不死隊長ジハード

 やがて姿を現したのは、白い布で顔を隠した小さな少女であった。土足である。


 その姿はつい昨日に会った少女のものであった。


「確か、ジハードでしたか。どうしました?」

「クロエ・エッダ・イズーナ・ファン・ブラン・ド・アルシャンボーか?」

「え、はい」


 最初から最後までちゃんと呼ばれることは少ないもので、場違いだがクロエは少しうれしかった。


「私はあなたを殺しに来た」

「それはまたどうしてですか?」

「我が国はすっかり落ちぶれてしまった。再び陛下の目を覚ますには、あなたを殺してヴェステンラントとの戦争を始めるしかない」


 戦争を無理やり起こしてしまえばアリスカンダルの情熱も復活するだろうという、実に短絡的な考えである。そんなことをしたらガラティア自体の信用がガタ落ちするだろうに。


「そうですか。それと、ここに土足で入るのは止めた方がいいと思いますよ。ちゃんと掃除も行き届いているみたいですし」


 ジハードが残した土汚れを落とすのは面倒くさそうだ。


「あ、あなた、この状況が分かっているのか?」

「ええ。私は今、殺されようとしているらしいですね」


 全く危機感もなくクロエは答える。


「しかし、やるんだったらシグルズを殺した方がよかったのでは? ヴェステンラントは最悪の場合エウロパから撤退するだけですが、ゲルマニアなら最後の最後まで戦ってくれますよ?」

「あの者は……エスペラニウムなしに魔法が使えるのだろう? 私は、勝てない。だから、あなたを殺す……」


 ジハードはうつむいた。


 エスペラニウムを持っていないならば、レギオー級の魔女もただの人間である。そういう汚い真似をしていることに、それなりの罪悪感は抱いているらしい。


 ――でしたら……


 覚悟が決まっていなさそうだったから、クロエは一応説得を試みてみることにした。


「本当なら外交問題もいいところですが、今なら黙っておいてあげますよ。どうです? やっぱり止める気にはなりませんか?」

「それは無理だ! その、私はどうしても、やらねばならない。無能な家臣どもには頼っていられないのだ」

「そうですか。ではやってみてはどうです?」


 クロエは挑発的な笑みを浮かべた。ジハードはそれを見て、かえって決心がついた。


「……お命、頂戴する」


 ジハードは土足のまま湯船に踏み込んで、バシャバシャと水しぶきを上げながらクロエとマキナに迫る。


 ――はあ。せっかくのお湯が……


 丸腰どころか服すら来ていない魔女と、完全武装の魔女。


 しかし丸腰の方は残念そうに汚れの浮かぶお湯を眺めているだけで、ジハードは興味の外にあるようだった。その侍従の奇妙な少女は特に何にも興味がないようにぼうっとしていた。


 ――死を覚悟でもしたのか?


 その様子はジハードを躊躇わせた。人間ならばそれなりの抵抗くらいはしてくるものだと思っていたからである。だが、手を止める気はなかった。


 と、その時、クロエが唐突に口を開いた。


「マキナ、そろそろやっていいですよ」

「承知しました」

「な、何を――っ!?」


 ジハードの歩みは突然止まった。それどころか、勢いよく歩いていた反動で前方に転倒してしまう。上半身から盛大に湯船に突っ込んだ。


「な、何を……」


 足元の方を見る。


 すると、ジハードの足が浸かっている部分の水が凍り付き、その足を閉じ込めていた。


「こ、このっ!」


 木の魔女であるジハードは木を削ったような槍を生成し、氷に向かって叩きつけた。だが氷の方が固く、槍の方が折れてしまった。


 帝国で最強の魔女である筈の自分の槍がいとも簡単にはじき返されたこと。そして裸の魔女が魔法を使ったことに、ジハードは頭の整理が追い付かなかった。


「何が起こっているのか分からない、みたいな顔をしていますね」

「殺す……のか?」

「その気はありませんが……まあ、武装解除くらいはさせてもらいますよ」

「武装解除…………や、止めてくれ! それだけは!」

「ふむ……」


 ジハードの声は懇願するようであった。さっきまでの凛とした様子とはまるで違う。弱弱しい声だ。


 しかし、これに関しては止めてと言われても止められない。第一、先に襲ってきた方が悪いのだ。容赦はしない。


「マキナ、やっちゃってください」

「承知しました」

「や、止め――」


 どこにエスペラニウムを仕込んでいるか分からない。ジハードが全力で抵抗する中、マキナは無慈悲に服を剝ぎ取った。


 氷も溶かして靴下まで脱がし、完全に露わになったジハードの体だが、意外にもその肌は真っ白であった。この帝国の上層部にあっては珍しい、というか殆どない形質である。


「白人……?」

「これだから……」

「そんなに見られたくないものですか? 私は人種なんて気にしませんが……」

「気にする人間の方が多い」

「まあ、それもそうかもしれませんね」


 クロエと白の国は人種政策については寛容な態度を取っているが、合州国でも白人至上主義を掲げる者は多い。


 どちらかと言うとこの事実が広まるのが嫌ということなのだろう。


「それで、私をどうするつもりだ?」

「そうですね……まあ、一回くらいは見逃そうかと思います」

「見逃す、だと?」


 ジハードには信じられなかった。ここまでやれば死刑を言い渡されても驚かないというのに、クロエは無罪放免にしようと言う。


 どこまで心が広い人なのだろう。


「えー、因みに理由は後処理が面倒くさいからなので、あなたからも誰にも言わないでくださいね。その時は死刑にしますよ」


 この時のクロエの目だけは本気だった。


「……分かった。誰にも言わない」

「では、ここで手打ちとしましょう」

「了解した」


 クロエは殺されかけたことなどなかったかのようにくつろぎ始めた。

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