最終日

 ACU2309 9/18 レモラ王国 王都レモラ


「それでは、お世話になりました」

「仕事ですからな。礼などいりませんよ」


 シグルズが泊まっていたのはレモラ一揆の時に泊まっていた宿屋。やけに冷静沈着な主人のことをシグルズはしっかり記憶していた。


 それに主人の方も、シグルズのことを記憶していた。まあ反政府武装勢力に突っ込んでいく観光客が印象に残らない筈もないが。


「ところで、今更ですが、あなたの名前は?」

「私ですか? 覚えて頂かなくても結構ですが、ベニート・カミッロ・ガリヴァルディと申します」

「ガリヴァルディさんですか。覚えておきます」

「城伯様ともあろう方から、私には過分なお言葉です」

「そんな、僕なんて名目上の貴族に過ぎませんよ」


 この店主とは話が合う。シグルズは前々からそう感じていた。ただの宿屋の主人程度で収まる人間ではないように思えた。


「では、僕はゲルマニアに帰ります。またレモラに来たら、泊まらせてもらいます」

「お願いします。では」


 シグルズは宿屋を後にする。


「――あなた様も、今日まででしたか」


 ガリヴァルディが応対する声が背中から聞こえた。同じ宿屋にいて同じ時刻に去る者などいるものかと、シグルズは気になって振り返った。


 すると、そこにいたのは予想外の人物であった。


「く、クロエ……」

「え?」


 そこでガリヴァルディと気さくに話していたのは間違いなくクロエであった。マキナも隣にいる。つまりは、この3日ほど、クロエとシグルズは同じ建物の違う階で過ごしていたのである。


 ――何という偶然。


 シグルズは気づいたら宿屋に引き返していた。


「あら、シグルズ? どうしたのですか?」

「いや、僕もここに泊まっていたから、何というか、驚いた」

「……はい?」


 クロエから見たらシグルズは宿屋に押し入って来た迷惑客でしかない。まずはシグルズもここに泊まっていたのだときちんと説明する。ガリヴァルディも説明を助けてくれた。


「まさかお二人が知り合いだったとは、いやはや、世間は狭い」

「まあ、知り合いというか腐れ縁だけど……」


 腐れ縁なのは間違いない。この戦争が続く限り、シグルズとクロエが縁を絶つことは不可能だ。


 シグルズとクロエがどういう関係なのかは、ガリヴァルディは聞かなかった。普通に考えたら内通も同然な訳で、追及するべきでないと判断してくれたのだろう。アリスカンダル並みの察しの良さだ。


「ところで、クロエはどうしてガリヴァルディさんと知り合いなの?」

「レモラに来るときはいつもここに泊まっていますので」

「因みに、それはどうして?」

「ベニートは信用出来る方です。それに、単に店主としての業務に秀でているだけでなく、ヴェステンラントやゲルマニアの事情にも詳しい。異国の地でそのような方は非常に頼りになります」


 シグルズが薄々感じていたことは勘違いではなかったようだ。やはりこの男、ただものではない。


「お褒め頂き光栄です。もっとも、からくりを申し上げれば、宿屋には多くの国からの者が来ます故、情報が集まってくるだけに過ぎません」

「それにしては情報が正確な気もしますが……」

「私も基本的には暇でして、そういう時に何が正確な情報かを見極めておるのです」

「すごい趣味ですね……」


 クロエは情報収集などには明るくないが、それが大変な作業であることは想像がついた。そこで、諜報担当のマキナに聞いてみることにした。


「マキナ、実際のところ、どう思います?」

「個人でやっておられるのなら、大変な偉業であるかと」

「そんな、言い過ぎですよ」

「いえ。事実です」


 ――マキナがマトモな会話をしている……


 あのマキナがクロエに対するように丁寧に話す相手。クロエとガリヴァルディは思っていたより親しい間柄らしい。


「しかし、シグルズが一緒だと知っていれば、夜這いでもして篭絡すればよかったですね……」

「……何だって?」


 まさかクロエがそんなことを言い出すとは。貴族としての清純さはいずこへ。


「おや、そんな間柄だったのでしたら、それは残念ですな」


 ガリヴァルディも悪乗りするのを躊躇わない。


「ちょ、ちょっと、勝手に話を進めないでもらえます?」

「おや、これは失礼」

「でも、シグルズは私に興味ないのですか?」

「興味……まあ、なくはないけど……」


 シグルズも普通の男として並みの欲はある。それにクロエは十分美しい。そういうことを考えてしまうのも仕方のないこと。


「いや、そうじゃなくて、女の子がいきなりそんなことを言い出すもんじゃないでしょ」

「私、成人していますよ?」

「――そうだった。いや、でも、大人の女性でもそんなことは言うもんじゃない」

「そうですかね?」

「そうだよ」


 別に良妻賢母たれとまで言う気はないが、自分の方が常識的で正しいことを言っている自信がシグルズにはあった。


「まあ、それは価値観の違いとして、私はやはりあなたを味方に引き入れたいのですよ。それこそ、自分の体を対価にしても――」

「自分の体は大事にしないとダメだ!」

「え……?」


 誰もが息を呑んだ。当のシグルズですら、自分の言動に驚いていた。


「そ、その、別におかしなことは言っていないだろう? そんな道具みたいに自分を使うのはよくない……」

「そう、ですか……まあ、こんなことを言いつつ、私まだ処女ですが」

「え」

「あの、シグルズ様、何の話をしているんですか?」

「あ、ああ、その……」


 一体どこから何を説明するべきか。そもそも説明していいのか。クロエに何と言おうか。マキナはどういう気持ちでこの会話を聞いているのか。


 シグルズの頭の中は混沌を極めていた。


「まあお二人とも、この話はなかったこととしましょう」

「あ、そ、そうですね」

「ええ、分かりました」


 互いに傷が増えないうちに撤退。これは戦略的撤退である。恥ではない。


「ではシグルズ、寝返りたくなったらいつでも来て下さいね」

「完全に裏切る気をなくしたよ」

「あら、それは残念」


 シグルズとクロエは別々の方向へと去っていった。次に会う時はきっと戦場でだろう。


 ――どこまでが本気なんだろう……


 帰路、クロエのよろしくない言葉が、シグルズの頭の中を延々と回っていた。


 ○


 ACU2309 9/18 ヴェステンラント合州国 陽の国 王都ルテティア・ノヴァ ノフペテン宮殿


「ルーズベルト閣下、報告です。ヴェステンラントとゲルマニアに若干の和平の空気が生じております」

「それはよくないなあ。早急に手を打たねばならない。だろう、ハル君?」

「はい。人間は殺しあうのが正しい姿。平和などあってはなりません」

「せっかくの戦争だ。長引かせなければな」

「それが我らの存在目的ですからな」


 ルーズベルト外務卿とハル外交官は笑いあった。

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