマニア兵が塹壕を飛び出し、一心不乱に砲火の中に飛び込んでいく。既に敵の指揮系統は破壊されており、彼らには組織的な反撃は出来ない筈だ。
しかし今回は様子が違った。
「閣下、大規模な砲撃です!」
「何だと!?」
「来ます!」
それはまるでノルマンディア会戦の時のような激しい砲撃だった。両軍の塹壕の間の空間を埋め尽くすような猛烈な砲撃がゲルマニア軍を襲った。
たちまち数えきれないほどの兵士が焼かれ、体を割かれ、潰された。
「損害は!?」
「二、三千人はもっていかれました!」
「クソッ」
一瞬にして師団の20パーセント近くが戦闘不能になった。未だかつてない大損害である。
「どうされますか!?」
「進むしかない! 敵の塹壕に入れば砲撃はなくなる!」
「はい!」
決して第18師団の運が悪かった訳ではない。どこもかしこもこのような惨状であった。ゲルマニア軍に砲撃への対抗策はなく、無残に虐殺されるのみ。
だが彼らはひたすらに前進した。死体の山を積み重ねながら、その先に勝利があると信じて。
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