ブルグンテン市街戦Ⅲ

 ノエル率いる騎兵隊。早くもその数は5,000を割り込んでいた。しかし彼女に歩みを止める気はなかった。


 前回の攻撃以降ゲルマニア軍からの目立った反抗はなく、ついに彼女らは総統官邸に辿り着いた。それはゲルマニア皇帝の住む王宮と同じくらいの大きさで、同じくらいに豪華に飾られた建物であった。これではどちらが皇帝なのか分からない。


「ま、いいさ。全軍、突入!」

「「「おう!!!」」」


 正面玄関を打ち破り、ヴェステンラント軍は総統官邸に突入した。そこはだだっ広い広間になっていて、城か何かかと見間違うような豪華な階段があった。天井には絢爛豪華な燭台がぶら下がっている。


 そこに人間はいなかった。だが蠟燭はどれも火が付いており、まるで人間だけが唐突に消滅したようである。神隠しとはまさにこういうものを言うのだろう。


「ど、どうなってる……」

「分かりません……」


 その異様な光景にノエルは狼狽してしまった。だが、冷静になって考えてみれば、単に急いでどこかに逃げただけかもしれない。


「建物内をくまなく探せ! 総統を捕えろ!」


 兵士は散り散りになって総統官邸のあちこちに捜索の手を伸ばしていった。総統官邸はノフペテン宮殿のように広く、5,000の兵士を以てしても探索には手間がかかりそうであった。


 それから暫く。ノエルは玄関口に臨時の本陣を敷いて報告を待ち受けていた。


「――分かりました。ノエル様、未だに何も見つかりません……」


 ゲルタは眼鏡を直した。


「……了解だ」


 人っ子一人見つからない。この広大な建物は全くの無人のようだった。


「まさか、もうとっくに逃げていたとか?」

「それはない筈ですが」

「だよな」

「どうし――っ!」


 その時、建物を地震のような振動が襲った。


「地鳴りか?」

「そうではないようですが……」


 揺れは一回きりだ。地震ではない。では何なのか。


「っ、またか」

「そ、そのようで――いや、揺れが強く……」


 2度目の揺れは収まらず、どんどん大きくなっていく。建物も軋んできた。燭台などが倒れだす。


「まさか――ノエル様、すぐにここから出て下さい!」

「な、何でだ?」

「敵は総統官邸ごと私たちを潰す気です!」


 軋みはついに限界に達し、壁や床が崩れ始めた。


「う、嘘だろ……全軍、急いで脱出しろ! 急げ!」

「はいっ!」


 ゲルタは魔導通信機を全ての周波数で唸らせた。


「ノエル様、私たちも!」

「あ、ああ、そうだな」


 幸いにしてノエルとゲルタは玄関の目の前に布陣している。ちょっと歩けば外に出られた。その後も窓から飛び出したり壁を突き破ったりして多くの兵士が脱出した。しかし――


「崩、れた……」


 全員の脱出は間に合わなかった。


「何人死んだ?」

「おおよそ、1,500です……」

「クソッ」


 これで生存者は約3,500。死者は累計5,500ということになる。半分を優に超える兵士が失われていた。


「ど、どうしますか、ノエル様?」

「ノエル様! 敵の大部隊が迫っております!」

「…………」


 決して戦えない訳ではない。騎兵だけでこの数なら十分に有力な戦力である。だが、そう主張する者はいなかった。


「撤退だ。全軍撤退! 急ぎブルグンテンから撤退せよ!」


 市街戦という条件だからこそ多大な犠牲を出したのであって、一度平野に出てしまえばこっちのものだ。ノエルは全力で転進し、ブルグンテンから一目散に逃げ去った。


 ○


「まさか私の総統官邸を爆破しようとは思わなかったぞ」

「最悪の場合にはこうすることを想定して、この総統地下壕を造られたのでは?」


 ザイス=インクヴァルト司令官は皮肉っぽく。


 総統地下壕――総統官邸の地下にあるその場所は、つまるところいつもの会議室である。ヒンケル総統は平時より会議をこの地下壕で開いていた。


 因みに、地上の無駄に豪華の部分は、主に諸外国の要人を出迎える為に使われる。というかそれ以外には使われない。


「別にそこまでは想定していない」

「しかし、最終的には許可して下さいました」

「部下の機転を活かすのも総統の仕事だ」

「これはこれは。流石は総統閣下」

「世辞はよせ」


 使われていない地上部分をヴェステンラント兵の墓場にする。その案を提案したのはザイス=インクヴァルト司令官で、それを迷いなく承諾したのはヒンケル総統である。


「それで、この後はどうするのだ?」

「追撃をしかけるつもりです」

「分かった。任せ――」

「閣下! 伝令です!」

「今度は何だね?」


 地下壕の扉をこじ開け、ザイス=インクヴァルト司令官の元に伝令が飛んできた。地下壕の出口は総統官邸以外にも何か所かある。閉じ込められたということはない。


「ブルークゼーレ基地より、ヴェステンラント軍が東進を始めたとのこと!」

「白の軍団か。なるほど」


 クロエの率いる軍団がゲルマニア本土への侵攻を始めたらしい。


「これはどういうことだ、ザイス=インクヴァルト?」

「赤の魔女の救援要請を受けて白の魔女が動いたのでしょう」

「それは問題ないのか?」

「いいえ。寧ろ我々にとっては好都合です」


 ザイス=インクヴァルトは不敵に微笑む。


「敵が増えるのにか?」

「はい。何故ならば、我々はこれを一挙に殲滅する好機を得たからです」

「ほう」


 ザイス=インクヴァルト司令官の目はどこまでも遠くを見据えている。凡人から見れば危機にしか見えないものの、彼にとってみれば天祐でしかなかったのだ。

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