ヴェステンラントの大船

「う、動いた! 晴虎様、動きました!」

「何がじゃ?」

「あの、ヴェステンラントの大船です!」

「ほう……」


 ついにその大船は動き出した。一体何が起こるのだろうかと、大将船の諸将に緊張が走る。晴虎を除いてだが。


 始めは僅かに波を立てるばかりであったものが、次第に速度を増していき、海を割らんばかりの勢いを以て前進し始める。


「大将船に向かうか」

「そのようですな……」


 目標は明らかに大将船、もっと言えば晴虎だろう。


「だが、味方の船が邪魔で動けまい」

「た、確かに……」


 ヴェステンラント艦隊の最後尾にある大船と、大八洲艦隊のほぼ最後尾にある晴虎の船。両者の間には数百の大小の船がひしめき合い、とても突破出来るような状態ではない。


 この船の群れを迂回して向かうという手もなくはないだろうが、そんな分かりやすいことをされれば晴虎は下がるだけであるし、そもそもそんな機動力があの船にあるとも思えない。


「で、では、どうされますか、晴虎様」

「待てばよい。機は必ず見えてこよう」

「はっ」


 この不気味な動きにも晴虎は動じず、ただ待つことにした。何も出来ない筈なのに動き始めた目的については未だに読み切れないからである。


 しかし、結論から言えば、この判断はあまりよいものではなかった。


「晴虎様、敵船、更に速さを増しております!」

「何?」


 前方の混沌を気にもしない様子で、大船は加速する。


 晴虎の予想外の出来事。一瞬だけそれを顔に出してしまったのは諸将に伝播し、不安が増幅していく。


 このまま進めば当然、あの大船は味方にぶつかる訳だが――


「な、何だあれは!?」「味方を沈めたのか……?」「乱心――なのか?」


 大船は一隻のガレオン船に後ろから激突した。するとガレオン船はあっという間に傾き、異常な速さで轟沈した。まるで船底を丸ごと吹き飛ばされたような、そうでないとあり得ないような沈みようである。いくら堺の大筒と鉄砲とて、こんなことは出来ない。


 その後も大船は次々と味方の船を沈めながら突撃してきた。


「晴虎様!」

「麒麟隊と朱雀隊に止めさせよ。鉄甲船を前に出せ」

「はっ!」


 ○


「まったく、どうなってるのよ……」


 大船に真正面から立ち向かう羽目になったのは長尾右大將曉である。


「まさか裏切りかしら?」

「そうであったら嬉しいですが……」


 もしかしたら、あの大船を任されていた将軍が裏切りを決意して暴れまわっているのかもしれない。


「ないでしょうね」

「ええ」


 第一に、あんなやばいものにそんな忠誠心の薄い将軍を乗せたりしない。第二に、裏切り者がどうなるかは既に晴虎が示している。そして第三に、裏切りのならばそれなりの合図を出す筈だ。


 このような状況証拠を組み合わせれば、まあ裏切りなんてものではないと推定出来る。


「しかし、どうされますか、右大將様」

「そうね……もったいないけど、適当な安宅船を鎖で繋いで、あれへの壁にしましょうか」

「よろしいので?」

「ええ。晴虎様の御身に何かあってからでは遅いわ」

「承知しました」


 三隻の安宅船を鎖で繋ぐ。そうすれば大船と重さは同じくらいだ。これを大船にぶつけ、まずは動きを止める。その後でたっぷりといたぶればいいのである。


「まもなくぶつかります!」

「ええ」


 敵味方の区別なく沈めながら猛進する大船。それがついに麒麟隊と激突する。


「さあ、どうかしら?」


 木が軋む音、砕ける音、海上ではまず聞くことのないであろう音が響いた。


 曉の計算は合っていたようで、大船と三隻の安宅船はちょうど釣り合って押し合っている。突撃は止まったのだ。


「やはり……このまま大船を囲んで、滅多打ちに――」

「右大將様!」

「な、何よ?」


 作戦が上手く進行しつつあるところで水を差された。


「あれは押し合っているのではございません!」

「は?」

「ご覧下さい! ほら!」


 その瞬間、安宅船は裂けた。縦に真っ二つである。その残骸を突き破り、大船は突撃を再開する。


「ど、どうなってるの!?」

「分かりませぬ!」


 百歩譲って船体の半分が削られるというくらいならば理解出来る。が、船が真っ二つになるというのは全くもって理解出来ない。


「な、何としてもあれを止めるのよ! 突っこめ!」


 最早作戦などなかった。


 麒麟隊や朱雀隊は無我夢中で大船に体当たりを敢行したが、その悉くは蠅を散らすように追い払われ、大船の勢いが衰えることはなかった。多少損害を与えてもそれはすぐに修復されてしまう。


 船が破壊される音が響き渡る。大八洲勢はたった一隻の船を相手に多くの船を大破させる羽目になってしまった。無残な姿になった数十の船が水面に転がる。


「右大將様! どうにもなりませぬ!」

「こ、こんなものに……」


 麒麟隊はついに突破された。後に残るは晴虎の僅かな供回りのみ――ではない。


「いえ、まだ鉄甲船が残っていたわね」

「は、はい」

「……癪だけど、あいつらに頼むしかなさそうね」


 そんなことは滅多に起こるものでもないが、船同士の体当たりならば鉄甲船は最強だ。船体は堅く重い。


 曉は追撃の無意味なのを悟り、九鬼水軍に晴虎の命運を預けることにした。非情に不愉快ではあったが。

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