伊達の味方撃ち

「申し上げます! 今川辨辰守様、討ち死になされました!」

「何? 今川が?」


 晴政の元に舞い込んできた報せ。それは隣で戦っている大名が討ち死にしたという驚くべきものであった。


「本当か? とてもそうは見えぬが」


 今川軍が崩れている様子はない。至って優勢に戦闘を継続しているではないか。


「確かな報です! シャルロットと名乗るヴェステンラントの女侍が、単身で今川殿を討ち取ったとのこと!」

「奴か……」


 それで合点がいった。奴なれば、前線の兵士が気付かぬ間に大将を殺すことも不可能ではない。


 暫くして。


「申し上げます! 今川勢、崩れております!」

「今頃か?」

「はい! ヴェステンラント軍が攻めかけて参りました!」

「――なるほどな」


 現状維持ならば大名がいなくても何とかなっていた。だが一度全体の連携が必要な場面になると、頭を失った肢体は霧散するのみ。


 兵力はまだ大幅に劣っている。七万人も殺すなんていうのは不可能だ。少しでもヴェステンラント側に勢いが付けば、あっという間に壊滅する恐れすらある。


 そしてそれは同時に、崩れた今川勢が伊達勢に向かって雪崩れ込んでくるということも意味している。


「おいおい、まずいんじゃないか、兄者?」

「ああ。このままでは釣り野伏せは崩れ、伊達にも大きな損害が出る」

「だ、だったらどうするんだ?」

「……撃つのだ」

「な、何だって?」

「今川の兵を撃つ! 伊達の兵法に、敵味方の別はない!」


 このままでは全てが終わってしまう。共崩れは避けねばならない。そうなるくらいなら、今や邪魔でしかなくなった今川勢を滅するのみ。


「しょ、正気か!?」

「ああ。俺は正気だ」

「源十郎も何か言ってやってくれ!」

「晴政様の御命令に、おかしなところは何もございません」


 この前晴政が味方を撃とうとした時、源十郎は断固として反対していた。だが今回は逆に晴政の方についた。


「ど、どういうことだ?」

「これは大八洲が勝利と伊達の将兵が為の軍法。邪魔立てする者には容赦は出来ませぬ」

「な、何だかよく分からんが……」


 しかし、あの源十郎が大真面目に言っているのだ。間違いはないだろうと、成政は思った。


「わ、分かったぜ、兄者! で、どうすればいい」

「成政はヴェステンラントの相手をせよ。俺は馬廻りを連れて今川の兵を撃つ!」

「承知!」


 ○


「ここは負けじゃ! 皆、退け!」


 ヴェステンラントの攻めに耐え切れず、総崩れになりつつある今川軍。無秩序に逃げ惑ううちの一隊は、気付かぬうちに伊達の持ち場に近づいていた。


「お、おい! あれは伊達じゃないのか!?」「どうしてこっちに弓を!?」「撃ってきたぞ!!」


 単なる群衆と化した今川の兵に、伊達の矢が降り注ぐ。今川の兵士は次々と倒れていった。


 この攻撃により、今川家の重臣を含む多大な死傷者が出た。後世、伊達の味方撃ちとして知られる事件であった。


 ○


 今川に共崩れにされることは防いだ。だが、今川家が抜けた穴を防ぐことについてはいかんともしがたく、包囲網は破られつつあった。


「兄者! 北條も頑張ってるようだが、そろそろ支えきれなくなっちまう!」

「ここは耐えよ! ここさえ守れば我らの勝ちだ!」

「クソッたれ! やってやろうじゃねえか!」


 両軍、獅子奮迅の戦い。大八洲は必死で包囲網を維持しようと試み、ヴェステンラントは必死でそれを突破しようと試みる。


 だが、多勢に無勢であったのは大八洲側であった。晴政、晴氏による奮闘も、やがては数に押し切られてしまう。


「破られたぞ、兄者!」

「大八洲の雑兵とは訳が違うか……」


 ヴェステンラント軍は包囲網を抜け出した。その瞬間、晴政は敗北を悟った。


 ○


「このまま包囲を突破! 敵の左翼を壊滅するのよ!」


 ドロシアは号令する。


 ヴェステンラント兵の勢いは復活し、崩れかけの大八洲兵に襲い掛からんとしていた。だが、その時だった。


「で、殿下! 前方から新たな敵部隊が出現しました!」

「数は!?」

「およそ2,000です!」

「……このまま押し切りなさい! その程度の兵ならば、数で押しつぶせるわ!」


 今のヴェステンラント軍には勢いがある。逆境を切り抜け、これから戦果を上げようとする勢いだ。その勢いの前に、たった2,000の兵が何かを出来る筈がない。


 だが、一当たりした瞬間、ドロシアは理解することとなる。


「お、押されています!」

「は? どうなっているのよ!」

「わ、分かりません!」


 荒波のごとくあった筈のヴェステンラント軍は、堤防にでもぶち当たったかのようにあっさりと崩れた。その神がかり的な采配は、軍神の名を嫌でも思い出させる。


「で、殿下! お下がりを! 敵が来ます!」

「下がるって、包囲の中じゃない!」

「仕方がありません!」

「……まさか、晴虎が自ら……」


 前線の兵を蹴散らしながら一直線に突撃する大八洲の部隊。たちまちヴェステンラント軍は押し戻され、唯一の反撃の機会を失った。


「シャルロット! もう一回同じことをやって!」

「無理よ。だって、もう大名はみんな本陣を固めちゃったもの」

「どうしてあんたの存在を知らせたのよ!?」

「だって、その方が私に怯えてみんな退いてくれると思ったんだもの」

「あー、使えないわね……」


 ここに至って本当に万事休す。ヴェステンラント軍はただ蹂躙されることしか出来なかった。


 ここに、セリアンの戦いの勝敗は決した。

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