軍用手票Ⅱ
ACU2309 9/20 ブリタンニア連合王国 王都カムロデュルム
「まずは、君が要請していた援軍だが、本国から移送の許可が下った。これより追加で3万の軍勢がエウロパに到着する」
「ありがとうございます、オーギュスタン殿」
カムロデュルムはヴェステンラントのエウロパ遠征軍の総司令部として使われており、大きな決定を下す際にはここに遠征軍の首脳陣が集まることになっていた。
ブリタンニア人からすればかなりの屈辱だろうが。
さて、第一の議題は先の戦いで失われた兵員の回復である。これについてはオーギュスタン赤公が取り仕切っており、その結果がやっと出たという形になる。
「赤の国から15,000、白の国から15,000という感じですか?」
「いかにも。あえて不均等にする必要もないだろう」
今回の遠征軍は合州国を構成する七大国のうちの赤の国と白の国が共同して編成した軍勢なのだが、実は両国が保有する魔導戦力のうちまだ半分しか動員していない。残りの半分は本国で待機している。
今回はその予備兵力を前線に呼ぼうとしている訳である。
「だが、その分補給の問題が厄介になるだろう。分かっているな、クロエ殿?」
「はい。承知しています。そこで、一つ提案があるのですが」
「提案? 教えてくれ」
「はい。軍用手票を発行するというのはどうでしょうか?」
「軍用手票? 何だ、それは?」
オーギュスタンは煽るでもなく普通に尋ねた。それもその筈。この世界には未だかつてそのような概念が存在しないのだから。
クロエは早速、自分で閃いた風に軍用手票について語った。大半はシグルズが言っていたことをそのまま繰り返しただけだったが。
「――なるほど。理解した。実に面白い発想だ」
「それはどうも」
「準備が少々面倒だが、上手くいけば我らの補給は大幅に改善される。検討すべきだろう」
オーギュスタンは乗り気であった。地球では実際に上手くいった、成功の約束されている概念なのだから、その直感に間違いはない。
「やるとなれば……最大の問題はいかにして普及させるか、だな。金というのは共同体で承認されねば意味をなさない。承認されない金で無理やり穀物を買い取れば、それは略奪に同じだ」
「なるほど……」
クロエは――大公としてはあまりよろしくないが――経済にそこまで明るくない。どちらかと言うと戦争担当の大公である。内政は大まかな方針を示して重臣に任せてきた。
故に、オーギュスタンの話を完全に理解しているかと言われると、それは否である。
「そこでだ、逆に、我が軍の支配下ではこれまでの貨幣の使用を禁じるというのはどうだ?」
「どういうことですか?」
「要は、無理やり軍用手票とやらを承認させるということだ。既存の正貨をどう扱うかなどの問題はあるだろうが、これで上手く流通する筈だ」
「それは……先程、無理やり買い取るのは略奪に同じと言っていたのとは、違うのですか?」
「明確に違う。先程のは共同体で他の誰も使わない貨幣での取引を強要するという意味だが、これは共同体の――ここではブリタンニアとルシタニアの国民全員に新たな貨幣の使用を強要するということだ」
「それは、問題はないのですか?」
「理論上はな。前者の場合は取引に応じた者は何の見返りも得られずに商品を失ったようなものだが、後者の場合は金の見た目が変わるだけで通常と何も変わらない。ただ、ある程度の混乱は生じるだろうが」
基本的には通貨をヴェステンラント軍が発行する軍用手票と置き換えるだけだ。市民の視点から見れば、両替に若干の手間がかかるだけで、特に不利益はない。
ただ、その両替の過程でそれなりの混乱が生じるのは避け得ないだろう。
クロエも何となく理解した。同時に、僅かな構想を一瞬でここまで具体化出来るオーギュスタン赤公の頭脳に感服していた。
「分かりました。私はただ思いついただけなので、オーギュスタン殿に細かいところは任せます」
「クロエ殿がそう言うのなら、そうしよう。元より軍政は私の担当だからな」
「よろしくお願いします」
正直、これ以上オーギュスタンと議論を交わすのはクロエには不可能であった。それから上手く逃げることに成功したのである。
「ところで、今日は我が愛娘はいないのか? 今日も呼んだのだが」
オーギュスタンの実の娘、ノエルのことである。
「ノエルは、その、オーギュスタン殿を嫌っていますので」
「そうか……ノエルはやはり、私のやり方が気に入らないのか」
「そうだと思います。彼女は前線に出て戦うことこそ指揮官の誉と考える人ですから」
「父と子で、どうしてこうも発想が異なるのだ」
「さあ。私には分かりません」
オーギュスタンは絶対に前線に出ないことを信条としている。反対にノエルは必ず前線に立って指揮をする。この親子は決して相容れない哲学を持っているのだ。
そうなっている理由は、本人たちを含め、誰にとっても謎である。智将オーギュスタンの娘ともなればどんなに賢い子が育つのだろうと期待されていたが、実物は自ら杖を振るうのを好む好戦的な少女だった。
「まったく、ゲルマニアの攻略よりも難しい問題だ」
「何を言っているんですか……」
オーギュスタンは大真面目にそう思っていた。
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