水瓶の計
「これは……本当に意味はあるのか、師団長殿?」
「ああ。ある」
ホノファーの周囲にある塹壕線は2重になっている。その間の空間に、第88師団は水の入った瓶を埋めていた。地中に半分くらいが埋まるようにしたものが、ホノファーの西側に100パッススごとくらいの距離に埋まっている。
傍から見れば気でも狂ったのかと思われる行動であるが、シグルズにはちゃんと目的がある。
「まあ、見てれば分かるって」
「そうだろうか……」
「よく分からないのですが……」
その意義については甚だ疑われていたが、シグルズは特に気にしなかった。
「では、各班、この水瓶の水面を詳細に監視せよ」
第88師団は数十の班に分かれ、各々が水面をひたすら眺めるという謎の作業に従事させられることになった。
○
「な、何も起こりませんね……」
ヴェロニカは困った顔で。この作業に指揮系統などを考える必要はないから、師団司令部は一か所に固まっている。師団の参謀や通信士が揃いも揃って水瓶を眺めているという異様な光景であった。
「まあ、僕らのところで何かが起こる確率は1パーセントくらいだからね」
「そうなんですか?」
「うん。まあ気長に待とう。何も起こらなかったらそれはそれで――」
「シグルズ様、第13班より報告です!」
「は、早いな」
少し離れた水瓶を見張っていた班から、水面が揺れ始めたとの報告が入った。それは一時のものではなく、断続的に揺れ続けているとのことだった。
シグルズの狙いは的中した。
「よし。全軍、第13区域に集結。ありったけの爆薬を持ってこい」
○
「じゃあ、オーレンドルフ幕僚長、頼んだ」
「任せてくれ」
水瓶の水が僅かに振動を続けている。その近くに第88師団は集結した。もっとも、全員を集める必要はなく、爆弾を扱える工兵隊に集まってもらった形になる。
「ではいくぞ」
オーレンドルフ幕僚長は魔法の杖を地面に向けて構えた。
そして力を込めて念じると、一塊の土が宙に浮かび、地面に小さな窪みが出来た。それを何度も続け、窪みは穴のようになっていく。そうしてオーレンドルフ幕僚長は地面を掘り進めた。
シグルズはそれを緊張した面持ちで注視していた。そして――
「師団長殿、見つけたぞ!」
「よし! 爆弾を突っ込め!」
オーレンドルフ幕僚長が離れると、工兵隊が穴に近寄って、火を付けた爆弾をその中に次々と投げ込んだ。鈍い爆音が連続して響き、穴の中から煙が噴き出した。
「まだだ! 念の為、もっと投げ込め!」
シグルズはその後も爆弾を投げ込ませ続けた。
「そろそろいいのではないか、師団長殿?」
「ああ。流石に、これで魔女も死んだだろうな」
「こんな方法で金堀攻めを破れるとは、驚いたぞ」
金堀攻めとは坑道戦のことである。
地中を進む魔女を直接観測するのは不可能であるが、こうして水瓶を埋めておくことで地中の振動を可視化し、観測を可能にしたのである。
今頃掘削に励んでいた魔女たちはバラバラになっていることだろう。穴のなかは絶対に覗きたくない。
○
一方その頃、ノエルの本陣にて。
「ノエル様! 掘削をしていた部隊が全滅しました!」
「何? 事故でも起こしたのか?」
坑道を掘っているときに地盤が崩落して工員が全滅したというのはよく聞く話だ。
「いいえ。ゲルマニア軍の攻撃です!」
「なっ、坑道を探し当てられたのか?」
「そのようです……」
塹壕を落とすにあたって必勝法だと考えられていた坑道戦術。それがたったの2回目にしてゲルマニア軍に破られてしまったのである。ノエルの衝撃は大きかった。
「どうやったのかは分かるか?」
「それはまだ……」
「――そうか」
どうやったのかについての分析も必要であるが、今はそれよりも坑道戦術が封じられたという結果の方が重要だ。理由が分かればその対策に対策することも不可能ではないかもしれないが、こんな敵地のど真ん中で研究をしている余裕はない。
「力攻めもダメ、坑道戦もダメ……じゃあ兵糧攻めはどうだい?」
ルテティアの戦いの時はクロエが食糧庫を砲撃して勝利を掴んだと聞く。
「それは無理です」
「どうしてだい?」
「ゲルマニア軍は食糧弾薬を市内の至る所に保管していて、町を全部焼き払わないと兵糧攻めは厳しいかと……」
「それは――まあダメだろうね」
ノエルは内心やる気でいたが、どうせ家臣に全力で反対されると悟って事前に取り下げた。
「だったら、こうしようかな」
「どうされるのです?」
ノエルは戦略家としても優秀だ。次に下すべき判断は分かっている。
○
ホノファーで休息を取っていた第88師団の元に、都市の物見からの報告が届いた。
「シグルズ様、敵が撤退し始めたとのことです」
「何だって? 本当?」
「はい。そういうことらしいですが……」
おかしい。ここまで来て撤退などというのは訳が分からない。ヴェロニカも自分で言っていて違和感を覚えたようであった。
そこで考えられることは一つ。
「撤退と言ったよね?」
「え、は、はい」
「どこに向かって? 西か、東か」
「た、確かめます」
撤退と言うのはホノファーから離れだしたということだろう。だがそれは戦略的な撤退を意味しない。ホノファーを捨て置いてブルグンテンに向かった可能性もある。そしてその公算の方が高い。
「東です! 敵は東に向かいました!」
「やっぱりか……ザイス=インクヴァルト司令官に怒られるぞ……」
ホノファーは確かに守り抜いた。だが足止めと言う役割は全く果たせなかったのである。
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