赤の魔女ノエル

「いや、特に知らないんだけど」

「ええ……いや、だって、低地地方の塹壕を落としたのは私だよ」

「そうなの?」

「あ、ああ……」


 ノエルは悲しそうに俯いた。もっとも、空に浮いている以上俯くとシグルズとちょうど目が合う感じになる訳だが。


「ああ、でも、この軍団を率いているのは君だよね?」


 この大軍団を誰が率いているか、シグルズは聞いたことがない。つまり今度は逆にカマかけてみたのである。


「あ、そ、そうだ! 私が直々に軍団を率いて攻め込んでいるんだ。恐れおののくがいい!」

「やっぱりか……」


 ――いや、本当にチョロいな。


 深刻そうな様子を装いながら、さらっと彼女が総司令官であるという情報を得たシグルズである。


「じゃあ、そんな君には力攻めをしないことをお勧めするよ」

「――どういう風の吹き回しだい?」

「お互い、無意味に死者が増えるのは好ましくないだろう?」


 無論、嘘である。ザイス=インクヴァルト司令官の戦略は帝都を戦場にするという大胆な案であるが、その為には帝都の防備が整うまでここで時間を稼がなければならない。


 シグルズはノエルが包囲に戦術を切り替えてくれることを期待した訳だが。


「死者が増えるのはあんたらだけさ」

「ほう? こんなに損害を出しておいて?」


 シグルズは塹壕に転がる数十の死体を指さした。


「そいつは威力偵察さ。本命は、この私さ」

「まさか、君一人で塹壕を落とそうとでも?」


 実際、ブルークゼーレの戦いでは彼女の手によって塹壕が落とされている。


「そうさ。さて、そろそろお喋りはお終いだ。消えてもらうよ!」


 ノエルは魔法の杖をシグルズたちに向けた。


「燃え上がれ!」


 杖の先端から視界を覆いつくすほどの炎が溢れた。酸素を奪い窒息させることを主眼においた低温で広範囲の炎である。


「残念だったな、少年」


 炎で満たされた塹壕を見下ろしながらノエルは呟いた。しかし――


「誰が残念だって?」

「何?」


 炎の中から少年の声が聞こえた。瞬間、炎はかき消され、中からは無傷の兵士たちが現れた。


「どうなってやがる……」

「ちょっと氷でみんなを守っただけだ」

「そんな大規模な魔法が……て、お前まさかシグルズとかいう奴か!?」

「え、そうだけど」

「マジかよ……」


 どうやらノエルはシグルズと知らずに話していたらしい。


「分かった。だったら全力でいかせてもらうよ。あんたを殺せばうちの大公は大喜びだろうからね」

「――受けて立とう」


 シグルズにとってもここで赤の魔女を殺害なり捕縛なり出来れば大手柄である。成功したらわざわざ帝都を戦場にする必要もなくなるだろう。


 シグルズは白い翼を背中に生やし、ノエルと同じ高度にまで飛び上がった。


「じゃあ、やろうじゃないか」

「ああ。これはお互いにとって意味のある戦いだ」

「そうかい。先手は取らせてもらうよ!」


 ノエルは先程とはうって変わって青白く細い炎をシグルズに向かって放った。高温かつ一人を焼き殺すことに特化した炎だ。


「その程度で僕が殺せるとでも?」


 炎はシグルズが縦のように生成した氷の壁に阻まれた。炎と氷の触れ合うところから凄まじい勢いで白煙が上がっている。


「チッ。じゃあ、もっとだ!」


 ノエルは炎の勢いを更に強め、より熱く集中した炎をシグルズに浴びせる。熱風は塹壕の中の兵士たちにも伝わった。氷の壁はみるみるうちに溶けていく。


「それもどうかな?」


 しかし、溶けた瞬間に壁は再生される。間欠泉か何かのように激しい水蒸気が上がるが、その分だけ氷が補充される。


 結局、赤の魔女の渾身の一撃も、シグルズに傷一つ付けることは出来なかった。


「無限に魔法を使えるというのは、本当なのか……」


 ノエルは魔法の杖を交換しながら呟いた。こんなに魔法を使えば、普通の魔女ならすぐにエスペラニウムを使い果たしてしまうものである。


「それで? それしか芸がないのか? 赤の魔女も大したことないな」

「この赤の魔女を、舐めるんじゃないよ」

「どうする気だ?」

「こうするのさ」


 ノエルはニヤリと笑うと、銃弾のような勢いでシグルズの遥か上にまで飛び上がった。


「上から狙う気か」

「そういうことさ!」


 シグルズの頭上から青い炎が押し寄せた。炎はたちまち視界を覆いつくす。一見するとシグルズがすぐにでも焼き殺されそうな状況であったが――


「だから?」


 シグルズは悠々と氷の壁を作り、いとも簡単に炎を防いで見せた。上から攻撃されようとやることは何も変わらない。ちょっと首が痛いくらいだ。


 ノエルはその後も延々と炎を出し続けた。しかしその炎がシグルズに届くことは決してなかった。


「はあ……そんなことなら諦めて帰ってくれないかな!」

「…………」


 返事がない。受け答えをする気を失くしたのだろうか。


「ちょっと? そろそろあきら――」

『シグルズ様!!』


 その時、耳元の魔導通信機からヴェロニカの悲鳴のような叫び声が聞こえた。


「な、何?」

『右です! 右!』

「右? っ!?」

「かかった!!」


 さった右を向くと、そこにはノエルがいた。いやそれどころではない。先程見せた猛烈な速さでシグルズに向かって飛び込んできている。その手には魔導剣。


 ――マズい!!


 壁を作るのは間に合わない。このままでは刺し殺される。

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