ヴァンガの戦い

 ACU2302 6/12 大八洲皇國-ガラティア帝国国境地帯 ヴァンガ


 時に晴虎が家督を継いだ六年後。彼がまだ齢十六の若者であった頃。ゲルマニアとダキアが開戦する七年前。


 シャーハン・シャー・アリスカンダルの指揮の下、破竹の勢いで勢力を拡大するガラティア帝国は、ついに大八洲皇國と国境を接した。それはトリツ(インド)の北東部、ヴァンガの地であった。


 更に東への勢力拡大を試みるアリスカンダルと、東亞の民を守ろうとする晴虎。両雄の対決は不可避であった。


「晴虎様、敵の兵はおよそ八万とのこと」

「うむ」

「敵は中央に魚鱗の陣を敷き、左右に騎兵を並べているようです」

「相分かった」


 魚鱗の陣とは部隊を三角形に並べる陣形である。正面衝突に強いが、側面や後方から攻められると途端に崩れるという特徴を持つ。


 ガラティア帝国の歩兵は、ファランクスと呼ばれる重装歩兵である。魔導装甲を応用した盾と長槍で武装した、戦象のような破壊力を持つ恐るべき部隊だ。


「では、我らも同じ陣を敷こうぞ。騎馬隊を側方に固め、中央では方円を敷け」

「はっ」


 方円とはその名の通り部隊を円形に配置したものであり、全方向からの奇襲に対応出来るが一か所への集中攻撃には弱いという特徴を持つ。本来ならばこのような会戦で用いるべき陣形ではない。


 また騎馬隊に武田樂浪守信晴と嶋津薩摩守昭弘のそれが充てられることとなった。どちらも唐土征伐を勝ち抜いてきた英雄である。


「晴虎様、陣を敷き終えました」

「うむ。暫くは物見じゃ。兵は休ませておけ」

「はっ」


 晴虎は基本的に、自らが先手をしかけるのを好まない。相手の出方を待ち、それに最も適した戦術を取るのが彼の軍法である。先手必勝という言葉は、彼には似合わない。


 ○


 さて、両軍睨みあうことおよそ三時間。


「晴虎様、敵が動き出しました!」

「で、あるか」


 どうやら敵は、中央の歩兵と騎兵を一緒に進めるつもりらしい。至極単純な突撃である。


「敵の狙いは、我らを騎馬と歩兵にて挟み撃ちにすることにある」

「そ、そうなのですか……?」

「で、あろう。なれば、我らはこれに気付かぬふりをして、彼の者どもをおびき出すのだ」

「と、言いますと……」

「我に従っていればよいのだ。我を信じよ」


 晴虎には既に勝利までの道筋が見えていたのである。


 ○


 一方その頃、アリスカンダルの本営にて。


「騎馬隊は敵に背後に回り込め! ファランクスはこのまま敵とぶつかるぞ!」


 褐色と青の目を持った大王、アリスカンダルは声高に命じた。


 この頃のアリスカンダルはまだ気概に溢れていた。この時はまだ幼少であったジハードが憧れていたのは、この姿である。


 アリスカンダルの取ろうとしている作戦は、まさに晴虎の予言した通りの作戦である。ファランクスで敵の主力とぶつかり、その間に騎兵が背後に回り込んで敵を挟み、それを叩き潰す。鉄床戦術というものである。


 だが今回の敵は一味違った。


「陛下、敵もまた、騎兵を繰り出してきております」


 この時既に老境に差し掛かっていたスレイマン将軍は言った。どうやら大八洲軍の方も同じようなことを考えているらしい。


「そうか。やるではないか。ではこうしよう。騎兵は敵の騎兵と当たり、足止めをせよ。その間、我らのファランクスが敵の本隊を撃滅する」

「仰せのままに」


 つまり、歩兵が歩兵と、騎兵が騎兵と戦うという、何の捻りもない正面からの戦いをしようというのである。


「敵は方円の陣を敷いているようですが」

「ふっ、何を考えているのだか」


 方円は正面衝突には適していない。戦っている正面以外の部隊が完全な遊軍となるからだ。それに対してファランクスは一正面での戦いに特化した陣形。


 どちらが勝つかは明白である。


「突撃せよ! 我らの戦を思い知らせてやれ!」

「「「おう!!!」」」


 歴戦の強者がそろった帝国軍。アリスカンダルは勝利を確信していた。


 ○


 しかし歯車は狂った。まもなく両軍の本隊が接触しようとした時のこと。


「陛下、敵の騎兵は、我らの騎兵を迂回しています!」

「何だと?」


 大八洲の騎兵はガラティアの騎兵を無視し、一直線にファランクスの背後に向かっているという。


「無理にでも挟撃しようという腹か……なれば構うまい! 我らも敵の騎兵を捨て置き、敵の背後に回り込め!」


 両軍ともに防御を捨てた殴り合いである。大損害が出ることが予想されたが、ここまで来て退くことは出来なかった。


「ファランクスよ、突っ込め! 我らの勝利は堅い!」


 両軍の歩兵と騎兵は鏡写しのように動いている。ただ異なるのは、大八洲側が正面からの戦いに適していない方円を敷いていること。


 ――この勝負、もらった。


 アリスカンダルは勝利を確信した。


 だが、その自信はあっけなく崩れ去ることとなる。


「な、何だあれは……?」

「回転している?」


 敵の方円が突如として回転し出した。その直後、両軍は激突する。


「て、敵の勢い凄まじく、我が方は押されています!」

「何だと!?」


 だが無敵のファランクスが押されていた。


 数分の観察を経て、アリスカンダルは理解した。


 これは防御の為の陣形などではない。方円に見せかけて、部隊を回転させながら代わる代わるぶつける――波状攻撃をしかける陣なのだ。


「騎兵の状況は!?」


 一縷の望みを騎兵にかける。あの複雑な陣形、背後からの攻撃には対応出来まい。しかし――


「騎兵隊も反撃を受け、押されております!」

「う、嘘だろ……そんな真似が……」


 何と、前方で戦った部隊が後方でも戦っているらしい。円を同時に二か所で開く。それほどまでに高度な采配を人間が出来るとはとても思えないが、事実としてそれが目の前で起こっていた。


「敵の騎兵です! 背後が食い破られつつあります!」

「こ、これまでか……」


 一方の帝国軍は敵の騎兵に全く抗えなかった。


 ファランクスは背後からの攻撃には弱い。歩兵も騎兵も圧倒され、帝国軍はたちまち崩壊。撤退を余儀なくされた。


 ○


「しかし、車懸りの陣を前後に向けて使われるとは、晴虎様の軍才にはただただ感涙するばかりにございます」

「何、大したものでもない」


 車懸りの陣は普通は一方向に向けてしか使われない。だが晴虎はそれを改良し、どの方向にも波状攻撃を行えるようにしたのである。無論、晴虎に匹敵する才がなければ、それを使いこなすことは不可能だ。


「これで民の安寧は守られた。毘沙門天の御加護のお陰じゃ」


 これ以降、ガラティア帝国が東進を志すことはなかった。また同時にアリスカンダルのやる気がなくなった。

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