閑話 大八洲皇國の歴史

概説

 大八洲皇國は世界で最古の国家である。その建国は古代レモラ帝国が建国された百年と少し後、ACU104年のことである。ここで言う建国とは、初代治天下皇御孫命である神聖じんしょう帝が即位した時を指す。


 大八洲は始め、八つの大きな島を領土としていた。それ故に大八洲と呼ばれるようになった。この領土は、地球で言うところの日本から北海道と沖縄を除いたものに相当する。


 大八洲は皇御孫命を中心とした中央集権的な政権を確立すると、まずは東へと領土を拡大。蝦夷地(北海道)まで勢力を伸ばした。


 次に大八洲は北西の潮仙半嶋(朝鮮)に目を向けた。建国より三百年。初めての海を越えての軍事行動が始まる。所謂潮仙征伐である。


 当時は超大国であった唐土(中国)は中立を保った。結果、国力で圧倒的に優勢である大八洲は潮仙の小国を次々と滅ぼし、数年のうちに唐土との国境までの半嶋を完全に制圧。半嶋にいくつかの國を設置し、大八洲の版図として組み込んだ。


 ここまでが大八洲の黎明期とされる。


 この時点までで大八洲の領土となった地域を大和國と呼ぶ。後には内地とも。大八洲は早々に島国ではなくなった訳である。


 その後は平和な時代が続いたが、変化が起きたのはACU1600年ごろ。鬼石と呼ばれる不思議な力を持った石を扱うことを専門とする者が、独自の権力を持ち始めたのであり。


 この頃から朝廷や貴族の単なる兵士ではなくなった彼らは、武士と呼ばれ始めた。武士は次第に要求を激化させ、やがて朝廷に匹敵する自らの政権を作った。武家政権の始まりである。最初の武家の棟梁となったのは源家であった。


 時は下ってACU1900年頃。大陸で急速に勢力を拡大する遊牧民族である大元國が唐土の王朝を壊滅させ、ついにその矛先を大八洲に向けたのである。


 武家の棟梁として君臨していた源家は大八洲の全ての武士をかき集め、大元國との壮絶な戦争に突入した。潮仙半嶋を舞台とした一大戦争である。


 結果としては、大八洲は国を守り切った。大元國と大八洲皇國は正式に和議を結び、両国の間には平和が訪れた。もっとも、次第に衰退し始めた大元國と唐土の諸王朝との闘争は継続する訳だが。


 その後、大元國はその後唐土から追い出され、今や北の大地で細々と政権を維持するのみである。


 さて、戦争に勝ったとは言え大八洲も問題を抱えていた。防衛戦争であった為に新たな土地も金も何も得られず、大量に動員した武士に与える十分な褒章を、源家は確保出来なかった。


 それが原因で最初の武家政権は崩壊。源家は政権を失い、代わりに平家の時代が訪れた。束の間の平和が訪れたが、これもいつまでもは続かなかった。


 ACU2100年頃。長い統治の中で徐々に力を失った平家政権は完全に瓦解し、所謂乱世が訪れた。


 或いは独立した守護、或いは守護を倒した実力者。己の生存をかけた戦いが、大八洲の各地で繰り広げられた。彼らは大名と呼ばれるようになる。


 その中で乱れた天下を再び統一しようとする者も現れた。最も天下に近いと言われたのは、越後の上杉家と潮仙の武田家である。


 越後の守護であった上杉は、長尾家などの優秀な家臣団と共に甲斐や信濃、美濃や尾張を次々と制圧し、秋津洲(本州)では比類なき勢力を築き上げた。


 元より潮仙で最大の勢力を誇っていた武田家は、乱世を機に勢力を拡大。同盟国であった今川家を除く殆どの大名家を滅ぼて半嶋を統一し、大和國では最大の勢力を築き上げた。


 国力では武田に利があった。だが、都が海を越えた先にあるというのは大いに不利に働いた。都を押さえ大名から大八洲の支配者と認められたのは上杉の方であった。


 当時の上杉家当主、上杉四郞胤虎は征夷大將軍となり、名実ともに大八洲の支配者となった。ACU2236年のことである。


 だが大八洲はこれで飽き足らなかった。彼らは次に、隣の大国、唐土に目を向けた。


 ACU2259年。家督を継いだ昭虎は唐土征伐を決意。二十万の大軍を率い唐土への出兵を開始した。


 長年の戦で鍛えられた大八洲の武士に唐土の兵士は太刀打ちも出来ず、ACU2262年には唐土の全ての政権が降伏し、唐土は完全に大八洲の版図に加えられた。


 唐土の東海岸や要地は上杉の直轄領となり、多くの土地が大八洲の大名に加増され、残った唐土の貴族は新たな大名として支配体制に組み込まれた。


 大八洲はその後に行われた邁生群嶋(フィリピン)征伐で更に領土を拡大。ここに今に至る大八洲皇國が完成した。ここで新たに加えられた領土を外地と呼ぶ。


 だが、この偉業を成し遂げた途端、昭虎は急死。若き晴虎が新たに家督を継ぐこととなった。ACU2296年のことである。この時晴虎はまだ十歳であった。


 これまでの当主とは打って変わって神仏に帰依し、義を唯一の行動原理とする晴虎は、一切の対外的な行動を停止した。もっとも、ガラティアや北元國(大元國)の残党などとの散発的な衝突は絶えなかった。


 しかし、これらの戦いを神がかり的な采配でことごとく勝ち抜いた晴虎は、軍神との評判を得ることとなる。


 だが、自らは手を出さないという姿勢は仇となった。新興国ヴェステンラントの東亞侵略を半ば黙認してしまったのである。


 もしも晴虎が早期にヴェステンラントと戦を始めていたら、世界の歴史はまた変わったものになっていただろう。

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