シャーハン・シャーの関心

 ACU2309 10/20 メフメト家の崇高なる国家 ガラティア君侯国 帝都ビュザンティオン郊外


「ここは活気がないのだな……」

「はい。都市部から外れれば、貧しいものが大勢おります。寧ろ、都市の周辺こそ浮浪者は集まりやすいものなのです」


 シャーハン・シャー・アリスカンダルの重臣、西方ベイレルベイ、スレイマン・イブン・アイユーブ・アル=ビュザンティオニー将軍は言った。


 東西貿易の中継地点である帝都ビュザンティオンは華やかな都だ。対して、数十分ほど歩いたに過ぎない外縁部には、家すら持てないような貧しい民がたむろしていた。


 シャーハン・シャーとして戦いに明け暮れてきたアリスカンダルにとっては、これは新しく学ぶ知識である。彼は内政に関しては凡庸な君主程度の能力しか持たなかった。


「何故に彼らはここに集まるのだ?」

「都市に来れば仕事にありつけると思っていたのでしょう。ですが現実にはそのような成功は極僅かで、大半の者は故郷にも帰らずここでその日暮らしの生活を送っているという訳です」

「そう、か……」


 その説明で十分である。アリスカンダルの理解力は常人の比ではない。


「しかし、私と同じような顔をしている者が多いな……」

「……陛下のような異なる色をした双眸を持った人間などそうはいないと思われますが……」


 スレイマン将軍には分かっている。アリスカンダルの言っている「顔」が、形質の問題ではないということも。


「そういう意味ではない。分かっているだろうに」

「――陛下がそのようなご様子では、国も治まりません」

「それも、そうかもな……」


 皇帝や国王というのは少なからず品格というものを持っているものだ。それは身なりや供回りがなくとも発揮されるものである。独特の空気、とも言えるだろう。


 だがアリスカンダルにはそれがなかった。こうして庶民と同じような格好をしていれば、誰も彼をシャーハン・シャーだと思いもしない。歴戦の軍人であるスレイマン将軍は少々目立っていたが、用心棒程度に認識されて、注目はされなかった。


「それで、どうして私をこんなところに?」

「陛下には、この国が未完成のものであると知って頂きたい」

「随分なことを言うではないか」


 君主に向かって彼の国が不完全だと言い放つなど、暴言もいいところだ。


 だがスレイマン将軍にはそれを言うだけの気概があったし、アリスカンダルにはそれを咎めるだけのやる気はなかった。


「ご無礼をお許し下さい。しかし、これらの民は、故郷が困窮しているが故に都に出てきているのです、それは我が国の繁栄が表面的であることを示しています。ここまで申し上げれば、陛下なればお分かりになるでしょう」

「ああ。分かるさ」


 結局、ビュザンティオンやレモラの繁栄は、都市部に富が集中しているだけなのだ。それ以外の地域に目を向ければ非常に貧しい生活を送っている者も数多い。この不釣り合いな状況を打開すべきだと、スレイマン将軍は言うのである。


「加えて、我が国の富は主に中継貿易の差益によって支えられています。これもまた、是正すべきです」


 ガラティアにおける自国での工業生産は伸び悩んでいる。これは危うい状況だ。万が一にも大八洲やゲルマニアと開戦した場合、この利益が一瞬にして消滅する可能性すらあるのだ。


「つまりは、こう言いたいのか。都市部のみに富が集中する状況を正し、富を再分配し、村落を栄えさせることで生産量を底上げせよ、と」

「……流石は、陛下……」


 とても数十分前まで貧民窟の現状すら知らなった人間の推論とは思えなかった。一を聞いて十を知るとは、きっと彼のような者を指すのだろう。


「だが、それが何だというのだ?」

「何、と申されますと……」

「私が知って何になる。内政など重臣に任せておけばよい。それこそお前のような者は、帝国には大勢いる」

「陛下が関心を持たれなければ、国は変わりません! 重臣に出来ることなど、今この現状を維持することくらいなのですから」

「だったら、それは私の仕事ではない。私の次のシャーハン・シャーに頼むことだ」


 アリスカンダルは僅かに気が立っていた。やりたくないことをやれと言われたことに対する、子供っぽい反感である。


「その時には、私はとうに死んでおりましょう」

「――それもそうか……」


 くだらないことに笑い、そして再び無関心に戻る。


「ん? あれは死体か?」

「そのようですな」


 その時、道の端に死体が転がっているのが見えた。十中八九、飢えで死んだ者だろう。


「殺人か。邏卒は何をしているのか……」


 だが、アリスカンダルに餓死という考えは浮かばなった。彼の中でそれは、外征の途中で補給が途絶えた時以外には生じ得ないものだったのだ。


「いえ、陛下。彼は間違いなく、飢餓によって死に至った者でしょう」

「何? ……そうか、罪人という訳か」

「いいえ。違うでしょう。第一、罪人は刺青を入れられる筈では?」

「そ、そうか。では違うな。では、何だ……」


 アリスカンダルは考え込む。が、一向に答えは出てこなかった。


「スレイマン将軍は分かるのか?」

「はい。彼は単に、自らの分の食事も手に入れられず、死んだのでしょう」

「何だと? そ、そのような者がいるのか?」


 アリスカンダルは動揺した。戦争も略奪もない平和な状況下で餓死者が出るなど、彼は思っても見なかったのだ。


「こ、これは普通のことなのか?」

「普通とは申しませんが、このような場所を探せばすぐに見つかるでしょうな」

「そう、なのか……」


 戦争と病以外にも死がある。アリスカンダルは初めてそれを知った。


 彼の更に色を失った顔を見て、スレイマン将軍は今回の目的が果たせたと判断した。アリスカンダルに帝国の現況を見せるという目的だ。


「陛下、お気分を害されたものかとお見受けします。今日はこの辺りで切り上げましょう」

「そ、そうだな。帰ろう」


 アリスカンダルの心は今、歯車を回し始めた。

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