鬼謀
ACU2310 3/21 アチェ島沖 ヴェステンラント艦隊旗艦
「は、はは、やったわ! 晴虎を殺した!」
黄公ドロシアは晴虎の船の残骸を見下ろしながら高笑いした。その姿は狂気すら感じさせるものであった。
「やりましたね、殿下」
彼女の最側近、合州国では数少ない常識人のラヴァル伯爵は静かに褒めたたえる。
「ええ。これで合州国を拒む愚か者は死んだ。これからは有色人種全員を合州国の奴隷にするのよ」
「それは……」
大八洲の体制は脆い。征夷大將軍が急死などしてしまえば、たちまちにその家督争いで混乱の渦中に陥るだろう。或いは戦国時代の再来にすらなるやもしれない。
それに東亞の諸国に対する求心力も低下するだろう。そうなれば小国を刈り取っていくのはヴェステンラントにとって容易いことだ。単体でヴェステンラントに対抗出来る国は大八洲皇國以外に存在しない。
「しかし、前時代的な衝角戦術が有効だとは思いませんでした」
「まさかこんなことをしてくるとは、誰も思わないでしょうね」
衝角とは船の先端に取り付けられた角状の突起のことである。敵船に正面から突撃すればこの衝角が船底に大穴を空ける。大砲などが発明されていなかった時代では船を直接沈める殆ど唯一の手段であった。
近代になっては数々の飛び道具の発明により日の目を見なくなっていたが、だからこそ、ある筈のないそれへの対策など誰もしていなかったのである。
「もっとも、次は大八洲勢も対応を考えてくるでしょうが……」
「次? もう晴虎は死んだのよ? 合州国に逆らう者は――」
「殿下!!」
船に数か所設置された見張塔。その兵士がドロシアを呼びつけた。
「何よ? つまらないことだったら殺すわよ?」
「あの旗をご覧下さい!」
「旗? あれは――!」
大八洲の艦隊の中から、見覚えのある旗が立てらえれていた。それは合戦の際にいつも天高く掲げられている白い旗である。
「何だっけ? かかれみだら……」
「懸れ乱れ龍の旗です」
「そう、それよ。で、それが何であそこに?」
確かめた訳ではないが、あれは晴虎がいる本陣からしか上がらない筈だ。その本陣は今さっき海中に沈めた筈であるが――
ドロシアは非常に嫌な予感がしてきた。
「晴虎が生きているとでも?」
「それは、その……」
「さっき沈めた船が囮だったとでも?」
「そうなのかも、しれませんね……」
確かに先程沈めた船が晴虎の船であるとは誰も言っていない。明らかに大将が乗る豪華な船であったし、明らかに大将が陣取っているべき場所にいて、大将に相応の護衛に守られてはいたが、それが晴虎の大将船であった保証はない。
晴虎が事前にこれを予期しあらかじめ囮を用意していたとすれば、全ての辻褄は合う。
「敵船、こちらに迫っております!」
「それは、そうなるわよね……」
懸れ乱れ龍の旗が示すのは突撃。その目標となるのは完全に艦隊から孤立したこの船に他ならない。
「急速回頭! 迎え撃ちなさい!」
「無理です! そんな素早くは動けません!」
魔法をふんだんに使うことを前提にしたこの戦闘艦。前進だけならそれなりの速度で出来るが、旋回性能は普通のガレオン船の比ではない。一言で言えばゴミカスである。
「だったら総員、白兵戦用意!」
この大きさだ。船内には二千近い兵が収容されており、武器弾薬もたっぷりある。コホルス級の魔女もその中には含まれているし、レギオー級の魔女に至っては2人もいる。
白兵戦で負けるなどということはあるまい。
○
ACU2310 3/21 アチェ島沖
晴虎の本陣にて。晴虎はヴェステンラントの大船が無理やりにでも彼を殺しにかかってくることを予見し、予め別の船に本陣を移してあった。この周囲となんら変わらない普通の安宅船が大八洲艦隊の本陣である。
因みに、囮に使ったのは晴虎がこれまで本当に使っていた大将船である。
「宇佐美、あの船を正面は避けながら囲め。いくら大船でもたったの一隻では抗えまい」
「はっ」
大船は大八洲の船に大きな損害をもたらしたが、一方で突然後ろから攻撃を受けた――裏切られたヴェステンラント軍、特にマジャパイトの艦隊は士気を大きく減じている。全体として大八洲勢が優勢なのだ。
そこで晴虎は主力艦隊から若干の船を引き抜き、大船への攻撃を行おうとしていた。
○
「射よ! 息つく暇を与えるな!」
万全を期して晴虎が直接指揮する船団。大弓の射程を完全に把握している晴虎は、矢が届くか届かないかのまさに境界線上でその命令を下した。
「これで、敵は手も足も出せませんな」
「手を休めるでないぞ、宇佐美」
「はっ」
大八洲の爲朝弓とヴェステンラントの魔導弩。武器自体の性能にさほどの差はないが、訓練が行き届いた大八洲の武士は射程を自在に調節することが出来る。それ故にこのような芸当が可能になるのだ。
大船を数千数万の矢が襲う。甲板に限らず船体のそこら中に矢が突き刺さり、大船はさながら針鼠の様相を呈しつつある。
「晴虎様、どこまでやられますか?」
「このまま距離を詰めよ。その後、あれを沈める」
「沈める、のですか?」
「そうだ。沈めるのだ」
「どうやら策がおありのようで」
晴虎の艦隊は矢を射る手を一切休めないまま、大船を囲い込んでいった。
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