軍事的な行動とは何ぞや

 ACU2309 10/1 ルシタニア王国 王都ルテティア・ノヴァ


「クロエ様、前線の物見から、ゲルマニア軍が塹壕の設置を再開しているとの報告が入っております」


 マキナは淡々と告げた。


「そう、ですか。これは問題ですね……」


 半年の間は双方一切の軍事的な行動を取らないと、クロエとザイス=インクヴァルト司令官は約束した。にも関わらず、1ヶ月も経たないうちにゲルマニア軍は約定を破り、塹壕を掘り始めたという。


 ヴェステンラント軍は律儀に条約を履行していたというのにこの仕打ち。これは早急に手を打たねばならない。


 ○


「クロエ様、武人の誇りを捨てた裏切り者には相応の罰を与えねばなりません。今すぐに攻撃をしかけるべきです!」


 スカーレット隊長は机を叩きつけながら言った。


「作業中のところをですか」

「はい。武人ですらない者共に容赦をする必要はありません!」

「そうですね……」


 向こうから条約を破ってきているのだから、こちらが奇襲をしかけたところで何の問題もない。スカーレット隊長はやる気満々のようだが、それは検討を要する。


「一応、ゲルマニア側に確認すべきだと思いますが――」

「そ、そんなことをしていては、敵が堂々と戦いの準備を整えてしまいます。直ちに攻撃を!」

「落ち着いて下さい、スカーレット」

「――申し訳ございません」


 確かに、ゲルマニアが本気で条約を破っているのだとしたら、わざわざ攻撃を予告してやることもない。とは言え、何かの手違いである可能性も捨てきれない。


 そこでクロエは、両者を上手く折衷した案を思いついた。


「では、こうしましょう。スカーレットは前線付近で兵を準備させて待機。ゲルマニア側に悪意があるのならば即座に攻撃を始め、そうでないのならば兵を退く。これでどうです?」

「それならば、お引き受けします」


 これ以上にいい方法は他にないだろう。


「さて、ではこれを使ってみることにしますか」


 クロエが引っ張り出したのはゲルマニア製の魔導通信機。これはザイス=インクヴァルト司令官と直接つながっているものであり、現代風に言えばホットラインといものだ。


 この休戦の期間に万が一の衝突が発生しても対処出来るよう、両軍が合意して設置したものだ。


 ――凄まじく緊張しますね……


 自分の部下にならいくらでも通信出来るが、自分とほぼ対等の立場の、それも敵国の人間に直接通信をかけるなど、彼女には初めてのことであった。まあ、そんなことをしたことのある人間はこの世界にはそうそういないだろうが。


 クロエは深呼吸をして、魔導通信機を起動した。


「あー、聞こえていますでしょうか?」

『ええ、聞こえておりますよ。クロエ殿で、よろしいですかな?』

「はい。クロエです。そちらはザイス=インクヴァルト司令官でよろしいですか?」

『はい。ザイス=インクヴァルトです。今回はどのようなご用件で?』


 ――白々しい……


 ここまで何事もなさそうに話せるということは、逆に言えば何を言われるのか想定済みと言うこと。クロエは苛立ちを隠しながら、塹壕の件について説明した。


『なるほど。クロエ殿はどうやら、我が国の公共事業を軍事的な行動とかんちがいされているらしい』

「どういうことですか……?」


 クロエにはまるで意味が分からなかった。こういう交渉はオーギュスタンに任せておけばよかったと今更ながらに後悔する。


 オーギュスタンとザイス=インクヴァルトに怪獣大戦争をさせてみたらどうなるのか、想像してみると面白い。


「我が国では現在、失業者が多いのです。窒素肥料の実用化によって、農業に大して労働力が必要ではなくなったからですな。そこで我が国では、貧しい民に仕事を与え、生活を支えるようにしているのです」

「それが、塹壕堀だと?」

「その通りです。なおかつ、簡単な訓練ですぐさま始められる仕事ですので、人気は高い」

「では、これは軍事的な行動ではないと言いたいのですね?」

「ええ。無論です。これはあくまで、民の救済事業に過ぎません。私も軍部も関わっておりませんよ」

「はあ……」


 何という無理やりな言い訳。ゲルマニアでは軍部が関わっていないのならば軍事的な行動ではないらしい。


「それが通ると……」

「先程も申しましたが、私は関与しておりません。総統官邸が直接指導していることですので」

「そうですか……」


 確かに、軍事的な行動という言葉については条約に定義されていない。それが安易を指しているのかは両国の主張次第だ。そして、軍部が関わっていなければ軍事的な行動ではないというのは、それなりに合理的な主張に思える。


 なれば、ここで反論しても意味はないだろう。第一、クロエはザイス=インクヴァルト司令官に勝てる気がしなかった。


「分かりました。ゲルマニア軍の主張は理解しましたので、今後ともご自由にどうぞ」

「流石は殿下。ご理解が早くて助かります」

「……どうも」


 クロエはザイス=インクヴァルト司令官に打ち負かされた訳である。


 ○


「シグルズ君、これでいいかね?」

「はい。ばっちりです」


 単なる建設工事という名目にしてしまえば何でも出来る。そう進言したのはシグルズであった。今回はナチスドイツのアウトバーン計画から(正確にはそれが軍事的な目的で建設されたという俗説から)着想を得た。


「いや、君はやはり頭がいいな。その頭脳を私にも分けて欲しいものだ」

「いやいや、閣下にはとても及びませんよ。この程度、ふと思いついたに過ぎません」

「ふっ、若者とはいいものだな」


 ○


「スカーレット、攻撃は中止です。すぐに兵を退いて下さい」

『な、何故です!? 奴らは明確に条約違反をしているというのに!』

「詳しくは後で話します。とにかく、戻ってきなさい。いいですね?」

『……承知しました』


 かくしてヴェステンラント軍は、ゲルマニア軍が堂々と防御を固めるのを眺めていることになってしまった。

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