軍用手票
ACU2309 9/16 レモラ王国 王都レモラ
「ヴェロニカは、何か欲しいものある?」
「美味しいものが欲しいです!」
「美味しいもの……大雑把過ぎない?」
「そ、そうでしょうか。では、ええと、ワインが欲しいです!」
「ワイン……?」
一体そんな悪いものを教えたのは誰か。答えは自明である。
「まさか、姉さんに飲まされたの?」
布教するほどワイン大好き、かつヴェロニカの身近にいる人物。最近は会っていないが、エリーゼに違いないだろう。
「はい。お姉様が飲ませてくれました。美味しかったです!」
「ああ、そう……」
憑りつかれている。こうなった人間は、残念ながらもう元には戻らない。
「分かった。まあ、姉さんにお土産で買っていくつもりだったし、ヴェロニカの分も買うよ」
シグルズは名実ともに貴族である。つまり、結構な額の貴族年金を受け取っている。金なら心配はない。もっとも、軍にいると金の使い道も基地の格安売店くらいしかないのだが。
「ありがとうございます!」
「うん……」
今更ながらにエリーゼにヴェロニカを預けたのを後悔し出すシグルズであった。
シグルズは何か所かの店を回って、適当なワインを調達した。ゲルマニアでは滅多に見ないような珍品も、ここにはさも当然のように置いてあるのだった。経済力の違いを感じさせられる。
こうして市内観光を楽しんでいると、シグルズはまた見覚えのある人影を見つけてしまった。
「クロエか……」
「あ、本当ですね……」
すぐにクロエもシグルズに気付いた。シグルズは黙って立ち去ろうとしたが、クロエは何故か早足に近づいてきた。
――何か用でもあるのか?
公的な用事ではないだろうが、何かありそうな顔をしている。ここで逃げ去るのは忍びなかった。
「シグルズ、また会いましたね」
「また会ったね……」
「つれないですね」
「そりゃそうだよ」
こんなところを誰かに見られたら大事件だ。
クロエが現地人に気さくに話しかけている、と報じられるくらいならいいが、シグルズを知っている人間がいれば内通でも疑われかねない。それにしてはやり方が下手過ぎるが。
「で? 何の用?」
「あなたに助言を求めたいのです」
「助言……?」
――敵に助言を求めてどうするの?
「はい。合州国の経済力は十分なものとは言えず、現状、前線に十分な食糧を届けられていません」
「それは知ってる」
「このままでは食糧が尽きてしまいます。そこで、何か解決策はないでしょうか?」
「いやいや、僕に聞いちゃダメでしょ」
交戦国が食糧不足で苦しむのなら大変結構。シグルズは寧ろそうなって欲しいと思っている。
「このままでは、ゲルマニア人やルシタニア人の捕虜が飢えに苦しむことになりますよ?」
「だったら捕虜を解放してくれればいいじゃないか」
「それでゲルマニアの戦力が増えるのは嫌です」
「じゃあ、僕は知らないよ。それは君たちの都合だろう?」
「……そうですね。あまり言いたくはないことなのですが、このまま食糧が尽きた場合、私たちはルシタニアで略奪を行います。そうすれば、我が軍の食糧はもつでしょう」
「そう……」
あまりいいものではないが、そうなるのも仕方ないだろう。
「そこでです。略奪を許容するのならば、私たちの分の食糧も、捕虜の
分の食糧ももちます。つまり、ゲルマニアから見れば、私たちの状況に変化はありません」
「そう、だね…………あ、そうか」
シグルズはクロエが何を言わんとしているか理解した。
シグルズが助言を与えようが与えまいが、戦況は変わらない。だが、シグルズが助言をしなけらばルシタニアの民は苦しみ、すればルシタニア人には何の災いも起こらない。
「はい。これはヴェステンラントにもゲルマニアにも利をもたらさず、ルシタニア人にだけ利をもたらします。応じないという手はないのでは?」
「……分かった」
「ありがとうございます」
「一応聞くけど、僕が教えたとか言いふらさないよね? クロエも、一応ヴェロニカも」
ヴェステンラントに利益がある訳ではないが、これは基本的に裏切りだ。ばれたらただでは済まないだろう。
「はい。私が思いついたことにさせてもらいます」
「シグルズ様に悪いことはしません」
「了解……」
まあ、何かの役に立つかもしれない。クロエに恩を売っておこう。
「じゃあ、軍票を発行するというのはどうかな?」
「軍票? 何ですか、それは?」
「まあ、簡単に言うと軍が独自に発行するお金。占領地の中ではそれを通貨として使わせれば、現地人から沢山買い物をすることが出来る。もちろん、いつかは正貨で支払うことになるけど」
「なるほど……面白いですね」
正式名称は軍用手票。日本では西鄕札や大東亞戰爭軍票が有名である。
本質的には現地人に対する借金のようなものだが、適切に運用すれば本来の貨幣と変わらずに流通させることすら出来る優れものである。
「これでルシタニア人とブリタンニア人から食糧を購入すれば、暫くは問題ないだろう」
「上手く行けば、ですが――シグルズ、ありがとうございます。オーギュスタンに提案してみます」
「くれぐれも余計なことはしないでくれよ」
シグルズは内心、かなり不安を感じていた。
――やっぱり止めた方がよかった……
後悔してももう遅い。もう、やってしまった。
クロエとはほどなくして別れ、シグルズとヴェロニカは宿屋に戻った。
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