旧里帰農令

 ACU2310 3/21 メフメト家の崇高なる国家 ガラティア君侯国 帝都ビュザンティオン


 大八洲皇國とヴェステンラント合州国が熾烈な海戦を繰り広げている中でも、神聖ゲルマニア帝国と合州国が泥沼の戦争に足を突っ込んでいる中でも、メフメト家の崇高なる国家は平和であった。


 この日、シャーハン・シャーのアリスカンダルは諸将を王宮に集めて評議を開いていた。


「諸君は私に我が国の民草の生きざまを教えてくれた。まずはそれに感謝する」

「陛下、我らは臣として当然のことをしたまでです」


 アリスカンダルにビュザンティオン近郊の貧民窟の存在を教えたスレイマン将軍は、野太い声で言った。


「君主に異を唱えれる臣こそ最も優れた家臣。私はよい家臣を持ったものだな」

「過分なお言葉です、陛下」

「過分などではない。さて、謙遜合戦はこれで終わりだ。今回は帝国の内政に関して、ある案について討議するべく、ここに諸将を集めた」


 帝国では伝統的に内政と軍事の区別がない。将軍は政治家であり政治家は将軍なのである。シャーハン・シャーが軍を自ら率いるのもこの延長線上にある。


「それはどのような案でしょうか?」

「前々から存在はしていた考えだが、旧里帰農令だ」

「――なるほど」


 スレイマン将軍はその言葉を知っていた。元は大八洲が掲げていた政策である。


 旧里帰農令。


 都市部に集中した人口を地方の農村に返し、農業生産力を向上させようという政策である。帰農する際には国が補助金を出すのがこの案の特徴だ。


「確かに、上手く運べば都市部の貧民窟を減らし、荒廃した農村を復活させることも出来ましょう。しかしながら……」

「大八洲では失敗したと?」

「左様です、陛下」


 掲げていたというのはつまり、今はやっていないということだ。大八洲においても帝国と同様の問題は発生し、その解消の為に旧里帰農令を発したが効果は殆どなく、ほどなくして立ち消えとなってしまった。


「私が思うに、これは大八洲の体制に根本的な問題あるように思う」

「と、言いますと?」

「大八洲は大名によって細かく分割されて統治されている。その為、国家全体として統一した政策が取れない。それこそが原因だと考える」


 確かに、征夷大將軍が何かを命じたとしても、政策と言えるものは自領の中でしか行えない。上杉家の所領の外から村を捨てた農民が平明京に流れてきた場合、当該の大名が積極的に協力しない限り、彼を元の村に返す手段がないのである。


 そして大八洲の大名の仲はそこまでよくない。


「その点については、確かに我が国では解消されるでしょう。しかし、原因はその他にも多く考えられます」

「より根本的な問題――貨幣の浸透か」

「はい。その通りです」


 農民が都市部に集まる根本的な理由は金を儲ける為である。貨幣経済が農民にまで浸透しているこの世界では金を稼げなければ生きてはいけないが、残念ながら農民の収入はよいものとは言えない。


「で、あれば、農作物の値段を上げることとしよう」

「物価の統制をなさるおつもりですか?」

「ああ。農作物の価格が上がれば農民は農村でも十分に生きていけるだろう」

「しかし、それはそれで今度は買い手がいなくなってしまいますが……」

「そう、だな……」


 アリスカンダルも盲点だった。値段が上がればその分買い手が減る。このあまりにも当たり前の原理は、どの時代のどの場所でも有効である。


「ならば……農作物を我々が高値で買い、それをこれまでと同じ値段で売ればよいだろう」

「それは農村に無条件で金をばらまくということでよろしいですか?」

「ああ。せっかくだ。そのくらいはやってやらないとな」

「その財源はどのように確保されるおつもりで?」

「運上、冥加を上げるまでだ」


 いずれも都市部の市民から得られる税金である。


「都市部から吸い上げた金を農村に返す。そのような流れを造ろうというのですか」

「今思いついたことだが、そうなるな」


 富の再分配という国家の最大級の役目を、アリスカンダルは無意識のうちに理解していたのである。戦場に立つことを止めても彼の知性は全く衰えていなかった。


「試してみる価値はあるかと判断します。上手くいけば、我が国の構造は根底からひっくり返ることとなるでしょうな」

「そのくらいでなくては面白みがないではないか」

「流石は陛下」


 アリスカンダルの目に、僅かに光が戻った。


「それと、ジハード」

「はっ」


 アリスカンダルは白布で顔を覆った少女を呼ぶ。


「不死隊には交通の整備と農村の復興を手伝ってもらう。いいな?」

「はい。陛下の行くところに不死隊はついて参ります」


 地方を活性化するには道路の整備が一番手っ取り早い。また荒れ果てた農村の復興を魔法も使えない農民に任せるのは非効率だ。


 アリスカンダルの親衛隊である不死隊は、その禍々しい名とはまるで反対の事業に取り組むこととなった。もっとも彼女らの魔法の才はこのような場面でも十分に輝くだろう。


「私にも上手くいくかは分からない。だが、スレイマン将軍の言うように、暫くは様子を見てみようではないか」


 かくしてアリスカンダルは自らの能力を内政に使い始めたのだった。

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