ホノファー脱出Ⅱ
「お、おい、うちに大砲なんてあったか?」
「い、いや、ない……」
そもそも大砲だとしてもこんな大爆発は起こらないだろう。
「だったら敵襲か!?」
「あ、ああ。敵襲! 敵襲だ!」
すぐさま防衛線の全体に警報が行き渡る。警報専用の魔導通信機を用いれば、ホノファーをすっぽり囲む塹壕戦の隅々にまで状況を伝わる。
「だ、だけどよ、一体どこからやってき――っ!」
銃声が響き渡った。それと同時に兵士のおめき声も
「どこだ!?」
「向こうだ! 行くぞ!」
「あ――こっちもか!?」
今度は反対側から銃声。一体どちらを救援に向かおうと考えていると――
「て、敵だ! う――」
「おい! クソッ!」
彼らを襲う銃弾の嵐。夜闇に紛れて敵の姿は見えないが、気付いた時にはそこら中で両軍が交戦していた。
「男爵! 男爵、聞こえますか!」
ある兵士は魔導通信機で指示を請うた。だが通信機はついに沈黙したままであり、彼らは自らの判断で動くしかなかった。
だが、未だ中世の水準から脱せていない軍隊に、現場の兵士の判断など期待出来る筈もない。その結果たるや悲惨なものである。
「おい! そっちは味方だ!」「何だって!?」「落ち着け! みか――」「何しやがる!」
そこにあったのは混沌であった。通信は混乱し、銃声にかき消されて会話もままならない。敵に撃たれたのか味方に撃たれたのかすら分からないまま、ヴェステンラント兵は殲滅されていった。
○
『師団長殿、こちらの敵は殲滅した』
「第4小隊も戦線を突破しました!」
「そうか。引き続き、敵を混乱させろ」
塹壕戦の各所でゲルマニア軍は奇襲を仕掛け、敵の指揮系統を完全に麻痺させることに成功した。こうなってしまえば孤立したヴェステンラント兵を各個撃破するのは容易い。
「浸透戦術、か……この世界でも、いや、この世界だからこそ有用か」
浸透戦術。
元は第一次世界大戦でドイツ軍が考え出した――名付けたのは彼らではないが――戦術である。
防御の究極形である塹壕線と言えど、どこかには必ず隙がある。ヴェステンラントの原始的な塹壕なら尚更だ。そこに少数の軽装歩兵を突入させ、部分的に戦線を突破。後方で敵の指揮系統を破壊し、敵を混乱させたところに主力部隊をぶつけ、戦線を完全に突破する。
もっとも、この少数の部隊の時点でかなりの損害を与えることに成功しており、作戦の趣旨とは若干ずれが生じているが。
「シグルズ様、全小隊が目標を達成しました」
ヴェロニカは淡々と。自陣営が有利だと彼女は修羅場でも落ち着いていられるらしい。
目標としていたヴェステンラントの司令官は排除した。
「了解。では全軍、突撃!」
第88師団に3つの師団を加えた計6万の軍団。すっかり崩壊したヴェステンラントの塹壕線に、この大部隊が総攻撃を仕掛ける。
塹壕線に向かって走って突っ込むという原始的なこと極まりない戦術であったが、ヴェステンラント軍からの反撃はなく、塹壕線に簡単に近寄ることが出来た。
「他の戦線からの増援もないようです」
「それはよかった」
遠くから増援が送られてくる懸念も最後まであったが、それも杞憂だったようだ。ゲルマニア軍の陽動作戦はまだまだ機能している。
その後、1時間もしないうちに塹壕線は完全に制圧された。
ヴェステンラント軍の死者はおよそ300。こちらの死者はおよそ500。こちらから敵の防衛線を落としにかかった中では、これまでに類を見ない大勝利だと言えるだろう。
「僕たち第88師団はこのままハーケンブルク城を目指す。他の師団は引き続き、ホノファーの防衛だ」
第88師団の目的はあくまでホノファーから脱出することである。ホノファーの解囲は目的ではない。
しかし、その時だった。
「シグルズ様、敵の増援です! 兵力はおよそ4,000!」
「どこからそんな兵力が……」
ホノファーの押さえは全軍でも3,000しかいなかった筈だ。一体そんな兵力がどこから湧いてきたのだろうか。
「まあ、そんなことを気にしていても仕方がないか。迎え撃つしかないな」
6万あれば塹壕なしで正面から交戦することも不可能ではない。大きな損害が出ることは避けられず、采配次第ではこちらが全滅することも十分にあり得る戦いであるが。
塹壕と機関銃を組み合わせた防御的な戦法以外では、ゲルマニア軍は未だに有効な対魔導兵戦術を見いだせていないのだ。
「ハーケンブルク城伯、ここは我々が食い止めよう」
と、第62師団長は言った。
「し、しかし……」
「君にはやらなければならないことがあるのだろう? だったら、そちらを優先すべきだ」
「…………ありがとうございます。任せます」
「武運を祈る」
第88師団を逃がす為の捨て身の作戦。だが彼らに躊躇いはなかった。
「第88師団各員に告ぐ! 全力でハーケンブルク城へと向かえ! 振り返るな! 進め!」
線路が並ぶ大街道から逸れて、ど田舎にあるハーケンブルク城へと徒歩で進む。ほどなくしてゲルマニア軍とヴェステンラント軍の野戦が始まったが、気にしてはいられない。
一度ヴェステンラント軍の目から逃れてしまえば、追ってくるような真似はしなかった。およそ半日をかけ、彼らはハーケンブルク城に到着した。
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